SABER TIGERのフロントマンであり日本のハード・ロック/ヘヴィ・メタル界を代表するシンガーとしてその名を刻んできた下山武徳。そんな彼の音楽キャリアの出発点と言えるANDROGENUSのコンピレーション・アルバム『STILL STANDING』がリリースされた。これまでにリリースされた2枚のEPにセルフ・カヴァーを含む新録4曲を追加しての収録となっているが、SABER TIGERの下山しか知らないファンがこの作品を聴くとその違いに驚くに違いない。今回はANDROGENUS今昔について掘り下げただけでなく、SABER TIGER以前のキャリアについても訊いてみた。そして今年の8月に残念ながら天へと旅立った、ANDROGENUSの盟友にして、シンガー・下山の大恩人とも言えるケネス氏についても語って貰った。
Text by 別府“Veppy”伸朗
編集:汐澤 尋生(OTOTSU)

—ANDROGENUSの前にFOOLSってバンドをやっていたのですよね? 下山さんのキャリア的には最初のバンドですか?
下山:古いところを引っ張ってきたね。FOOLSは中学生の時に結成して高校生にかけてやっていた。その時に俺はギタリストでした。小学五年生の頃からギターを触り始めて、とにかくギタリストになりたくて仕方なかった。FOOLSは普通のハード・ロックでDEEP PURPLEとかKISSのコピーなんかもやっていた。でもFOOLSは学生時代が終わったら解散ってなった。学生時代の思い出みたいな感じでしたよ。俺以外の皆は優秀な人達ばかりだったので学業に専念していったんだけど、俺だけはロックで変わらずって感じだった。
—その後にANDROGENUSが始まるのですか?
下山:FOOLSからANDROGENUSまで結構時間がかかるんだけどね。結成したのではなく加入したんです。ANDROGENUSは実は古いバンドで、俺が加入した時は3代目か4代目のヴォーカリストだったと思う。
—FOOLSではギタリストだったのにANDROGENUSには何故ヴォーカリストで加入したのですか?
下山: 話せばそんなに長くないんだけど(笑)。FOOLSの後にバンドをやりたくて高校を中退して17歳の時に東京に出てきたんです。新宿歌舞伎町の近くに住んでいて、バイトをしながらメンバーを探しつつ音楽の勉強もしながら日々を過ごしていました。暫くしたら歌も覚えた方が広がるかなと思う様になって。その頃、バイトはクラブのウェイターをしていたんだけど、そこのクラブにはバンドマンの先生達が生演奏することも多かったんです。バブルの頃だったかな。先生達は早い時間に来て練習をしていたんだけど、その時間から行って観ている内に歌も覚えなさいって言われて歌わせてもらったんですよ。そうしたら上手いじゃんって話になって。それを切っ掛けにフォークソングとか洋楽の弾き語りを始めて、札幌でやる機会があったんです。それをケネスという悪いヤツがたまたま観に来ていたんです(笑)。直ぐに「素晴らしい歌で感動しました」って声をかけてきてね。俺は「歌を始めたばかりでとんでもないですよ」なんて返事したんだけど、ケネスは「来週自分のバンドのレコーディングがあるけど1曲だけ歌ってくれないか? ヴォーカリストが失踪して大変なんだ」って言ってきて。それで分かりましたってその場で音源を貰ったんです。それが「Running Wild」でANDROGENUSの当時の代表曲だった。それを覚えたらもう1曲歌ってくれって言われて渡されて2曲レコーディングした。そうしたらANDROGENUSのツアーが決められていて、1曲だけレコーディングを手伝うって話がいつの間にか加入していて『ヴォーカリスト下山武徳』ってプロフィールまで作られていた。うわぁ、騙されたって思ったしヘヴィ・メタルも歌ったことないけど、せっかくのチャンスだからヴォーカリストとしてやっていくかと思った。それが25歳位の時だった。ANDROGENUSでは北海道をツアーしたり結構人気もあったバンドだった。PENNY LANEってプロのミュージシャンが使うような大きなライブハウスでワンマン・ライブもやっていたからね。
—順調に活動していたのですね。
下山:順調だったんだけど、バンド運営の方向性の違いで解散となるんだ。ドラマーのケネスとベーシストのリキヤは何が何でもメジャーからデビューしたいから東京に進出したいって考えだった。俺は、一度東京に行って色々と経験もしていたから、そんなに慌てていっても良いことないよって考えだった。何でもかんでも東京って感じじゃないと思ってたし、札幌でここまで人気あったからもっと足固めをして、例えばFLATBACKERやSABER TIGERみたいに、札幌にも凄いバンドがいるぞって名前を売っていった方が正しいんじゃないかって。そこで意見がぶつかり合ってケネスとリキヤが東京に拠点を移してANDROGENUSはそこで解散してしまった。
—それが1994年頃ですね。ケネスさんとリキヤさんは本当ならANDROGENUSとして東京に行きたかったのですよね。
下山:そうだったろうね。でも、俺はその時のANDROGENUSでは絶対成功しないと思っていた。東京での経験もあったけど、当時のANDROGENUSのテクニックでは太刀打ちできないともね。札幌では陽子さんが歌っていたSABER TIGERを筆頭に、演奏レベルの高いバンドも沢山いたからね。若い子に人気があったとはいえ、ANDROGENUSみたいな下積みや実績のそんなにないバンドがそんな簡単に成功はしないからもっと練習しなくちゃダメだろって考えだった。そこで喧嘩別れではないけど別々の道でお互い頑張りましょうってなった。
—当時のANDROGENUSはオフィシャルにリリースしていたのはPENNY LANEでのライブビデオだけで、あとはカセットでデモ・テープもあったのかな?
下山:そうそう、カセットのB面には酔っ払いトークが入ってたと思う。それで彼らは紆余曲折あってバンド活動を諦めて、それぞれ東京で店を始めたんだ。ケネスは六本木にも店を出していたんだけど、俺が六本木でライブをやった時に彼が観に来てくれたんだ。それが10年以上の久しぶりの再会でお互い元気そうだねってなったんだ。彼とは色々と話をして、六本木の店を畳んで札幌で店を始めるからと言われたんだ。彼が札幌に戻って交流が再開したんだけど、昔の仲間を集めてANDROGENUSをまたやりたいんだって。それで手伝って欲しいと言われて、俺はやるよってなって再結成することになったんだ。それがいつ頃だったかあまり覚えていないんだ。
—2012年辺りですかね。再結成後のCD-Rのリリースが2014年のリリースですね。
下山:だったらその辺りで合っていると思う。
—下山さんとケネスさんがオリジナルANDROGENUSのメンバーですか?
下山:その二人とギタリストのアスカが俺が加入前のANDROGENUSに一瞬在籍していたらしいけど、彼とは時代が被っていないのでよく分からないんだ。
—話をオリジナルANDROGENUSに戻しますが、オフィシャルリリースのライブビデオでSKID ROWとLOUDNESSのカヴァーをしていますね。LOUDNESSは山田雅樹さん時代の「Black Widow」ですね。
下山:雅樹さんは札幌でヴォーカリストをやっているなら憧れの存在ですよ。FLATBACKER時代からリスペクトは当然強いですし。
—ANDROGENUSは1993年に『第4回BSヤングバトル北海道大会』で審査員特別賞を受賞しているんですよね。
下山:そうそう。生放送なのに若気の至りでやらかしたんだけど。その時に「Running Wild」を演奏したんだけど、いつものライブのノリで観客と掛け合いとかやったんだ。持ち時間は4分だったんだけど、掛け合いやったら7分位になっちゃって。そうしたらメチャクチャ怒られたんだ(笑)。それで時間を守れないのは審査の対象外とも言われた。確かにそれは間違っていないんだけど、俺はそれはロックじゃないなって思ってた。そして放送が終わってから審査員で来ていた聖飢魔IIのルーク篁さんが「ちょっと一言いいですか?」って来たんだ。また怒られるのかもって思ったけど「君達みたいなバンドは本当に今必要だから頑張ってください。特にヴォーカルの君は本当に良いからプロになれるから」って言ってくれたんだ。あの言葉に救われたというか頑張っていこうって気になったしね。いつかルークさんに会ったらその時のお礼をいいたいんだけど、まだその機会が訪れていないんだ。他の聖飢魔IIのメンバーにはほぼ全員会っていて、デーモンさんとは一緒に歌ってもいるのにね(笑)。
—それもあってケネスさんとリキヤさんはANDROGENUSで東京進出したかったのかもしれないですね。
下山:そうだけど、褒められたのは俺だからね(笑)。
—ANDROGENUSはSABER TIGERと比べるとキャッチーで80年代のジャパニーズ・メタルとかLAメタルの香りがしますね。SABER TIGERの下山さんとのギャップを感じます。
下山:そうだと思う。こう言うと、語弊があるかもしれませんが、俺は所謂『ジャパメタ』というものが好きじゃないんです。俺はもっとモダンな感じが好きで、SABER TIGERを聴いてくれたら分かると思う。ジャパメタがダサいとまでは言わないけど、そのスレスレのライン、どういった芸風でやればいいのかみたいな葛藤はあったりする。それは当時のANDROGENUSから今に至るまでね。
—僕は最初にSABER TIGERの下山さんを知ってそれからANDROGENUSを知ったのですが、まずキャラクターの違いに驚きました。特にSABER TIGERに加入した頃の下山さんのステージは、ステージでは怖い位の殺気を放っていたので。それまでのSABER TIGERと違う雰囲気のヴォーカリストが加入したなとも思っていました。それでANDROGENUSのテープ、特にB面の酔っ払いトークを聴いたら「タケで~す」なんて言っていたからこんなに違うのって驚きました。
下山:(SABER TIGERでは)そんなに怖かった?(笑)。ANDROGENUSでの「タケで~す」ってのが地の自分ですよ。SABER TIGERに加入した頃は自分でそういったキャラを作っているつもりはなかったけど、全国的に名前の知れたバンドに加入して注目度は上がるって部分で思うことはありました。メジャー・レーベルとディストリビューション契約もして全国ツアーもさせてもらっていたから。でも、北海道のバンドって本州の人達に舐められるんです。大阪にツアーで行った時だと思うけど、「北海道から何で来たの? 馬に乗って来たの?」とかからかわれたんだ。それで『舐めてんじゃねぇぞ』って感じを俺は出していこうって思った。他のメンバーはそんな感じではなかったしだからって喧嘩もしないけど、そんな態度にナニクソって抗ってたんじゃないかな。その後にCONCERTO MOONと東京でツーマン・ライブをやった時にもっと舐められた態度をされたんだ。それで一時CONCERTO MOONの島君とも、俺から一方的になんだけど、喧嘩になりそうにもなった。CONCERTO MOON側からダブルヘッドライナーでやりましょうって言ってきたのに、出来上がったポスターを見たらCONCERTO MOONの名前が大きくてSABER TIGERは前座扱いで小さかった。ライブでも向こうはアンコールがあって盛り上がっているのに、SABER TIGERはダブルヘッドライナーって扱いじゃなかった。楽屋でも当時のCONCERTO MOONはVAPからメジャーでやっていたから待遇も良くて、こっちはレコード会社の人が来ても缶コーヒー置いてスッといなくなっちゃうような扱いでアウェー感もあった。北海道のバンドはこんな感じの扱いなんだってやさぐれていた部分もあったかもだけど、余計に舐められちゃいけないと強く思う様になって研ぎ澄まされたようなステージングになっていったと思うんだ。 別に威圧的にしようとかって思っていないけど、舐めるなよって強く思っていた頃だった。
—喧嘩になりそうになった島さんとその後DOUBLE DEALERで一緒にやるのは面白いですね。
下山:島君とBURRN!誌の広瀬さんが一緒に楽屋に来てね。そこで繋いでくれたからDOUBLE DEALERが生まれたんです。俺は基本的に敵を作るタイプじゃないし、来てくれたなら友達と思う人間だから直に仲良くなるし。
—1994年にANDROGENUSが解散した後に、下山さんはMOLD RUSTを結成しますね。
下山:MOLD RUSTはANDROGENUSが解散直後に結成しました。ANDROGENUS時代に色々なバンドマンと仲良くなったんだけど、そういった人達がたまたまバンドに所属していない時があって、それで一緒にやろうかってMOLD RUSTは始まったんだ。昔、北海道にはお祭りが沢山あってバンド出演枠もあったんだ。MOLD RUSTはそういった場、特に夏祭り出演を中心に活動していて色々なとこに車で行ったよ。MOLD RUSTは『SINGER』ってシングルCDをリリースしていたと思う。
—MOLD RUSTは1995年の『第5回BSヤングバトル全国大会』で準優勝するんですよね。
下山:北海道大会で優勝して全国大会に行くんだけど、他のバンドは飛行機を使うんだけど俺達はフェリーにしてくれって言って皆で車一台に乗って東京に行ったんだ。その時も生放送で映像はどこかに残っていると思う。
—その時は時間オーバーしなかったのですか?(笑)
下山:オーバーしなかったよ、大人になったからね(笑)。それに「Singer」って曲を演奏したけどバラードだったから掛け合いもなかったしね。
—そんな実績もあったMOLD RUSTだったのにそれからすぐ解散してしまうんですね。
下山:そうだね、解散した理由もよく覚えていなくて。多分だけど、皆20代後半だったし人生の岐路に立たされていたからだと思うんだよね。
—全国大会準優勝って実績も残していたのだから、MOLD RUSTとして次のステップに進もうってならなかったのですね。
下山:俺は進めると思っていたんだけどね。その時に上位3バンドだけが打ち上げに来てと言われてNHKホールでそれがあったんです。そこで審査委員長のばんばひろふみさんに色々な業界の方を紹介されて「歌が素晴らしい」って褒めて貰えたんです。デビューに興味ありませんかって言う話も多くいただいて、おとぼけCATSのダディ竹千代さんがレコード会社と繋ぐから連絡して下さいっていうこともあった。当時MOLD RUSTにはマネージャーがいて、そいつに全てを一任していたけど行方不明になってしまって。その話も有耶無耶になってしまったし、MOLD RUSTも解散したけど、このまま歌を続けていたらまたチャンスはあるだろってやっていたらSABER TIGERに加入することになった。
—MOLD RUSTとSABER TIGERの間にDIALLで活躍しているんですよね。
下山:DIALLも気の合う仲間達で札幌で人気のあるバンドだった。
—DIALLは雑誌とかで名前を見ていたから知っていました。アルバムも1枚リリースしていましたし。
下山:リーダーと意気投合して一緒にやろうってなったけどなかなか上手くいかなくてね。そうこうしている内に俺がSABER TIGERに引き抜かれる形で加入したんだ。
—SABER TIGERに加入したのはアルバムの仮唄を担当したのが切っ掛けでしたね。
下山:ロン・キールがヴォーカルでSABER TIGERでアルバムをリリースする計画があるけど仮歌をやって欲しいってことになって。それで木下さんの仕事部屋に行って歌ったんです。そうしたらレコード会社の人もロン・キールよりも良いって話になって、周りがSABER TIGERに入っちゃえよって盛り上がったんですよ。でも俺はSABER TIGERに加入するのは抵抗があったんだ。
—その抵抗っていうのは?
下山:実はSABER TIGERのことが嫌いだったんだよ。SABER TIGERってダセェじゃんって気持ちがあった。こういう言い方はかなり語弊あるし失礼だと思うけど、俺の中では『SABER TIGER=ジャパメタ』って意識が強かったし、SABER TIGERって名乗っているのに牙を持ってるヤツが1人もいないと思っていた。おぼっちゃまみたいな集団で「ライブが終わったら打ち上げに出ないでスタジオに戻って反省会の練習する」なんて話もあったからロッカーじゃないなとも思ってた。あんなバンドでやるなら音楽なんてやらない方がいいって当時の俺は言ってたんだ。でもそれは実際に会ったら違っていた。例えば木下さんの噂なんて鬼みたいな酷いものばかりで普段から厳しくて怖い人ってものばかりだったんだ。確かに音楽的には厳しいんだけど、実際に会ってみたら人柄はこんなに優しい人はいない、ふんわりとした感じだった。
—実際に会ってみたら印象が変わったのですね。
下山:そうそう。それでSABER TIGERに牙がないなら俺が牙になってやるって思ったんじゃないかな。不必要にギラついたって気はないんだけど、そういった思いが外から見たらギラついた風に見えたかもしれないし、SABER TIGERで歌うって決意が自然と表面に出ていたのかもしれないね。暫くSABER TIGERをやっていたらANDROGENUS再結成にもなって、そっちは演芸に近い寄席に近いような芸風でやろうって思った記憶がある。
—再結成後のANDROGENUSを観ましたが、下山さんは素でキャラクターを作らない感じがしました。
下山:そうそう、MCも長いしMCしかない様なライブもやったことあるし(笑)。そんな自由にやってもANDROGENUSの他のメンバーは楽しんでくれてるから。全部俺が100%自由にやってもOKって他のメンバーも承知してやってくれているのが大きくて、ずっとやり続けていきたいって思っています。
—自由ってことではANDROGENUS「激辛なんDeath」なんて、SABER TIGERの下山さんからは想像できないですね。歌詞もかなりコミカルな感じですし。
下山:あれは『ミートショップいとう』ってお肉屋さんとのコラボ企画で生まれた曲です。そのお肉屋さんで「激辛なんDEATH」って激辛のホルモンが開発されて、そのテーマ曲を募集していたんです。いくつかのバンドが応募してANDROGENUSも応募しようぜってなって「激辛なんDeath」って曲を作った。それで応募したら殆ど出来レースみたいな感じで優勝して、優勝賞品の黒毛和牛を皆で美味しくいただきました(笑)。
—「激辛なんDeath」はコミカルな歌詞であると同時にジャパメタ色も強いですよね。ジャパメタを好きでないと言っていた下山さんがこういった曲を歌ったのは?
下山:ジャパメタのダサいイメージを振り切ったらどうなるだろうってやったらあの曲が生まれたんだ。他のメンバーも気に入ったみたいだし、再結成ANDROGENUSの代表曲みたいな感じにもなったよね。だからってANDROGENUSを全部あの路線に寄せようとは思わなかった。これ以上あの路線は作らない方が良いとも思っている。被ってしまうバンドもいるし、たまにああいった曲があるから活きてくるってのもある。
—「激辛なんDeath」の歌詞に「MABOROSHI」ってローマ字表記でありますが、それはSABER TIGERの有名曲を意識してのことですか?
下山:実は「激辛なんDEATH」の後に「MABOROSHI」ってとんでもなく辛いホルモンを『ミートショップいとう』さんが開発していて歌詞でそれを示唆しているんだ。『ミートショップいとう』の代表さんは日本のヘヴィ・メタルが好きだから「MABOROSHI」はSABER TIGERの曲名が由来だろうね。

—今回ANDROGENUSの編集盤をリリースしませんかって切っ掛けを作ったのは僕だと思いますが、正直なところ下山さんはその話を渋るかなと思いました。SABER TIGERがあるし昔のアイテムのリリースに抵抗があるアーティストさんも多いので。だから下山さんが二つ返事でOKと言ってくれたことにかなり驚きました。
下山:昔の音源を今のバンドと同列に扱うのには勿論抵抗はあるよ。でも、リリースに関しては嫌じゃないんだ。それも自分で昔にやっていたことだしそういうリリースの話をしてくれたことに感謝もあったから。嫌というよりも嬉しいが先に来たのもあったね。ANDROGENUSのリリースの話なんて考えてもいなかったし、この話を切っ掛けにもっと現在進行形のバンドにして新曲も作ろうって話になったんだ。
—ANDROGENUSのこの作品の資料をいただいた時に新曲もあるんだなって驚いて嬉しくもなりました。具体的なリリースの話をしたのが今年に入った頃だったから早いなとも思いました。
下山:せっかくの話だから新曲も作りたくなって、ボツ曲も見直したりして再構築したら良い感じになったのもあった。念願のアルバムだったから全部詰め込みたかった。
—セルフカヴァーの「恋した時から」はビデオに収録されていた曲ですね。
下山:俺が作った曲でソロアルバムにも収録されています。元々、解散前のオリジナルANDROGENUSでやっていた曲で、今のメンバーで残しておきたいって気持ちがあったんだ。今のメンバーから「ソロアルバムにも入っているから、今更ANDROGENUSでやらなくてもいいんじゃない?」って言われたけど、俺はこのメンバーで演奏することもあるから収録したい気持ちが強かった。アレンジも変えてもいいからって言ったらケネスも入れたいって言ってくれて、最終的に新たにレコーディングして収録したんだ。
—そのケネスさんですが8月にお亡くなりになったのが残念です。
下山:2月位からアルバムのギター録りを始めていたんだけど、ケネスが時間が欲しいって言ってきてたんだ。彼の病気は発覚していなかったけど、その頃から体調が悪かったのかもしれない。それで5月ゴールデンウィーク明けからケネスのドラムレコーディングが始まって、新曲とセルフカヴァーの4曲を録り終えたんだ。エンジニアはSABER TIGERの木下さんがやってくれた。そのレコーディングの時にケネスはかなりしんどそうに見えて、これが終わったら直ぐに病院に行きなよって言ったんだ。病院に行って検査したら肝臓にシコリみたいなのがあるって言われたって。「大丈夫だと思うよ」なんて話していたけど、全くそんなことなくて彼は肝臓癌で余命宣告も受けていたんだ。このままなら3ヶ月、抗癌剤治療を受けたら2年生きる可能性は何十パーセントだと。ケネスからある日話があるって肝臓癌のことを話されて。俺は今は抗癌剤や治療も発達しているから大丈夫だよって励ましたけど、実際はかなりショックだったよ…。それから治療を始めて回復しているように見えた日もあったけど、肝臓の数値が悪すぎて抗癌剤治療ができないってなったんだ。それで本人も覚悟を決めたのか身辺整理も始めて、それが全部終わってから亡くなったんだ。俺は一年を通して土日はほぼライブが入っているんだけど、ケネスが亡くなったタイミングの時だけその10日間位のオフが何の理由もなくあったんだ。ピッタリとパズルがハマるみたいにね。そのタイミングでケネスが亡くなって葬儀をやってキッチリと彼を送り出すことができた。彼とは家族同然の付き合いだったから色々とお手伝いすることもできたよ。余命もお医者さんの行った通りでそれも凄いなと思ったけど、それに合わせてキッチリ身辺整理を済ませて旅立ったケネスも凄かったね。立派な男だと改めて思ったよ。
—ケネスさんに心残りがあるとしたらアルバムの発売日を前に旅立ったことでしょうね。
下山:本当に楽しみにしていたからこのアルバムを仕上げてて手渡したかったよ。10月4日に札幌でレコ発ライブを計画しているけど、ケネスはそこで1曲でもいいから叩くよって言っていたんだ。全曲は無理だからドラマーは誰にするって話になったら、磯田しかいないでしょってなって彼にオファーしたら喜んでやるって即決だった。それでケネスには少しでもいいから叩いて欲しいってなったんだけど…、本当に残念だよ。
—アルバムのラストが「泣きたいけど…」ってバラードを収録していますがケネスさんとダブります。
下山:ケネスを送る曲にするつもりはなかった。曲を作った時は両親、札幌の友人仲間、音楽界の先輩後輩、そういった亡くなった人達への思い出が多すぎるのでその思いを歌にしたかったんだ。それが偶然にもケネスへの追悼の歌みたいになってしまった。
—歌詞の内容がケネスさんを送るのに相応しいしアルバムの最後に収録されていて、こういった偶然も運命と感じました。
下山:本当に偶然だよね。「良いバラードになったからこれでアルバムの最後を締めくくらない?」って漠然と言っただけだったのに。この曲のラフミックスみたいなのが出来た時に病院にいたケネスにそれを届けたんだよ。そうしたらあの声の出だしから泣けてくるから後でゆっくり聞くよって言ってたんだ。今は鼻からチューブ入れてるから鼻をかめないしって。それで一時退院した時にゆっくり聴いたらしいけど泣いていたって。ケネス、よく泣くんだよね。心優しい男で入院していた時も俺の顔見たら号泣していたし。ケネスもこの曲が最後が良いねって言っていたんだ。
—ケネスさんは下山さんがバンドで歌う切っ掛けを作った人でしたね。
下山:そうだよ。彼が最初に俺を見つけてバンドで歌う切っ掛けを作ってくれたからね。だからそういった意味で恩人なんだ。
—そんなケネスさんとANDROGENUSの思い出で印象に残っていることはありますか?
下山:ケネスとは沢山の思い出ばかりだよ。多すぎてね。その中でも良く覚えているのは最初のツアーかな。道内だったけど俺にとって人生初のツアーだったからね。当時はインターネットもないから、ツアーに行っても誰もANDROGENUSなんて知らなかった。釧路に行った時は楽器屋の隅にあった小さなスタジオでライブをやったんだけど、予約チケットは2枚と言われて。誰も知らないからそうだよなってなったけど、それだったら、ステージ衣装だけは派手だったから、それを着て釧路駅に行って宣伝したんだ。当時はお金のことなんて全く考えていなかったからチケットも「ANDROGENUSです。いつもお世話になっています!」って配ってね。そうしたらお客さんがたくさん来てかなり盛り上がったんだ。それで気をよくして下宿みたいなところに泊まって雑魚寝だったけど、朝までどんちゃん騒ぎしたんだ。そうしたら当たり前だけど周りのお客さんから大苦情になってね。確かに振り返ると酷かったけどそういったことが楽しかったんだ。若いからバカだったし、そんな旅を続けていたよ。若いから勢いだけで恥ずかしいこともたくさんしてきた。反省しているけど口では言えないようなバカがバカ故の思い出を作っていた。振り返ったら本当に恥ずかしいと思う一方で、そういうバカなことも良かったなって今だと思えるんだ。
—下山さんにとってANDROGENUSは青春だったのですか?
下山:確かにそうだね。初めての本格的なバンド活動だったってのもあるし。同級生と組んだFOOLSも青春なんだろうけど、自分の人生を振り返るとバンド活動での青春はANDROGENUSの25から26歳の頃だと思うんだ。
—SABER TIGERとの違いはその青春の部分が大きいですか?
下山:そうそう。SABER TIGERは音楽的偏差値が高いけど、ANDROGENUSはバカしかいないからそういった部分から生まれる楽しさの違いは確かにある。ちょっと誤解して欲しくないけど、今のANDROGENUSのメンバーもSABER TIGERも同じ枠な面もあるんです。どちらも本当に音楽に対して真面目に取り組んでいるし本当に信頼できるメンバーなんです。崩れたところもないし、ダメなところもないですから。素晴らしいんですよ。ANDROGENUSでの若い頃はしょうもないこともあったけど、それは今振り返るとかけがえのない輝きの一瞬だったと思います。あれは25から26歳のANDROGENUSで、あれはどうやっても今のANDROGENUSでもSABER TIGERにもない輝きだったと思います。今のANDROGENUSは俺とケネス以外は皆サラリーマンなんだ。だから真面目に生きていますってメンバーとふざけた俺の芸風がミックスしているのが味で面白いと思います。
—本気の遊びみたいなところがあるのかもしれないですね。
下山:そうそう。本気だけど砕けたとこを楽しんで欲しい。
—今後のANDROGENUSの予定はありますか?
下山:ケネスの悲願だった全国ツアーをANDROGENUSでやりたい、と言うかやります。ケネスが亡くなる少し前に俺が中心になってこのバンドを続けて欲しいって託してきたんです。それで彼はANDROGENUSで全国ツアーにも行きたかったとも言っていたんだ。ANDROGENUSでは東京までしか行ったことがなかったから。その意志も引き継いでこのアルバムのリリースツアーでは東京より西にも行きますよ。ケネスの魂と一緒に行くから。
—SABER TIGERの下山さんでなくANDROGENUSの下山さんとしてこの作品をどう捉えて欲しいですか?
下山:「激辛なんDeath」は別にして、俺が書いている歌詞はSABER TIGERの時とそれ程変わらないコンセプトだと思います。歌い手「下山武徳」をしっかり意識しているから。その歌詞を書く時にSABER TIGERとは違ったアプローチをしています。SABER TIGERは難解な面がありますがANDROGENUSが簡単に言えば分り易くてストレートに聴こえると思うので、リラックスして楽しんで欲しいです。

Release Information

STILL STANDING
ANDROGENUS
BTH120
01.Break The Chains (新曲)
02.There Is A Power
03.激辛なんDeath
04.病葉の涙
05.Live Your Life (新曲)
06.Treason Wind
07.半分の月
08.Silent Ground
09.恋した時から (セルフ・カヴァー)
10.Running Wild
11.泣きたいけど… (新曲)
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