「BELLRING少女ハート(以下、ベルハー)」は再結成から1周年に当たる2024年4月16日、恵比寿LIQUIDROOMでワンマンライブ「Bad Rich Grumpy Head “BRGH”」を開催する。本公演に先駆け、各メンバーにアイドルを目指した背景やベルハーを選んだ理由などについてロングインタビューをした。第3回は東雲こずゑだ。東雲こずゑのパフォーマンスはときに「狂気的」と評される。その感情の起源は、学生生活にある。同年代となじめず、不登校気味になる中で、自分へのいら立ち、他人へのひがみに押しつぶされそうになる学生生活を送った。そうした鬱屈した感情を開放する場所として選んだのがライヴハウスのステージだった。
●公演情報
BELLRING少女ハート ONEMAN LIVE Bad Rich Grumpy Head “BRGH”
日時:2024年4月16日(火)
開場/開演:18:45/19:30
会場:恵比寿LIQUIDROOM
チケット購入:https://t.livepocket.jp/e/brgh0416
――映画、音楽、アイドルなどいろいろな知識を持ち、話題が豊富なところがファンの方からも「高校生とは思えない」と好評を得ています。何がきっかけで興味を持ち始めたのでしょうか。
東雲こずゑ(以下、こずゑ) おじいちゃんの影響が大きいと思います。小さなころからクルマの中で流れていた(元P-MODELメンバーの)平沢進さんの曲が好きになりました。それから、最初に見せてもらった映画は(米ミステリー映画の)「シックス・センス」です。それをきっかけに、怖い映像などが好きになりました。
アイドルとの最初の出合いはAKB48でした。幼稚園児のときにAKB48を知って、曲もいいし、かわいいなと思いました。でも、そのときは好きといった感情があったわけではありませんでした。そのあとにももいろクローバーZを知って、アイドルはいろいろなジャンルの音楽もできるんだってことを知りました。
小学4年生ぐらいのときには、気付いたらももクロばかり聴いている時期がありました。そのころから徐々にアイドルにのめり込むようになりました。
――こずゑさんの好きなアイドルで外せないのが「ゆるめるモ!」です。
こずゑ アイドルに興味を持ち、小学5年生のころにYouTubeなどで動画をさかのぼって見る中でゆるめるモ!を知りました。ライヴ映像を見たり、グループ公式のTwitter(現X)の投稿を見たりしているうちに、共演しているアイドルにも興味を持ち始めました。そのうちに、ゆるめるモ!が(BiSの)「nerve」を踊っている映像を見つけて、BiSにも興味を持ち始めました。
――なぜ、それほどまでにゆるめるモ!に惹かれたのでしょうか。
こずゑ あのちゃんと私は境遇が似ていると思い、あのちゃんに自分自身を照らし合わせて共感していたんだと思います。私は小学2年生ぐらいまでは、社交的なほうでした。でも、徐々に人とうまくコミュニケーションが取れなくなっていきました。
あのちゃんも昔は頑張って学校に行っていたけど、徐々にレールを外れていった。そこが自分ととても近いと感じました。でも、あのちゃんを通じて、学校を辞めても人生を頑張れる道があることを知って、アイドルになりたいと思ったし、すべてのアイドルに対して尊敬の気持ちを抱くようになりました。
――「Instagram」でも昔は引きこもりだったというような趣旨のことを投稿していましたよね。何がきっかけで、学校から足が遠のいていったのでしょうか。
こずゑ 当時の学校の先生が分かりやすく、気に入っている生徒をひいきする人で、大人なのに同じ生徒に対して対応に差をつけることに嫌悪感を抱いたのがきっかけだと思います。私は人一倍、人の悪意などに敏感なタイプだったので、それを知るほど徐々に心が疲れてしまいました。
ある日、突然引きこもりになるというよりはグラデーションするかのように、だんだんと学校から離れていきました。
ですが、小学5年生のときに、もう一度、学校に行こうと思い立った時期がありました。その頃、親からは中学受験をしてほしいと言われていましたが、反発したいがために、学校で受験しない子と仲良くなりました。結局はその子とも関係性がうまくいかなくなり、精神的に本当に追い詰められてしまいました。
でもそのときに、生きる励みになったのもゆるめるモ!でした。ゆるめるモ!のライヴをこの目で見たい。その気持ちをモチベーションに受験することを決めました。ですが、進学校などではなく、もっと好きなことを学べる学校に行きたいと親と話して、美術学校を受けることにしました。
――中学校に入学する前に、とても前向きになった印象ですが、その後も不登校になってしまいました。
こずゑ 中学校のときの周囲の人たちはいい人ばかりでした。ですが、慣れない通学などに疲れてしまい、自律神経が保てなくなってしまい、体調が悪くなってしまいました。中学2年生のころからは、体調が優れている日は学校に行き、そうではない日は1日中インターネットをしているか、部屋の天井を見つめているという生活でした。
そういった生活を送っていたころに、インターネットを通じて知り合った人たちにアニメ、映画、音楽を教えてもらいました。特に大きかったのは(動画配信サービス)「ニコニコ動画」との出合いです。ニコニコ動画を通じて、ボーカロイドを知り、人ではなく機械が歌っている特殊な音楽に惹かれました。
学校から遠のく中で、同級生が好きなものが全て嫌いになってしまいました。今でこそボーカロイドは一般的ですが、当時はカウンターカルチャー的な存在だったことも、その気持ちに拍車をかけました。これこそが本当の音楽なんじゃないかと思っていました。今、思えば“厨二”ですよね(笑)。
――その当時は同級生たちに対して、どういう感情を抱いていたんですか。
こずゑ 振り返れば「ひがみ」と「うらやましい」が入り交じった感情だったように思います。本当はちゃんとしたいと思っているのに、徐々に人生のレールから外れてしまった。その不安とひがみの感情がありました。
一方で、中学1年生のときに、初めてゆるめるモ!のライヴを生で見ました。映像で見ていた人たちがパフォーマンスする姿を、目の前で見られたことに感動しました。自分の中で神格化していましたが、思ったよりも身長が高いんだとか、そういう生で見るからこその発見があって、実際に体験することの楽しさを知りました。
そんなときに(BiSHやBiSの所属で知られるアイドル事務所)WACKのオーディションを見たことで、自分もアイドルを目指したいと考えるようになりました。WACKに所属するメンバー以上に、候補者に共感しました。私と似た境遇の人たちが何とか自分を変えようと頑張っている。それを見て、私も同じようにアイドルを目指せるのかもしれないと考えました。
自分自身が変わりたいというよりも、当時の生活が嫌だったので、生活を大きく変えるきっかけにしたかった。同級生に抱いていたひがみや嫉妬を怒りとして発散するのではなく、その感情を原動力にして表現に変えたいと強く思いました。
――こずゑさんはギターを弾けますよね。アイドルではなくバンドを結成する、あるいはシンガーソングライターとして一人で活動する選択肢はなかったのでしょうか。
バンドをやりたいと思っていた時期もあって、それでギターを始めました。作曲にも挑戦しました。ですが、自分で曲をつくって、歌詞を書いても、結局、誰かのまねにしかならなかったんです。例えば、大森靖子さんのような曲をつくろうとしても、ただの下位互換のような曲しかつくれませんでした。
だから、曲は好きなクリエイターがつくったものに頼り、私はステージ上で自分の感情を表現したいと考えて、アイドルを目指すという選択をしました。
――WACKのオーディションへの参加が最初の挑戦でした。非常に厳しいオーディションでしたが、そこで学んだことはありますか。
こずゑ グループのメンバーや関係者に感謝の気持ちを持つことの大切さはベルハーでも生かされていると思います。例えば、この子は私の苦手な部分を補ってくれている、ここは私よりも他のメンバーのほうが得意だから追いつけるようになりたいとか、そういう風に考えられるようになりました。
それから、脱落後に他の候補者を見直して得ることも多かったです。オーディションでは候補者から選ばれたメンバーでグループを組み、3時間で発表という課題を乗り越えていきました。ですが、ダンスの振りを覚えてきていない子と組んだときに、混乱してしまい、うまくサポートできずに本番を迎えてしまいました。
他の候補者やグループはそういう子も見捨てずに一緒に頑張っていました。ステージのよしあし以前に、そういう姿勢が足りなかったことに気付きました。また、自分自身は取り繕ってしまい、グループのメンバーと、正直に話せなかったことも反省しました。そういう人との距離の取り方とか、メンタル面はとても勉強になりました。
――脱落した後も、その事務所の所属アーティストのライヴに足を運んでいました。そのときはどういう感情で見ていたのでしょうか。
こずゑ オーディションを受ける前に見ていたライヴと、受けた後に見ていたライヴは感覚が全く違いました。お客さんとしてライヴを楽しむよりは、同じオーディションで受かった子がステージに立っているのを見たり、指導してくれた先輩を見たりして、自分に足りなかった部分を探しに行きました。ライヴを見た後は、家でそのセットリスト通りに自分でやってみて、やり切れる体力があるのかを試しました。
オーディションでは失敗を挽回する前に落ちてしまったので、やりきれなかったという気持ちが強く、とても悔いが残っていました。なので、成長した自分を持って次のオーディションに臨みたいと考えていました。
――ですが、こずゑさんはもう一度WACKを受けるのではなく、ベルハーのオーディションを受けるという選択をします。
こずゑ (ベルハーが所属する)AqbiRecのアーティストはMIGMA SHELTER、グーグールル(あんちろちーに改名)はもちろん、THERE THERE THERESは解散ライヴを見に行くぐらい好きでしたが、ベルハーが復活することはないと思っていました。
WACKのオーディションに落ちた直後に、ベルハーが「BELLRING少女ハート‘22」として再結成することを知りました。その後、メンバーの追加オーディション(現ベルハーメンバーの葵みとが合格)を実施しているのを知り、改めて自分が何をしたいのかを見つめ直しました。
以前はオーディションに落ちた事務所に入ることばかり考えていました。でも私が本当にやりたかったことは、鬱屈とした毎日を送っていた感情をステージでパフォーマンスとして昇華させることだったはず。その原点に返る中で、考えを変えました。
考えが変わるのと同時期に曲が大好きだったベルハーが新体制として再結成することが発表され、メンバーを募り始めました。そこに運命を感じて、受けることを決めました。
――その後、見事に合格を果たします。
こずゑ 合格したときはうれしかったですが、本当なのかとも思いました。そして、これでようやく人生のスタートラインに立てると思いました。
デビューの日は楽屋で緊張のあまり吐きそうでした。でも、1曲目の「ボクらのWednesday」でお立ち台に立った瞬間の光景から、ベルハーを待ち望んでいる人がこんなにもいるんだと知って緊張が吹っ切れました。
(ベルハーのディレクター)田中(紘治)さんから、今のメンバーはあえて過去のベルハーを知らない子たちを中心に選んだと聞いていました。その中で、過去のベルハーを知る私が選ばれた意味を考えてパフォーマンスしました。
私は(旧ベルハーメンバーで現Finger Runsメンバーの)朝倉みずほさんが好きだったので、尊敬の念を持って、みずほさんのような自由なパフォーマンスをしながら、ただ旧ベルハーをなぞるのではなく、自分の個性を出していくことを心掛けました。
でも、それに悩む時期もありました。デビュー直後は憧れの旧ベルハーに近づこうとするあまり、とにかく爪痕を残そうと必死でした。でも、それは小手先の手段でした。そこが苦しかった。見ている人にとって「楽しい」よりも、「頑張ってるね」と思われるライヴだったので、納得のいかない状況が続きました。
あるとき、田中さんから「こずゑは小手先の手段に頼っている。自分の体だけでステージに立ってみなさい」と言われたことで、吹っ切れました。それからは、できるだけこの身一つでやろうと思えるようになり、ステージとちゃんと向き合えるようになったように思います。
それから、意識的に「狂気的な部分」を出すのも控えました。やっているうちに自分自身で違うなと思い、曲の歌詞を改めて読み解いて、その歌詞と合わせながら、自分の表情を組み立てるようにしています。
少しずつ、自分がやりたいライヴ、こうなりたかったアイドル像を目指せるようになってきました。つらい時期でしたが、とても意味のある期間だったと思います。
――こずゑさんにとっての「理想のアイドル像」を教えてください。
こずゑ やっぱりあのちゃんの影響が強いので、練習してきたことをそのまま披露する予定調和のライヴではなく、基礎が土台にありつつ、その日の感情をすべてステージで出し切れるようなアイドルになりたいです。
――夏の「TOKYO IDOL FESTIVAL 2023(TIF)」では、ステージの1つ(SKY STAGE)が雨天中止になるという悔しい思いもしました。
こずゑ その日のために何度も自主練習をして、準備してきました。前日のライヴでオタちゃん(ベルハーのファンの通称)と「SKY STAGEで会おうね」と約束していたので、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
中止直後はあいさつに来てくださった(プロインタビュアー・ライターの)吉田豪さんとお会いできたうれしさと、中止になった悲しさが入り交じった複雑な感情でしたが、楽屋に戻って1人になった瞬間に涙があふれてきました。ですが、TIFの関係者の皆さまが悪くないのに謝ってくれたり、「また来年に見たいです」と言ってくれたりするのを聞いて、気持ちを切り替えないといけないと思いました。
そのあとに出演した「FESTIVAL STAGE」は必死でした。ここで失敗したら、後はないという気持ちでした。でも、あの瞬間に出せる最大限の力は発揮できたと思います。
――そうして、少しずつ自分なりのスタイルを模索する中で、ここは注目してほしいというポイントはありますか。
こずゑ 歌を聴いてほしいです。私は音域が高いパートが得意です。例えば、ボクらのWednesdayのサビの「だれもほどけない!!」「なにも変わらない」、「low tide」の最後のサビなど、高音域の曲でもしっかり地声で出せるところが強みだと思います。
それから、なるべく“気持ちの悪い動き”をしようと思っているので、low tideや「無罪:Honeymoon」は歩き方などにも注目してほしいです。
――現在のベルハーになり最初の新曲「She’s Rain」も発売されました。
こずゑ 新曲を出すと聞いたときは、今の体制で活動する大きな意味でもあるので、「時間が動いている感覚」があって、素直にうれしい気持ちになりました。
ですが、お披露目が近づくにつれ、大きなプレッシャーも感じました。一言で言えば「焦り」です。過去の曲はネット上のライヴ映像で雰囲気などが見られたので、それをなぞることができました。
She’s Rainは自分たちで世界観をつくり上げて、観客にこういう曲ですと提示しなければいけない点に難しさを感じました。自分たちの曲で、これからずっと歌い続けていくから、やっぱりお客さんに好きになってもらいたい。自信を持って伝えられるのかが不安でした。今は、少しずつその不安もなくなりつつあります。
――24年のベルハーはどうなりたいですか。
こずゑ 23年は再結成という話題性でイベントに呼んでいただくことが多かった。2年目は実力が問われる年になります。
グループとしてパワーアップするためにも、大好きなベルハーの曲をもっとたくさんの人に届けたいです。長くベルハーを知っている人たちだけでなく、これまで届かなかった人にまで届けることが、再結成した私たちの役目だと思うので多くの人の目に留まるように進化していきたいです。
それから、個人的な目標では「日比谷野外音楽堂」に立つことが夢なので、死に物狂いで実現を目指したいです。
――真面目な話題が多かったので、少し角度を変えましょう。こずゑさんといえば、髪飾り代わりに洗濯バサミを使いますよね。あの発想はどうやって生まれたのでしょうか。
こずゑ 美術系の学校に入って、絵を描くことが多くなったときに、髪の毛が邪魔だったので、画用紙を留めるクリップで髪の毛をまとめたのがきっかけです。非常に強力に髪の毛を固定できたので、洗濯バサミも試し始めました。
家では日常的に洗濯バサミを使っていたので、ライヴでも髪の毛をまとめておくのにぴったりだと思い、使い始めました。
――特典会では、初めて来たお客さんとおすしを握るポーズでチェキを撮影するのが定番になっています。
こずゑ あのポーズはあのちゃんがおすしを握るように拍手をしているのを見て、ファンのときによくまねしてました。
デビューライヴの初めての特典会でお客さんから「ポーズはお任せで」とリクエストされたときに、とっさに出たのがおすしを握るポーズだったので、それを続けています。
――最後に、こずゑさんは過去の自分と決別したくて、ベルハーを受けました。生活は変わりましたか。
こずゑ 生活はこの一年で大きく変わりました。家でインターネットか天井を見ているだけの生活があったから、今、真剣にステージと向き合えています。あの生活には二度と戻りたくないから、ベルハーに対して必死になれています。変わることができて、よかったと心から思います。
でも、過去の自分を否定したいわけではありません。時間を持て余していたときに見てきたアイドルの知識はベルハーの活動で役立っています。
内面的にもとてもポジティブになりました。ベルハーに入るまでは人前でご飯を食べることすらできませんでした。ですが、人前に立ち、ライヴをすれば化粧が落ちて、ありのままの自分をさらけ出すことになります。そういう素直な自分でいようと思えるようになりました。
●公演情報
BELLRING少女ハート ONEMAN LIVE Bad Rich Grumpy Head “BRGH”
日時:2024年4月16日(火)
開場/開演:18:45/19:30
会場:恵比寿LIQUIDROOM
チケット購入:https://t.livepocket.jp/e/brgh0416