富士市吉原の土着のリズムが古今東西の音楽と接続されたとき、現代の「ジャパニーズ・ミュージック」が立ち上がる。遊び心としなやかな実験精神も重要なスパイス。おてんのさんや荒神様も踊りまくる熱狂のリズム! 大石始(文筆家)
静岡県富士市吉原。毎年6月に2キロにも満たない範囲で21町内のお囃子と山車が絢爛豪華に入り乱れ行われる「吉原祇園祭」。幼いころからそこで育ったメンバーによって結成された吉原祇園太鼓セッションズが、1stアルバム「Taiko!」をリリースする。お囃子や民謡、盆踊りなど、日本の”ルーツ・ミュージック”を独自の解釈で大衆的に表現するバンドやアーティストが続々と登場する中、先駆者とも言える民謡クルセイダーズのリーダー・田中克海と、吉原祇園太鼓セッションズのメンバーである内藤佑樹(ギター、篠笛、鉦)、川島麻友美(サックス)による対談が実現。セッションズのプロデューサーであるTOP DOCA(こだまレコード)を司会とし、「ジャパニーズ・ミュージック」のこれまでと現在地、そしてこれからについて、初期民クルの拠点である福生のバナナハウスで大いに語ってもらった。(全2回/前編)
写真:Yotch
構成・編集:森崎昌太

Artist : 吉原祇園太鼓セッションズ
Title : Taiko!
レーベル : テンテケレコード
フォーマット : CD
価格 (CD) : 3,520円 (tax in)
ディスクユニオン限定「Taiko!」Tシャツ付きセット!
価格(CD+Tシャツ):6,500円(tax in)
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ライ・クーダーが君たちのこと気に入ったから会おうって(笑)。は?みたいな。
TOP DOCA:
今日は吉原祇園太鼓セッションズの1stアルバム「Taiko!」のリリースに関連し、時代をさかのぼって「ジャパニーズ・ミュージック」、和のテイストを入れた音楽について、ざっくばらんに語れればと思っております。まずは民謡クルセイダーズ(以下、民クル)が先駆けで。デビューして何年目ぐらい?
田中克海:
2011年だから14、5年とかですね。
TOP DOCA:
十数年前には津軽三味線の兄弟とか、音楽シーンの中でもポップスの方にそういう人たちはいたけど、和太鼓を入れたりとかはなかなかなかった。
田中克海:
あったけど、我々が聴くような感じのはあまりなかったのかも。
TOP DOCA:
クラブ・ミュージックとか、バンド主体のライヴとか、そういったシーンにも割り込めるような形で民クルが出て来て。新しいというか、みんなが知っている楽器をうまく取り入れて、これをバンドにしているんだって驚いた。あの発想は水野さん(DADDY-U/民クルの初期ベーシスト)?
田中克海:
そう。フレディさん(フレディ塚本)っていう民クルのボーカリストが福生の隣町のあきる野に住んでいて、よく、福生に飲みに来ていてそこで知り合った。その少し前、俺はジャンプ・ブルースとかをやっていて、中央線沿線のミュージシャンと一緒に遊んでいた。そういうルーツ音楽が大好きで聴いていたけど民謡は全然聴いてなくて。福生に越してきて、フレディさんはサム・クックとかそういう歌モノが好きだというので友達になった。2011年に震災があって、俺も自分がやっているようなことで、もう一回なにか面白いことができねえかなと思った時に、日本のルーツ音楽、全然知らないな、と。民謡、面白いんじゃないかなって、なんとなく探し始めて。それでフレディさんが民謡をやっていたのを思い出して連絡して始めた。それがきっかけ。その時も水野さんとバンドをやっていたんですよ。
TOP DOCA:
なんていうバンド?
田中克海:
それはハリガリアンサンブル(=HULLY GULLY ENSEMBLE)。水野さんはサン・フェルナンド・メント・パトロール(=San Fernand Mento Patrol)ってバンドが終わりかけだったのかな。で、俺はその時モーレッツっていうジャンプ・ブルースのパーティー・バンドをやっていて、そこで水野さんと中央線繋がりで知り合った。水野さんが新しいバンドをやるってことで、誘われたかなんかでハリガリをやることになり、わりと福生のメンツもちょっといて。そこからですね。
TOP DOCA:
ハリガリがそのまま民クルになったわけではないの?
田中克海:
違うんです。さっきも言った通り、ハリガリを続けているうちに震災があって、民謡をやりたいなと思った。フレディさんに声をかけて、まず福生の仲間でなんとなく始めて、パーティーで演奏したらめちゃめちゃ受けた。やってみたら、ヨイヨイとか言ってくれるから。それでボーンって盛り上がって、これならいいなと。
TOP DOCA:
いけるな、と。
田中克海:
パーティー音楽として最高じゃんこれって思って。最初はもうちょっとバンドっぽい感じだったけど、当時クンビアとかをメンバーみんな聴いていて。最初の頃はジャズとか、ジャンプとか、シャッフル系とかにするってことでドラムを入れていたんだけど、ちょっとモダンすぎる。よくある感じで。よっぽど編曲がすごかったら面白いんだけど、なんかちょっと直球すぎて。

TOP DOCA:
普通のバンドが、ただ民謡をやったぐらいな感じ?
田中克海:
そうそう。もうちょいクセが欲しいなっていう時にクンビアとかでやってみた。クンビアもクセ、強いじゃないですか。くどい!みたいな。でも、そのくどさがちょうどいいっていうかね。
TOP DOCA:
ちょうど音楽として合致しているのがすごいよね。俺らだと、例えばスカとかロックステディになりがちなところをそっちにいくんだと思った。しかもちゃんと日本語で歌って。民謡をベースに。それをうまいぐらい崩していて。唯一無二の感じがして、やられたなっていうのはあった。
田中克海:
その時でもう5年ぐらいいろいろやっていたので。ちょっと形態を変えたり、バンジョーとか入れてアコースティックっぽくとかメントっぽくしてみようとか、いろいろ経ていて。だからわりと時間かけて、なんとかこれがいいんじゃねえか?と。
TOP DOCA:
最初のブレイクというか、世に出たきっかけっていうのは?
田中克海:
デモCDを作ったところで久保田真琴さんが急に連絡くれて。ライ・クーダーが君たちのこと気に入ったから会おうって(笑)
内藤佑樹:
すごい(笑)
田中克海:
え?みたいな。ファースト・アルバムのレコーディングをしていた時で。そうしたら久保田さんから電話がきて、会いましょうみたいな感じで。会いに行ったら、ライ・クーダーが震災以降、日本のことにすごく興味をもっていて、日本の音楽で何かプロジェクトをやりたいって言っていると。久保田さんはYouTubeとかの音頭とか民謡の音源を無差別に、炭坑節とかをテーマにして、バンバン送っていた。その中に民クルが六角橋商店街って横浜の商店街でやるストリート・フェスの時の動画があった。それはブーガルーだから、たぶんとっつきやすかった。それでライ・クーダーが、彼らはなんだ?いいじゃん、みたいな感じで言っていると。だからアルバムをプロデュースさせてくれって。
TOP DOCA:
なるほど。
田中克海:
ただ、その時は自分らも手探り状態だったし、他にもいろいろな事情もあってお断りして。それでまた進めていたら、久保田さんがピーター・バラカンさんにそのデモCDを渡してくれたみたいで、そのデモCDをかけてくれたんですよ。ラジオで。そしたら、なんだこれは?って。おもしろい!みたいな感じになって。それも何回かかけてくれて。そこから賑わってきたって感じでしたね。まあ、だんだんと、そういうので。
TOP DOCA:
でもやっぱりやっている音楽がよかったからボンっていくわけでね。クンビアはちょうど2010年の前ぐらいからかな?だんだん流行ってきて。俺らはあんまり知らなかった。カリプソまでは聴いていたけど。それまで知らなくて、だんだんと、何だ?何だ?って言っている時に、民謡と一緒にしていて、すげえいい時に来たなと。一番最初に手を付けたというか、取り入れた。その先見の明がすごいなって。
田中克海:
だから、ラッキーといえばラッキーというか。クンビアを知っていてよかった、みたいな。
TOP DOCA:
クンビアをやっているバンドとかもあんまりいなかったしね。
田中克海:
ぴったり合ったんですよ。「串本節」だったんだけど。三味線のフレーズをギターにあてたら、そのままクンビアのメロディーと同じで。民謡ってマイナー調の曲が多いじゃないですか。それにクンビアとかカリブ音楽もマイナー調の曲ってあるじゃない。
TOP DOCA:
キラーなね。
田中克海:
そう、キラーなやつ。民謡もマイナー調だし、なんとなくじめっとしてる印象があったんだけども。カラっとしてないっていうか。でもクンビアみたいにやったら、そういう陰気くさい感じとかが抜けて。しかも西洋音楽だと、長調と短調で明るい暗いってなるけど、南米の音楽とか赤道に近いものとかは、詳しくはわからないけど短調長調だけじゃくくれない。短調マイナー調だけど、めちゃめちゃポジティブな歌もあるし。西洋音楽の範囲じゃない感じのフィーリングがある気がして、それが民謡とハマる感じがした。
内藤佑樹:
けっこう現場でのトライ・アンド・エラーはあったんですか?反応を見てみたいな感じで。
田中克海:
でも、やればお客さんにはわりとウケるっていうか。だけど、最初にシャッフルとかバンド・スタイルでやっていたところから、ラテンとかそういう、ワールド・ミュージックな方向でいこうっていうのは、全然メンバーが違う時に一回あって。それで今のメンツになった。それでやり始めて、だんだんと。まあ、わからないですから、みんな。手探りで。正解がないから。

TOP DOCA:
日本だけじゃなくて、世界にも認められてね。世界に行ったきっかけは?
田中克海:
ファースト・アルバムを出したら、何件か海外のレーベルからリリースしないかって連絡があって、その中に「Mais Um」っていうイギリスのレーベルで、ブラジル音楽とか出している個人レーベルがいた。そこはすごく熱心で、何回も連絡くれてアツいから、じゃあやろう、みたいな感じで。そしたら、それをプロモーションするライヴをやりましょう、ツアーをやりましょうみたいな感じになって。それで。
TOP DOCA:
それ以降は毎年行っている?
田中克海:
毎年だいたい。夏時期のヨーロッパはマーケット向けみたいな感じで。だから、夏時期いろんなところにフェスがあって、だいたいワールド・ミュージックなので世界中からバンドを呼んでいる。アジア枠もあるんじゃないかな。
TOP DOCA:
日本の民謡が面白くて海外でも受けているのかな?
田中克海:
たぶん、そうだと思う。
TOP DOCA:
でもイロモノってわけではないけど、ライヴをやったらやったでバンッて決まってかっこいいから、それが響いているんだろうね。
田中克海:
海外のお客さんはとにかくみんな楽しみに来ているから。だからやってスベることはないんだよね。やればうけるから。日本より、わりと気持ちは楽というか。
TOP DOCA:
日本だと逆にこう、ちょっと詳しい人は知っているからやりづらいのかもね。どこの土地の民謡かって分かるし。海外だといっしょくたでわからないだろうし。そういうのは土地で変えたりはあるの?意識というか。
田中克海:
その土地の歌をやれるときはそれをやったり。レパートリーの中にあればね。そんなに難しい曲っていうか、マニアックなのとかじゃなくて、今のところわりとみんなが知っているご当地で、みんな聴いたことがあるものを。

TOP DOCA:
その方がやっぱりライヴでやるとウケるんだ?スカ・バンドだとね。あんまりマニアックなのでやるとこっちは楽しいけどね。民謡はまだ全然掘れる?
田中克海:
まだまだ全然。
内藤佑樹:
奥深い(笑)
田中克海:
やれてないことの方が多いよ、まだまだ。民クルはどうしても民謡の拍じゃないから。歌が。民謡って拍が奇数みたいなところがあるらしくて。ひっくり返っちゃうんだよね。普通に刻んでいると。表で打っていたのに途中から裏に当たってまた戻ったりだとか。でも別にそれをわざとやっているというよりは、自然にそうなっている。では、ああいうフィーリングが民クルで出ているかと言ったらそれはない。そういうところに着目すれば、それはそれでひとつ面白いだろうし。だからやれてないことの方が多いよな、とか思いつつね。
内藤佑樹:
たしかに盆踊りも、みんな普通に型通り踊っているだけで、ポリリズムになっていてめっちゃかっこいいですもんね。ちょっとクセになるっていうか。
田中克海:
そうそう。炭鉱節とかもなんかずれちゃうんだけど、でも踊りはシンプルだから、みんな踊る。
TOP DOCA:
振り付けがあるとやっぱりライブやっても楽しいし、みんな踊るよね。そこもうまいことやったな、と(笑)。もともとは庶民がやっていた音楽だし、上流階級が歌っていたわけでもない。だから、やっぱりみんなで一緒に歌えて踊れるようにやるっていうのは合っているよね。あとたぶん日本人のDNA的にもずっと受け継がれているから入りやすい。
内藤佑樹:
日本人は踊る型があった方が、踊りやすいんじゃないですかね。自由に踊ってくださいって言うよりも、型があった方がみんなできる。近所に盆踊りがあるんですけど、普通の少年少女から、おじいちゃんおばあちゃんまでめっちゃうまくて踊ってる。でもその人たちは他の音楽を聴いてみんなでダンスするかっていうと、しないんだろうなと思うけど、型があるからこそ踊れる。日本人の殻は破らないけど、型があればいける、踊れる。
田中克海:
たしかに。YouTubeで有名な動画があって。ハイヤ節って九州の唄があるんだけど、それを座敷で歌って太鼓の人もいて。やりながら輪になって即興で踊る。おじいちゃん、おばあちゃんが首にタオルかけていて。一人が踊り終わってタオルを次の人にかけたら、かけられた人が今度は踊らなきゃいけない。お父さんがすげえかっこよく踊っていて次におばちゃんにタオルをきゅっとやる。そしたらおばちゃんがすげえ恥ずかしがるんだけど、立って踊り出す。それはそういう型っていうよりは、踊りの、シンプルな、合わせて踊るっていうよりは、宴会で踊っているみたいな感じ。たぶんそういう時の踊りもあったのかもしれないし。楽しみ方っていうかね。
TOP DOCA:
型があるっていうかね。「ええじゃないか」だったり。 あとは、仏教系で言うと「踊り念仏」みたいな。ああいうのも、みんな踊ればいいじゃんって。結局なんか難しい踊りじゃなくてね。
田中克海:
そうそう。サルサとかだったらステップが大変だけど、盆踊りだったら別に間違っていてもいいや、ぐらいの緩い感じだし。前にコロンビアに行ってフレンテ・クンビエロ(Frente Cumbiero)とかと一緒にやったりしたことがあって。一軒家のスタジオで一日レコーディングして、飯食って、とかやって、最後だいたい酒飲んで音楽聴いて、みんなベロベロでクンビアで踊りまくるんだけど、フレンテのリーダーのマリオが、それぞれステップを見せ合おうって言い出して。披露っていうか。うわーってなっていると、マリオが「クンビアは一切難しいステップがない」と。「このビートで足を踏んでいるだけで、もうそれがクンビアだから」って。
ちょうどラップのフリースタイル・バトルみたいな感じです。
TOP DOCA:
クンビアには足のステップも入ってるの?
田中克海:
自由だから。最近だとすごく細かいステップのダンスとかもあるけど、基本は別にどう踊ってもいい。
TOP DOCA:
日本には日本のずれっていうのか、前行って下がって、ぐらい。別にそんなに足のステップはないけど、国によってもそういう土着した音楽でも踊りが違うというのはお国柄だね。
田中克海:
クンビアにも難しいステップがあるのかもしれないけどね。すり足のステップがあるらしくて。それはサルサのステップじゃなくて、ネイティヴ・アメリカンのインディアンの踊りとすごく似ている。だからコロンビアにいろんな国の人が入ってきて文化が混ざる。そういうのが面白いんだって言ってた。
TOP DOCA:
吉原のお祭りでは踊りはないよね?
内藤佑樹:
踊りはないんですよ。でも、僕は以前ハイヤ節のYouTubeを見た時に吉原のお祭りと似てるなと思ったんですよね。吉原は輪の中で太鼓を叩くんです。吉原祇園祭には宮太鼓という、お囃子と別の演奏があって。お囃子の場合だと太鼓・鉦・篠笛で1セットなんですけど。宮太鼓は太鼓ひとつだけで、上に向けてセットした長胴太鼓を2人で叩きます。片方が主役で片方がリズムキープ。主役を大バチ、リズムキープ役を小バチって呼ぶんですけど。ちょうどラップのフリースタイル・バトルみたいな感じです。大バチが大きく振りかぶって叩いている時は、小バチはずっとリズムだけで、本当にずっと、とことことこって。大バチが叩き終えると、大バチ小バチが入れ替わって相手が披露し始める。 それを輪の中でやる。さっきのハイヤ節じゃないですけども。


田中克海:
(写真を見ながら)はいはい。周りをみんなで囲んでね。それはこの周りの中の誰かが出てきてやるの?
内藤佑樹:
そうです。
川島麻友美:
みんな太鼓ができるから。
内藤佑樹:
これはお神輿が来る前に、そろそろお神輿だよと町内の人にでっかい音で知らせるっていう目的の太鼓で。別名、呼び太鼓とも言うんですけど。お宮(神社)の太鼓を使うから宮太鼓と言うんです。吉原祇園太鼓セッションズの「セッションズ」っていうのは、バンドが音楽でセッションするということの前に、お祭りの中にこの宮太鼓のセッション的な要素があるというところからの言葉選びなんですね。この太鼓の演奏が人によって各々違うんですよ。本当にラッパーじゃないけど、スタイルがあるんです。まったり叩く人もいればキビキビやる人もいれば、技巧派もいればパワー派もいる。性格がすごい出る。
田中克海:
なるほど、面白い。
内藤佑樹:
太鼓の練習は各町内ごと地元の公会堂とか空き家とかでやってるんですけど、ほかの町内に遊びに行くと、この宮太鼓の練習をやってたりする。それで、先輩の、50~60歳ぐらいの太鼓好きなおじさんが練習していて。「おい、一緒に叩いてけ」みたいなことを言われるんです。お祭り本番の宮太鼓を見て「あいつやるな」みたいな感じに覚えてもらっているのか、お誘いいただいて。
田中克海:
そういう場なんだね。
内藤佑樹:
民謡だとみんなが歌って踊れるみたいな部分があるかもしれないけど。僕らの場合は、太鼓がコミュニケーションツールになっている。閉じた世界の中の楽しみになるかもしれないんですけど、太鼓を叩ける人たちの中ではそうなっている。あと、吉原祇園祭では太鼓が主役のような部分があって。
田中克海:
そうなんだ。
内藤佑樹:
お囃子って、鉦があって、篠笛があって、太鼓があって、なんですけど。わりと、どの町内(吉原町内にある21町内)もなんとなく総じて太鼓が花形感を持ってやっている。「うちは鉦・篠笛・太鼓全部が調和してこそお囃子だ」って町内も中にはあるんですけど、全体的には太鼓をみんなやりたがるかなと。
田中克海:
太鼓が一番なんだね。
内藤佑樹:
花形ですね。吉原って江戸と比べるとやっぱり地方のお祭りで。江戸から伝播してお囃子が伝わってきていると思われるんですけど、伝播して江戸から遠くなるにつれてお囃子は乱暴になっていったのではと思っていて。
田中克海:
バチンバチンいくわけだ。
内藤佑樹:
そう、太鼓をひっぱたきますね。
TOP DOCA:
吉原のみで行われている音楽っていうか、元からある太鼓を継承して。本当に小さい頃から、バンドを始める前から継承していた太鼓にバンド・サウンドがついているわけだから、こっちも超唯一無二な感じだよね。バンドを始めた当初、俺が音源とかを出そうって言った頃は、民クルもバーッときてて。民クルのフォロワーみたいになったらいいなと思ったけども、民クルは民クルで民謡でやっていて、アジャテもいたりとか。そのあたりのくくりでワールド・ミュージックの、”ジャパニーズ・ミュージック”に特化しているバンドで同じようなにおいを感じるというか。
田中克海:
ちょっとずつ、すみ分けが違う。みんな、それぞれ独自で始めている。別に誰がやったからってわけじゃなく、自分らがやっていたことの延長に日本のルーツ音楽があって。だから、おもしろいですよね。
この前もちょうど、源ちゃん(松下源/元思い出野郎Aチーム)がやっている「チャチャチャ・ブックス」で、トークショウがあったんです。岩手の獅子踊りを東京から移住して踊り手として継承した人が、それの体験記を出した(富川岳『シシになる-遠野異界探訪記』)。その人、もともとは広告代理店勤務で町おこし協力みたいな感じで移住して。でも、最初は全然よそ者だし、なんかうさんくさいブランディングだな、みたいなこと言われてすごいハブられていたんだけど、獅子踊りの団体に入ってそれをガーってちゃんと踊ることでだんだん信頼を得た。だんだんとその中心の踊り手になって。で、それをもうちょっとアップデートした、ショウ・アップした感じの獅子踊りを作ったりして、わりと中に入ってさらに信頼を得ながら新しいことをやっていく、みたいな人で。
ルーツに着目してそれをこうやるっていうことでは民クルと一緒だけど。その時はVIDEOTAPEMUSICさんもトークショウに参加していて。あの人もフィールド・ワークみたいに現地に行って、そこで得たものを作品にしたりとか、いろいろ作ったりしている。この3人で話をした時も、獅子踊りは民謡じゃないから、またちょっと違う考え方を持っているし、ビデオさんもビデオさんで、あくまで個人として、音楽家としてやっていて、そこの地域の雰囲気とか、そういうものを解釈してアウトプット、音楽にしているけど、でも自分がなるべくそこから消えるような感じで音楽を作れちゃうとか、それぞれに考えていることがあって、めちゃめちゃ面白いなと思って。
フレディさんもわりと個人は消した方がいいというか、我を出すよりも、民謡歌手でも俺の唄だ!みたいな人もいるけれども、我流でやるみたいなことをフレディさんはちょっと嫌う。我が入るのがカッコ悪いみたい。美学があるんでしょうね。きっと。

TOP DOCA:
なるほどね。唄が残っていけばいいって感じなのかな。
田中克海:
俺はどちらかというと、そういうショウ・アップというか、ビッグ・バンドで。やっぱりこうひとつのステージを通して波があって、最後みんなで踊って終わるじゃないけど、全体のショウとしてエンタメみたいなものがあるものとして、民謡をやってるんだなって。民クルってそういうバンドなのかなってだんだんと思い始めて。ちょっと静かな曲もあれば、ミディアムで横揺れのもあったり。ワン・ステージ60分とか90分通して、そのステージとして満足してもらおうみたいな気がある。そういうのが自分の中にはあって、フレディさんはどちらかというと、もう民謡を歌えれば、あとはなんでもいいと思う。だから音楽に関しても特にないのよ。たぶん、民謡とも思ってない。あの演奏自体は民謡じゃないから。もう民謡じゃないんで民クルはって、はっきり言ってるから。だから、いいんじゃないのかなと思うんだけどね、そんな感じで。だからみんな考えていることがちょっとずつ違う。お囃子にも、歌がないんだよね。
内藤佑樹:
そう。ないんですよ。
田中克海:
でも、それがバンドとして、リズム隊として、いろんな人の歌を入れてやっているっていうのが、たしかにそうなるよな、と。そのスタイルめちゃめちゃいろんなことができそう。
内藤佑樹:
でも、まだ全然。試行錯誤をまだしているので。いろいろ音楽的な提案がドカさんからはあって。
TOP DOCA:
今はジャマイカ色を持ち込すぎてて。もっと幅広くいきたいなと思ってます。
内藤佑樹:
僕自体はわりとパンク、ポストロック、ポストロックからマスロックにいって、セッションズを始めるまではそのあたりの要素で出来上がっていた人間で。ジャマイカはしっかり通っていなかったけど、スカでいうとパンクのハイスタから始まっていろいろ辿った流れで2トーンのスペシャルズまでは聴いていました。そこからルーツのジャマイカまでは行ききらず、でもかっこいいと思うものは広く聴いて、みたいな音楽遍歴でした。マスロックでは、バトルス(Battles)っていうアメリカのパンドがいて。変拍子のバンドで。
セッションズを始めた時は、バトルス的なものと太鼓を合わせたアレンジもやっていて。そのうち、ネオ・ソウルとかロバート・グラスパーも良いなと聴いてた時「なんかめっちゃドラムの人、アフロじゃん」と。ロバート・グラスパーのバックのクリス・デイヴっていうドラマーがアフロビートを多用するんです。それでアフロっぽいアレンジをしていったり。
メンバーのルーツ的にはパンクとかロックを通ったメンバーが何人かいて、ドカさんから提案されたジャマイカ的なものを僕らが解釈すると、メンバーのフィルターで変換して吐き出される感じなんですよね。それで出来上がっている。でも、ドカさんからの影響は相当受けていますね。特に僕は。スカ、カリプソとか
田中克海:
ドカさんがプロデューサーなんですよね?
TOP DOCA:
そうそう。そっちしかできないから。俺がレーベルやってるから、レーベルで出したい音源をやってもらって。それがつながってる感じですよね。
内藤佑樹:
でも、僕もまったく自分にないものはシャットアウトしちゃう。性格上できない。ただ、カリプソって言われて、自分の中にあるカリプソってなんだ?ってなったら「ああ、細野晴臣かな」って考えると、細野さんの中に唯一手掛かりがあって「ジャック・スパロウは細野さん→ヴァン・ダイク・パークスの流れでちょっと聴いていたな」となると、そこから糸口が見えて、それならイケるかも?みたいな感じになっていく。
そういう意味だと細野さんの要素は相当大きいですね。そもそも、お祭りをやっている人たちはこれ(吉原祇園太鼓)をルーツ・ミュージックってあんまり思わないんですよ。
田中克海:
そうなんだ。
内藤佑樹:
お祭りでお囃子をやっている人は、お囃子を自分の育った音楽とはあんまり思わない。身近すぎて。各町内の青年にはバンドやっている人もいたりとかいますけどね。川島さんも音大行ってサックスやっていたり。お囃子って「お囃子」としてしか考えられないと言うか。「音楽」だと思ってなくて。
田中克海:
スポーツみたいな?
TOP DOCA:
そうそう、クラブ活動のような。生まれた時からあるものだし。
ーーー後編へと続く