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BELLRING少女ハート 富永咲良「甘えた自分を捨てて、がむしゃらなアイドルになりたかった」

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「BELLRING少女ハート(以下、ベルハー)」は再結成から1周年に当たる2024年4月16日、恵比寿LIQUIDROOMでワンマンライブ「Bad Rich Grumpy Head “BRGH”」を開催する。本公演に先駆け、各メンバーにアイドルを目指した背景やベルハーを選んだ理由などについてロングインタビューをした。第1回は、5人目のメンバーとして23年11月に追加で加入した富永咲良だ。富永咲良は21年間の人生のほとんどをアイドルに費やしてきた。中学校進学後は小遣いの大半をアイドルにつぎ込んだという。それほどのめり込んだアイドルという職業を自身も選択することは、自然な流れだった。だが理想と現実のギャップに悩み、アイドルを辞めようと考えたこともある。目指す理想のアイドル像、キーワードは「がむしゃらさ」だ。

BELLRING少女ハート 公式

BELLRING少女ハート 公式X(旧Twitter)

富永咲良 公式X(旧Twitter)

●公演情報
BELLRING少女ハート ONEMAN LIVE Bad Rich Grumpy Head “BRGH”
日時:2024年4月16日(火)
開場/開演:18:45/19:30
会場:恵比寿LIQUIDROOM
チケット購入:https://t.livepocket.jp/e/brgh0416


――お父さんもアイドル好きだと聞いています。咲良さんがアイドルを好きになったきっかけは父親の影響だったのでしょうか。

富永咲良(以下、咲良) むしろ逆で、私の付き添いでアイドルのライヴに通っているうちに、父も興味を持ってくれるようになりました。アイドルに興味を持ったきっかけは小学校の行事です。小学3年生のときに上級生の提案で、ももいろクローバーZ(以下、ももクロ)の「怪盗少女」を踊ったことをきっかけにももクロが好きになりました。

 私がももクロ好きであることを知った父は、クルマで移動中に怪盗少女以外の曲も流してくれるようになりました。いろいろな曲を聴くうちに大好きになり、気づいたら夢中になっていきました。私が特に好きな曲は「ワニとシャンプー」です。

 そのうちに、父がももクロのライヴに連れていってくれるようになりました。最初は親として子どもの付き添いでしたが、ライヴに通ううちに、父もももクロに夢中になっていきました。

――ももクロの何が子ども心をそこまで夢中にさせたのでしょうか。

咲良 好きな気持ちが加速したのはライヴに行くようになってからだと思います。ももクロのライヴはメンバーがとにかく「がむしゃら」に全力でやりながら、同時にとても楽しそうにしています。その気持ちがお客さんに伝搬して、楽しいが広がっていく。それがももクロのライヴの魅力だと思います。ライヴでの演出にも感動しました。

 ももクロは小学生以下の子どもを含む親向けの「お子様ファミリー席」がある子どもにもやさしい現場でした。親が気軽にライヴに連れていきやすい環境だったことも、私が夢中になれる一因だったのだと思います。

――学校の同級生にもアイドル好きはいたのでしょうか。

咲良 周りの友だちは有名なアイドルグループの曲を流行歌として聴いている程度で、趣味と言えるほどアイドルが好きな子はいませんでした。

 中学校に進学してからはももクロだけではなく、スターダストプロモーション(ももクロをはじめ、複数のアイドルグループを配する芸能事務所、以下スタダ)のアイドル全般にはまり、「趣味はスタダ」という学校生活でした。

 学校では私がアイドル好きであることは周囲は知っていましたが、その話題を話せる友だちはいなかったので、“普通の子”を演じていました(笑)。

――どれぐらい重度のアイドル好きだったんですか。

咲良 お小遣いも(クリスマスなどの)プレゼントもすべてアイドルにつぎ込むような子どもでした。祖母にプレゼントとして、私立恵比寿中学やチームしゃちほこ(現TEAM SHACHI)のライヴのBlu-rayをねだったときは、「こんなのでいいの?」と笑われました。それぐらい、私にとってアイドルは青春でした。

 中学生のころは土日の全てをアイドルのイベントに充てるような生活です。参加していたイベントは女性限定エリアがあったので、その中で友だちができて、同じ趣味を持つグループのコミュニティーが広がっていきました。

 ですが、それだけアイドルに夢中になれたのは父の存在が大きい。趣味を認めてくれて、アイドルにお金を使うことをいとわない家庭環境で育って幸せです。人に話すと驚かれますが、好きなものを一緒に楽しんでくれる父がいたことはとてもありがたかったです。

――ももクロだけでなく、スタダのアイドル全般を好きになったきっかけはありますか。

咲良 スタダのグループが複数出演するイベントで、運よく抽選で最前列のチケットが当たったことです。そのころには父と父の友だち、そして私の3人でアイドルのライヴに行くことが増えていました。

 ただ、そのイベントはとても人気で、チケットを3人の横並びで購入することができませんでした。そこで個別に申し込むことになり、そのうちの1枚が最前列だったので、せっかくだから見ておいでと背中を押されて、最前列でのライヴを体験することになりました。

 そこで出合ったのが、ときめき♡宣伝部(現超ときめき♡宣伝部、以下とき宣)です。イベントの翌日に無料ライヴをやることを告知していたので、すぐに父に話すと、連れていってもらえることになりました。

 そのイベントでとき宣のメンバーと握手をしたり、ツーショット撮影をしたりしました。そのときは「推しメン」という存在が定まっていなかったので、くじ形式でツーショットを撮れるメンバーが決まる特典会に参加しました。最初のイベントでは、とき宣についてまだあまり知らなかったので、初めての特典会はただ楽しいという思い出だけが残り、緊張はしませんでした。

 ですが、とき宣の坂井仁香さんを推しメンとして応援しようと決めた後の特典会は、緊張で全く話せませんでした。たどたどしい言葉で、「推しています」ということを伝えるだけで精いっぱいでした(笑)。

――青春をアイドルにささげる中で、いつごろから自分自身もアイドルとして活動したいと考えるようになったのでしょうか。

咲良 アイドルになりたいと自覚したのは中学2年生のころです。もともとモデルなど、芸能の仕事に対する憧れはありました。アイドルファンとしてイベントに参加するうちに、同年代の子がステージのうえでキラキラと輝いているのを見て、自分自身もステージに立ちたいという憧れの気持ちが強くなりました。

 また、アイドルファンのコミュニティーが広がる中で私も楽しませる側になりたいと思い始めました。

 実際にアイドルとして活動し始めたのは中学3年生のときです。そのころは、ライヴハウスを中心に活動するアイドルにはまっていました。規模は小さくても、メジャーなアイドルとは異なる熱い世界が広がっていることを知りました。そのときに好きだったグループの所属事務所が、新グループ結成に向けてメンバーを募集していたことが挑戦のきっかけになりました。

 加入したグループのメンバーは私だけが中学生だったということもあり、加入直後はなかなかグループ内で打ち解けることができませんでした。それでも最初の1年はとても楽しかった。憧れだったももクロのようにがむしゃらに活動しようと一生懸命ライヴに臨みました。それから、好きだったアイドルと共演して、同じステージに立てることも活動のモチベーションになりました。

 最初は憧れの世界に飛び込めたことが活動のモチベーションになっていましたが、グループとして活動期間が長期化したり、メンバーが入れ替わったりする中で、徐々になあなあになってしまってはいないかと悩むことが増えました。

 そこで、1つ目のグループが解散することが決まったときに、「もっと向上心を持って活動できる意欲的なグループをつくりたいです」と、当時のマネジャーに直訴して、新グループを結成しました。

 ですが、そのグループもやはり高いモチベーションを維持させることは難しかった。アットホームな雰囲気のライヴや現場は楽しくて、とても居心地がよかったです。「人を楽しませる側になりたい」というアイドルを目指した最初の目標は、一定程度はかなえられていました。同時に、「がむしゃらさ」という面では今のままでいいのだろうかと葛藤しました。

 頭を悩ませる中で、私はアイドル活動にがむしゃらになることはできないのではないか、そもそも向いていないのではないかという諦めの感情が芽生え始めました。アイドル側ではなく、お客さんとしてライヴを楽しんでいるほうがよかったのではないかと考え、アイドルを辞めることも頭をよぎりました。

 それでも、(国内最大級のアイドルイベント)「TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)」のような大舞台に立つという夢の一つも果たさないまま、アイドルを辞めることはできないと諦めきれませんでした。

 今を失うのが怖いという気持ちから、なかなか足を踏み出せずにいました。大学2年生のときに、いよいよ残された時間が短くなる中で、ようやく新しい道を探す決心がつきました。

 前の事務所に不満はありません。ですが、何年もお世話になる中で、(メンバーやスタッフと)親密になりすぎて、甘えている自分がいました。その甘えた気持ちを捨てたいと考え、環境を変えることを決意しました。

 とはいえ、次のグループが決まる保証もありませんし、自信もありません。もしかしたらアイドルを辞めることになるかもしれない。それでも不退転の決意で事務所を退所しました。

――そこから一念発起して、ベルハーのオーディションに参加します。これまで話に挙がったアイドルグループとは曲調も世界観も大きく異なりますよね。衣装も黒一色で見た目上のキラキラ、カラフルというイメージとは遠いグループです。

咲良 確かに、アイドルになりたいと思った当初にやりたかったのは明るくて、カラフルで、かわいいグループです。ですが、今回は「がむしゃらにできるグループ」という視点を自分の中で最優先事項にしました。

 また、アイドル活動をする中でBiSHを知り、アイドルでもかっこよくて、ロックな音楽をできるということを知りました。幼稚園の頃から(ロックバンドの)チャットモンチーが好きで、「シャングリラ」はカラオケの十八番。バンド音楽も好きだったので、そういう音楽をアイドルでもできるという選択肢があることを知りました。BiSHを好きになったことで、自分の中の選択の幅が広がりました。

――その中でどうやってベルハーにたどり着いたのでしょうか。

咲良 アイドルオーディションの情報サイトを見ている中で知りました。ベルハーのことは知らなかったのですが、MIGMA SHELTERはライヴを見たことがあったので、同じ事務所であることを知りました。

 YouTubeで過去のベルハーのライヴ映像を見たときの最初の印象は、全てをパフォーマンスにかけているというがむしゃらさです。そこにしびれました。

 実はベルハーを受ける前に、(元BiSのプー・ルイが手掛けるアイドルグループ)PIGGSのオーディションを受けて落ちてしまいました。その経験で大きな学びを得ました。 

 「歌もダンスもうまくなくていいから、(観客を)泣かせる気持ちでやれ」と発破をかけられ、練習もしたし、がむしゃらにやったつもりだけど、伝わらなかったから落選した。自分の気持ちが伝わらないのはなぜだろうと振り返る中で、取り繕ってしまう自分がいたことに気付きました。

 ベルハーのオーディションでも最終と言われていた面談で、「引っかかることがある」として保留されて、再面談になりました。何が理由だったのかは分かりません。ですが、PIGGSのオーディションの経験から、また取り繕っている自分が顔を出しているのではないかと考えました。

 加入した今だからこそ分かりますが、他のメンバーと比較してもベルハーに対する熱量が足りていなかったことが引っかかったのではないかと思います。そこで気持ちを切り替え、もう一度、しっかり過去のベルハーのライヴ動画などを見て研究し、入りたい気持ちを真剣に伝えるための努力をしました。

――合格してから、23年11月7日のプレデビューまで期間がかなり空きました。現在のベルハーは活動を開始してから1年未満と日は浅いですが、それでもあとから1人で加入することに対して不安はありませんでしたか。

咲良 加入までの期間は体力づくりを頑張りました。それから、ベルハーの研究にも時間を費やしました。過去のベルハーのライブ映像をたくさん見たり、現メンバーのライブ映像はあまり公開されていないので、メンバーに内緒で実際にライブに行ったりしました。

 加入する上での不安は、すぐに解消されました。人見知りなので打ち解けられるかが心配でしたが、オーディションのときから他のメンバーがやさしく接してくれたので怖い気持ちはなくなりました。加入してまだ1カ月半ですが、長い期間一緒にやってきた仲間のように受け入れてくれています。私が加入することで、4人で取れていたバランスを壊してしまうのではないかという不安は、デビューライブを迎えるまでには払しょくされていました。

 ベルハーはメンバー、スタッフのチーム全員がベルハーを第一に考えて活動している印象を受けています。「伝説のグループ」と呼ばれた過去のベルハーを超えたいと、全員が本気で考えています。ライヴごとにかける意気込み、ライヴ前の雰囲気、レッスンに挑む姿勢、色々な企画の実施やダイジェスト動画の制作など、関係者全員がグループを大事にしていることが伝わってきます。

 (23年11月22日に発売した現体制の新曲)「She’s Rain」もすごくこだわってつくられていて、妥協を見せない姿勢に刺激を受けています。メンバーもそれぞれ個性的で自我はあるけど、自己中心的にならず、バランスを取ろうとしているのが伝わってくるので活動しやすいです。

 デビューライヴの直前は緊張しましたが、やっと出られるという思いのほうが強かった。もちろん、既存のファンに受け入れてもらえるだろうかという不安はありました。でも、その不安はライヴ中に消し飛びました。

 「c.a.n.d.y.」のサビでたくさんのお客さんがステージに向かって手を伸ばしてくれている光景を見て、熱気が伝わって鳥肌が立ちました。追加メンバーの私が、一回のライヴで全てのファンの方から受け入れてもらえないのは当然のことだと思います。でも、それは活動する中で認めてもらえるように努力すればいい。そんな風に前向きな気持ちになれました。

――一度、ライブ後に一人で涙を流していたことがあると聞きました。どういう感情から溢れ出た涙だったのでしょうか。

咲良 自分に対して満足できない悔しさから出た涙でした。新メンバーなので仕方のないことですが、当時のライヴでは(ダンスの振り入れなどが終わっておらず)出られる曲と出られない曲がありました。ステージからはけて、再び合流するときに、3人がつくったステージの空気を壊してしまうのではないかという不安や申し訳なさがありました。

 ですが、出演できる曲数の問題は活動をする中で自然と解決していくことです。これからは自分に自信をつけるために、もっとしっかり者になることが目標です。ベルハーの中でも年長組なので、困っている子がいたら、手を差し伸べられる存在になりたい。今は助けられてばかりですが、お互いにサポートし合えるような関係を築きたいです。

 パフォーマンスでは身長の高さを生かしたい。初めてライヴを見るお客さんは、客席の後方で見ていることが多い。そういうお客さんにも届くようなパフォーマンスをできるように、富永咲良流のライヴを確立したいです。

 実力はまだまだだし、できていないこともたくさんありますが、やりたかったことはやれています。ベルハーに加入できてよかったと心から思っています。

――ベルハーは、もともとディレクターの田中(紘治)さんがももクロに大きな影響を受けて始まったグループです。咲良さんはももクロのライブの「がむしゃらさ」に夢中になり、そういうアイドルになりたいと思ったと最初に仰っていました。そういう観点では、ベルハーへの加入は原点回帰かつ、不思議な運命でつながっているのかもしれませんね。

咲良 ベルハーは曲もダンスも大好きです。ライヴは体力不足を感じることもありますが、楽しくないと思ったライヴはこれまで一つもありません。ここでなら、がむしゃらなアイドルになれると思っています。

――話は変わりますが、咲良さんといえばバイク乗りでもあります。最近は大型バイクの免許も取得しました。

咲良 バイクも父の影響です。小さなころから、父のバイクの後ろに乗せてもらって、いろいろなところに連れていってもらいました。乗っていることが当たり前の乗り物だったので、自分も運転したいと自然と思いました。いつかは免許をとろうと思っていたので、高校2年生のときに中型免許を取得しました。

 今、私が乗っているバイクはHondaの「Rebel 250」です。大型免許を取得したので、いつかハーレーダビッドソンのバイクに乗るのが夢です。そのためにもベルハーで売れて、ハーレー乗りのアイドルになりたいです。

●公演情報
BELLRING少女ハート ONEMAN LIVE Bad Rich Grumpy Head “BRGH”
日時:2024年4月16日(火)
開場/開演:18:45/19:30
会場:恵比寿LIQUIDROOM
チケット購入:https://t.livepocket.jp/e/brgh0416

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