「BELLRING少女ハート(以下、ベルハー)」は再結成から1周年に当たる2024年4月16日、恵比寿LIQUIDROOMでワンマンライブ「Bad Rich Grumpy Head “BRGH”」を開催する。本公演に先駆け、各メンバーにアイドルを目指した背景やベルハーを選んだ理由などについてロングインタビューをした。最終回は葵みとだ。現在のベルハーのメンバーのうち、ただ1人、22年結成の期間限定グループ「BELLRING少女ハート ’22(以下、ベルハー’22)」を経て加入した。同グループは結成時点で活動期間が約1年と定められていた。加入時点で解散が決定づけられたグループへの加入に迷いはなかったのか。また、葵みとから見た現在のベルハーとベルハー’22の違いとは何なのか。本音で語った。
●公演情報
BELLRING少女ハート ONEMAN LIVE Bad Rich Grumpy Head “BRGH”
日時:2024年4月16日(火)
開場/開演:18:45/19:30
会場:恵比寿LIQUIDROOM
チケット購入:https://t.livepocket.jp/e/brgh0416
――葵みとさんといえば、ベルハーのイベントでもよく弾き語りをしています。ギターはいつから始められましたか。
葵みと(以下、みと) ギターを始めたのは小学4年生のころです。「全国高等学校サッカー選手権大会」の応援歌に採用された(シンガーソングライターの)大原櫻子さんの「瞳」を聴いて、いつかシンガーソングライターになることを夢見る少女でした。
もともと弦楽器には興味があり、ギターとバイオリンでどちらをやるか迷っていました。バイオリンに挑戦したこともありますが、私は歌を歌いたかったので、弾き語りができるギターを選びました。
――そんなに小さなころからギターを始めていたんですね。何をきっかけに音楽が好きになったのでしょうか。
みと 物心がつく前から歌ったり、踊ったりすることが大好きでした。記憶に残っている中では、小学1年生のときに(シンガーソングライターの)植村花菜さんの「トイレの神様」にはまったことが大きなきっかけだと思います。なぜそれほどひかれたのかはあまり記憶にないのですが、とにかくずっと歌っていたことを覚えています。
段ボールとたこ糸を使って、自作のなんちゃってギターをつくり、家族の前で披露したこともあります。当時は「ピック」という存在は知りませんでしたが、何かしら弦を弾く道具が必要なことは子どもながらに分かっていたので、ピックも段ボールでつくって弾いていました。
――ではギターを始めるのは自然な流れだったということですね。
みと そうですね。腕の骨折の治療で、リハビリをがんばったごほうびとして、両親にヤマハのアコースティックギターの初心者セットを買ってもらい、それから練習し始めました。最初の2年間は教則本などを参考に独学で練習していましたが、その後に音楽教室に1年間通いました。その教室で、初めて譜面通りにしっかり曲を弾けるように完成させたのは(シンガーソングライターの)miwaさんの「ヒカリヘ」です。
――小学校でギターを弾ける子は珍しかったんじゃないですか。みとさんはどんな子どもだったんですか。
みと とにかく好奇心が強い子どもで、様々な習い事に挑戦しました。バレエ、英会話、日本舞踊、サッカー、ダンス、卓球、一輪車などを習っていたことがあります。どれも自分で習いたいと言い出して、教室などに通わせてもらいました。小学校でギターをやっている子は珍しかったですが、他にもう1人弾ける子がいたので、ギターの話はその子としていました。
小学生のころはとにかく活発で、学校でも委員長や係などの募集がかかると、真っ先に進んで立候補していました。運動会の応援団に所属していたこともあります。家に帰ると、廊下にランドセルを置き、外に遊びに行き、チャイムがなるまで遊んでいて、家にいることのほうが少ない子どもでした。
――「家から一歩も出ずに休日を終えた」とSNSに投稿することもある今のみとさんからは、なかなか想像がつきませんね(笑)。その中で特に続いたのはどの習い事ですか。
みと 一番続いたのがダンスです。幼稚園のときにバレエを習い始め、その後、ダンス教室でヒップホップダンスと出合って夢中になり、中学1年まで7年間にわたって習っていました。
――それほど夢中だったダンスを辞めてしまったのはなぜですか。
みと もともと身体があまり強いほうではなく、中学2年生のときに持病が悪化し始め、運動や紫外線に当たることなどを主治医から制限されました。そのため、続けることは難しいと判断してダンスを習うことは辞めました。
ですが、そのときにもギターが心のよりどころになり、学生生活を送ることができました。家にいる時間が増える中で、自然とギターを触る時間も増えました。そのころにはスマートフォンを持っていましたが、SNSやゲームをあまりやらなかったので、とにかくギターばかり弾いていました。
――学校では部活などには所属していなかったんですか。
みと 本当はバスケットボール部かサッカー部に入りたかったのですが、体調を考慮して、E.S.S(イングリッシュ・スピーキング・ソサエティー=英語部)部に入部しました。部長を務めていたこともあります。それから中学校ではバンドを結成しました。軽音楽部はなかったのですが、先生に直談判してやらせてもらいました。
――すごい行動力ですね。メンバーはどうやって集めたのでしょうか。
みと キーボードはもともと友だちだった子にお願いしました。ボーカルもとても歌が上手な子がいたので声をかけて誘いました。ベースやドラムは先生や友だち伝いに紹介していただき、結成できました。放課後は夜遅くまで練習していたので、学校にいる時間は比較的長いほうだったと思います。
――シンガーソングライターを目指していたのに、ギターボーカルではなく別にボーカルを採用したんですか。
みと 確かに、振り返ればなぜギターボーカルじゃなかったのかなと、自分でも不思議のに思います。そのときはエレキギターに専念してみたかったんだと思います。特定の好きなギタリストやバンドがいたわけではないのですが、エレキギターに憧れがありました。弾き語りなら一人でできるけど、バンドならギターという感じで分けていました。
バンド活動では、学校公認の部活やクラブ活動ではありませんでしたが、学校行事で演奏できました。海外の学校との交換留学生制度があったので、留学生を歓迎するためにアニソンをバンドで演奏したことがあります。また3年生のときの「三送会(3年生を送る会)」では送られる側なのに、自らレミオロメンの「3月9日」を演奏しました(笑)。小学生のころから、人前に立つことは好きでした。
高校に入ってからは軽音学部に所属し、3つのバンドを掛け持ちしていました。1つはガールズバンドでギターを担当していました。2つ目は私以外が男子のバンド、3つ目は男女混合バンドでギターボーカルを担当していました。高校生活は新型コロナウイルス禍中でしたが、学園祭などで演奏することができました。
ですが、高校生になったころから少しずつ人付き合いからは離れていきました。バンドメンバーと学校帰りに寄り道することはありましたが、休日に朝から遊ぶことや人混みの中に出かけることが持病の関係で難しかったことから、自然と遠ざかったのかもしれません。高校生のころに休みの日に友だちと遊んだ回数は、両手の指で足りるぐらいだと思います(笑)。
――音楽を仕事にしたいと考えたのはいつごろですか。
みと ギターを始めたときから、いつかシンガーソングライターになりたいとは漠然と考えていました。高校サッカーの応援歌を歌うことは今でも私の大きな夢の一つです。高校生のころには(動画配信サービス)「LINE LIVE」で配信をしていたことがあります。家にいる時間が長かったので、最大で丸1日配信したこともあります。基本的には2~3時間、弾き語りをしたり、おしゃべりしたりしていました。
このころ持病が悪化するのが怖くて、学校以外の時間をほぼ自分の部屋で過ごしていたので、部屋から配信できる、みんなに歌を聞いてもらえる、おしゃべりができるLINE LIVEは私にとってかけがえのない大切な世界でした。LINE LIVEで夢を応援してくださる方々に出会うことができ、色々なことに挑戦させていただいたり、沢山の思い出をつくったりできたのでLINE LIVEを始めてよかったと思っています。
その活動を通じて、高校2年生のときにガールズバンドを結成するためにギタリストとしてスカウトされたことがあります。デビューに向けて約1年間、ギターの練習やレッスンをしていたのですが、事務所側の意向で白紙になってしまいました。ですが、メンバーの中にはメジャーを経験している方もいて、一緒に活動する中で刺激を受け、音楽で生きていきたいと明確に考えるようになりました。
アイドルという道を考え始めたのは、LINE LIVEを通してファンの方から「BiSH」を教えていただいたことがきっかけです。それまで踊りはヒップホップダンス、歌はシンガーソングライターやバンドが中心だったので、アイドルは縁遠い世界だと思っていました。
自分の思い描いていたアイドルとは全く異なるBiSHの曲やコンセプトに衝撃を受けました。BiSHと出合い、私の中に「アイドル」という世界ができました。楽曲もパフォーマンスも完全に心を奪われ、自分の中でアイドルを好きになるのはこれで最初で最後になるだろうと思っていました。
――シンガーソングライターではなく、アイドルを志した理由はありますか。
みと 大学1年生のとき、自分に合う治療薬と出合い、※寛解状態(症状や検査異常が消失した状態)を保つことができるようになりました。今なら、ずっと大好きだったダンスも踊れるし、思う存分ステージで自分を表現できると思い、アイドルになることを決意しました。歌やダンスを踊ることで、誰かの生きる希望になりたいという気持ちが強くなりました。
※クルマや電車移動時の席位置の配慮、野外での特典会時の紫外線予防など、メンバーとスタッフが協力して、健康に気遣った活動を心掛けている。
――その後にベルハーと出合います。
みと オーディションサイトを見ているときに、ベルハー’22の新メンバー追加募集を目にしました。その募集要項に張られていた、ベルハー’22の恵比寿LIQUIDROOMでのライヴのダイジェスト動画を見て、衝撃を受け、気づいたときには応募していました。
最初は(ベルハーが所属する)AqbiRecの事務所で歌とダンスの審査をしたことを覚えています。その後、最終審査に参加し、そこで初めてベルハー’22のメンバーの小河原唯(現Finger Runsの小笠原唯)さんと話しました。そのときは好きな食べ物とか、他愛のない話しかした覚えがないのですが、合格させてもらえました。
(ベルハー’22のメンバーが兼務する)MIGMA SHELTERの活動がとても忙しい時期だったので合格後には、唯さんが新グループ始動準備の中、振り付けなどを教えてくれました。
――ベルハー’22は最初から期間限定で活動することが決まっていました。つまり加入した時点で、解散が決定づけられていたわけです。どういう思いを持って加入したのでしょうか。
みと そうですね。加入直後はベルハー’22として活動するので、長く活動するという条件はありませんでした。応募した時はベルハー’22のメンバーの中に自分も入りたいという気持ちしかなかったので、期間限定やすでに決められている解散について自分の中で重要ではありませんでした。
3回しかライヴをできなかったので、正直ベルハー’22として、もう少し活動したかったという思いはあります。ですが、短い活動期間でもベルハーの曲やライヴでの雰囲気が大好きになりました。
実は(ベルハーのディレクター)田中(紘治)さんから、「AqbiRecにはMIGMA SHELTERや新グループなど、複数のグループが所属しています。ベルハー’22の活動終了後にどうしたいですか」と尋ねられたことがあります。そのときに私は「ベルハー以外は考えていません」と答えました。もしベルハーが続かなければアイドルは辞めるつもりでした。
――ベルハー’22と現在のベルハーの両方で活動した経験のあるたった1人のメンバーです。みとさんから見て、両グループにはどのような違いがありますか。
みと ベルハー’22は、イメージが22として完成されています。プロフェッショナルなメンバーで構成されていて、完璧主義で魅せるステージを徹底していたと思います。立ち位置や振りつけをよりシビアにそろえていた印象があります。コロナ禍での活動で、今みたいにファンの皆さんが声を出すことは難しかったことも影響しているかもしれません。
一方で、今のベルハーのライヴはメンバー全員ががむしゃらに成長している途中。未完成の自分たちがそれでも必死にあがいて、ステージをつくっています。
――活動する上での違いはありますか。
みと ベルハー’22のときは初めてのアイドル活動だったこと、また気後れしたつもりはないのですが、経験豊富なメンバーの中にはいったので、心のどこかでこの世界観を崩してはいけないと、遠慮していた面があったと思います。練習でやったことはできるけど、溶け込むことを優先し、それ以外のステージ上での振る舞いは他のメンバーにリードしてもらう、受動的なパフォーマンスでした。
ですが、今のベルハーでは自分が前に出るタイミングでお立ち台に乗ったり、ダンスが自由なパートでは思うがままに自分を表現してみたり、周囲に気を配りながらも、自発的にパフォーマンスをするようになりました。それを見て、次に他のメンバーがそれぞれの考えの下で自由に動くといったように、全員で数珠つなぎのようにステージをつくっているような感覚です。
――ベルハー’22での経験は今のベルハーにも生かせていますか。
みと どれだけぎりぎりでダンスの振り入れをしても、ステージ上では不安な表情を浮かべずに堂々とパフォーマンスをするという精神的な強さは、ベルハー’22での活動で身に付きました。
今のベルハーの活動の中でも、病欠やメンバーの家庭の事情などでライヴに参加できる人数が変わり、直前でフォーメーションが変わることがあります。そのときにも慌てることなくステージに上がれているのは、ベルハー’22での経験があったからこそです。短い期間でしたが、ベルハー’22を経験できたことは今のベルハーで活動していく上で、とてもいい方向に作用していると思います。
――ベルハー(3期)向けにつくられた楽曲「She’s Rain」は、みとさんを軸につくられた印象があります。
みと She’s Rainは、(国内最大級のアイドルイベント)「TOKYO IDOL FESTIVAL 2023(TIF)」で、ベルハーが出演するはずだった「Sky Stage」でのライヴが、雨天中止になったことになぞらえて、悔しい思いをした私たちの気持ちが表現された曲だと思っています。それとともに、偶然かもしれませんが私の人生とリンクする歌詞があり、曲を初めて聴いたときから、どこかに自分という存在がいるという印象がありました。
曲の歌いだしで、フリーダンスのパートをいただいたので、自分の想いを十分に表現できることも、自分らしいと感じる要因かもしれません。他の曲も大切ですが、She’s Rainは初めて自分たちのためにつくられた曲なので、たくさんの歴史を刻んで、自分たちの色をつくっていきたいです。
――今のベルハーが結成されて、まもなく1年が経とうとしています。結成1周年記念ライヴでは、憧れのベルハー’22と同じLIQUIDROOMのステージに立つことになります。
みと 今のベルハーでの活動は楽しいし、客観的に見ても面白いグループだと思います。でも、まだまだパフォーマンスを高めるためにできることはたくさんあります。基礎はもちろんですが、もっと曲ごとのキャラクターを際立たせていきたいです。
例えば、暗い曲でも、「暗さの質」は曲ごとに異なります。1周年ワンマンライヴに向けて、そうした曲の持つポテンシャルを引き出せるように、表現力を高め、洗練されたパフォーマンスをできるようなグループを目指したいです。そして、このLIQUIDROOMで、憧れていたベルハー’22を自分の中で超えたいです。
●公演情報
BELLRING少女ハート ONEMAN LIVE Bad Rich Grumpy Head “BRGH”
日時:2024年4月16日(火)
開場/開演:18:45/19:30
会場:恵比寿LIQUIDROOM
チケット購入:https://t.livepocket.jp/e/brgh0416