2023年夏、ソロ作品では初となる全国流通アルバム『The Unforgettable Flame』をリリースし、その後も会場限定盤・自主制作音源のサブスク解禁や新曲の配信リリース、2024年3月には同アルバムのLP化など、活発な活動を続ける岡山健二(classicus / ex.andymori )。そんな彼にとってひとつの節目を迎える2024年、OTOTSU独占で岡山の音楽人生の振り返りと今後を深堀りしてゆく新連載が、2024年1月からスタート。
毎月第4木曜日更新 / 全12回予定。
文:岡山健二
編集:清水千聖 (OTOTSU編集部)
「光」というアルバムは、元々はミニアルバムを作るという流れから始まった。2011年の秋頃から続いていたツアーがひと段落ついたかと思ったら、そこから休む間もなく、バンドは次の制作に入っていった。
自分はその頃、中央線を新宿から40分ほど下ったところにある国立という街に住んでいた。新しい環境にも慣れ、少し余裕が出てきた時期だった。
ツアーが始まる前に、ラディックというメーカーのドラムセットを買い(今も使っているオレンジ色のセット)以前より楽器の音色のことを考えるようになっていた。
自分が手に入れたセットは1969年製と古く、叩いてみると、それまで聴いてきた60〜70年代の音楽で聞こえてくるドラムの音と大体同じような音がした。
そのセットを買う3年ほど前に、同じメーカーのスネアドラム(小太鼓)を手に入れ、ずっと叩いていたので、自分がそのメーカーの音が好きなのは知ってはいた。LM-400という明るく、あたたかな音のするスネアドラムで、調整具合によっては高い音も低い音も作れるし、何より素朴な音がするのが気に入っていた。
前作の「革命」では、パールという日本のメーカーのドラムセットをレンタルして録音しており、立体的な音像はカッコよかったのだけど、次は少し違う感じにしてみたかった。
そういえば自分がバンドに入った頃、それまでのandymoriを知っていた人たちはドラムが変わって良くなくなった。というよりかは、もっと言うと、自分のことを酷評している、という話をよく聞いた。
それはそうだろうと思う。(世間の反応が怖くて、ネットなどを当時、一切見ないようにしていた)バンドが何年かかけて作ってきたアンサンブルに、いきなり自分が加わって何週間でステージに立つことになっていたわけで。
うまくいく曲と、そうでない曲があった。でも、それも実力なのだろう。悔しさはずっとあったが演奏は続けた。
新ドラマーも良いと言ってくれる人もいたとは思うが、前のドラマーの方が良いと言う人の方が多かったのではないだろうか。自分も好きなバンドがいたとして、そのバンドのドラマーが変わったりするのは、やはりあまり受け入れられないから。
自分は基本、2代目ドラマーという立場が多かったので慣れてはいたものの、この時ばかりはどうにもできなかった。一度そういう印象を持たれてしまったら、それを覆すのは、なかなか難しいことだと思った。
まあ、でも続けていたら、自ずと、そういったことも気にならない日が来るんじゃないかなと、半ば諦めも入りつつ、目の前のことをやっていこうと考えていた。
何となく自分の印象としては、andymoriに途中から参加した人と、みんなから見られていると思っていたのだけど、自分が加入してから作った「革命」からandymoriを聴き出したという人もけっこういて、意外だった。当然といえば当然のことなんだけど。
メンバーやスタッフといる以外は、1人でいることが多かったように思う。大きな会場でドラムを叩いたあと、家に帰ってきて、洗濯物をしたり、本を読んだりするのが好きだった。
ディレクターにレコードプレーヤーを譲ってもらったのもこの時期で、そこからレコードを買い集めるようになった。元々、自分はいろんなジャンルのCDを買い続けてきたので、その対象がCDからレコードに変わったというだけなのだけど。
レコードは、CDに比べると臨場感、古い音楽だと、その時代の空気が伝わってきたり、演奏者の気配のようなものまで含めて聴こえてくる感じが、好きというか、その音楽のことがよくわかるので、このアルバムはこうだったから、あのアルバムはどうなんだろうと、他のも、どんどん聴きたくなり、部屋のレコードの枚数は瞬く間に増えていったのだった。
「光」の録音は、そういった時期に行っていた。かといってドラムをレコードで聴くような音にしたいと強く思ったわけではない。
今回改めて、この頃のことを思い出してみたら、この録音の時期と、レコードに熱中し出した時期が大体同じだったんだなということに気づいたのだった。
あと、この頃のことで、何か思うことがあるとしたら、自分が必要以上に、いい人として認識されていたということだ。
自分は自分のことを、そこまで悪人だとは思わないけど、全然、ズルいことも、ひきょうなことも思いつく。実際にそれをやるかと言われたら、ほとんどの場合やらないというだけであって。
当時、ライブ終わりにお客さんから声をかけられたりした時の感じや、スタッフ、同業者たちが自分に接する感じはどうも「汚れのないピュアな…」といった具合で、これにはなかなか困った。
自分は昔から、ブラックな要素が強く大体のことを斜にかまえて見ているようなところがあるのだけど、例えば自分が何かを見てくだらないなと、ほくそ笑んでるとして、それを見て人は、自分が善意から笑っているのだと受け取ってしまう。「今日もニコニコと楽しそうだね」と。
ただ、自分が思う自分と、人から見た自分の像が完全に一致する人などというのは、そもそも稀というか、ほとんどそんな人はいないのじゃないだろうか。たぶん自分のそういった悩みというか、引っかかりみたいなものは大なり小なり、ほとんどの人が抱えてるものな気がする。
それに自分は、あまり口に出して思ってることを述べるタイプではなかったので、そういったことは仕方ないようにも思えた。
だけど、その時期は、自分がそうではないと思う自分像が大勢の人から、「健二くんはこういう人ですよね?」といった具合に、その型に当てはめられそうな流れがあり、このままではまずいと何かと試行錯誤をしていた。
近くにいる人たちには説明できたとしても、お客さんたち1人1人に説明して回ることはできないし、こんなことを気に病んでも仕方ない。日々やることはたくさん押し寄せてくる。
せめて、その時その時の気持ちを書き記していこうといった具合に、ギターで自作の曲を作り続けた。
バンドで自分の曲が使われそうな見込みは全然なかったが(向いてないとさえ言われたりしていた)10代の終わり頃から作詞作曲を始め、そこからは、外ではドラムを叩き、家ではギターとピアノで少しずつ曲を形にしていくという感じだったのだけど、何となくこの時期に、ドラムは仕事になるけど、自分の曲はそうはならないんだなということがわかった。
でも、別にかまわなかった。自分のために曲を作っていこうと思った。
たまの休みに実家の三重に帰ると、兄がMTRで自分の作った曲を録音してくれた。近所に住む村上淳也くん(現classicus)に歌とベースを頼み、どこにも発表する予定のない曲たちだったけど、数だけは増えていった。
東京でバンドを頑張りながらも、地元でもそうやって音楽を作ることができていたことが、自分にとって心の拠り所になっていた。
andymori「光」
1.ベースマン
2.光
3.インナージャーニー
4.君はダイヤモンドの輝き
5.3分間
6.クラブナイト
7.ひまわり
8.ジーニー
9.愛してやまない音楽を
10.シンガー
11.彼女
覚書
1.ベースマン
壮平さんの長年の相棒であり、我らがベースマン藤原寛に向けられた曲。ちょうど寛さんの誕生日が札幌でライブで、前乗りしてホテルで休んでいたら、壮平さんが自分の部屋にやってきて、明日この曲をドッキリで演奏しようと聴かされた曲。この曲のサビのパターンは、the clashの「should i stay or should i go?」を参考にした。
2.光
曲の導入部分をどう叩けばいいか悩んでいたら、壮平さんがこうしたらどうかと提案してくれたパターンがうまくはまった。
3.インナージャーニー
曲の途中のOM(オーム)というコーラスは、聖なる音声と言われている。実際、声に出すと喉、胸、腹と順に降りていくのがわかる。この曲と6曲目の「クラブナイト」では、当時くるりのメンバーだったファンファンがトランペットを吹きに来てくれた。
4.君はダイヤモンドの輝き
最初は壮平さん、寛さんの2人がハモっていたのだけど、男2人でこの歌詞はどうなの?笑
という話になり、結果壮平さん1人の多重録音ということになった。
5.3分間
この曲は、プリプロのヴァージョンもすごくカッコよかった。どこかに残ってないのかな。久しぶりに聴いてみたい。
6.クラブナイト
少しわかりずらいが、バスドラムは、生音と打ち込みの音を混ぜている。この曲を作ったばかりの壮平さんが、「金字塔を打ち立てた!」と言っていたのが印象的。
7.ひまわり
ビートルズの、どのアルバムにも1曲はリンゴスターがVoをとってる曲があるんだよね、という話の流れから、「健二も歌いなよ」と壮平さんが作ってくれた曲。自分は、腫れ上がったまぶたでも〜と、あの帰り道〜の部分だけ考えた。
8.ジーニー
録れ音が、ニルヴァーナのようだな、と思った記憶がある。無駄がなくていいなと思う。
9.愛してやまない音楽を
メンバーとスタッフでハンドクラップを重ねたのだけど、エンジニアが、水分を含んでいる方がいい音がすると、みんな水で手を湿らせて録音した。
10.シンガー
夏くらいに壮平さんが新曲だよと聴かせてくれて、どんなふうに叩いたらいいか考えていた。秋の楽園ツアーでも演奏していたと思うのだけど、ライブのハイライトで演奏することが多かった。レコーディングスタジオで、コーラスの割り振りを細かく考えた。
11.彼女
終わり方が絶妙だよねと、録れたテイクを聴きながら、みんなで笑ったりしていた記憶がある。力が抜けていて、いい感じだなと思う。
2012.02.09(木)
“Seoul-Tokyo Sound Bridge vol.3″/Shibuya WWW
2012.02.11(土・祝)
“version 21.1 fourth”/横浜アリーナ
2012.02.18(土)
“Seoul-Tokyo Sound Bridge vol.3″/ソウル V-Hall [弘大(ホンデ)]
2012.03.16(金)
plenty presents 「あぁ、あれは春だったね」/Shibuya WWW
2012.03.18(日)
“100分間のファンタジー 遊ぼうぜ 踊ろうぜ” ツアー/仙台 Zepp Sendai
2012.03.20(火・祝)
“100分間のファンタジー 遊ぼうぜ 踊ろうぜ” ツアー/札幌 Zepp Sapporo
2012.03.24(土)
“100分間のファンタジー 遊ぼうぜ 踊ろうぜ” ツアー/大阪 Zepp Osaka
2012.04.01(日)
“100分間のファンタジー 遊ぼうぜ 踊ろうぜ” ツアー/福岡 Zepp Fukuok
2012.04.08(日)
“100分間のファンタジー 遊ぼうぜ 踊ろうぜ” ツアー/名古屋 Zepp Nagoya
2012.04.14(土)
“100分間のファンタジー 遊ぼうぜ 踊ろうぜ” ツアー/東京 Zepp Tokyo
2012.04.15(日)
“100分間のファンタジー 遊ぼうぜ 踊ろうぜ” ツアー/東京 Zepp Tokyo
2012.05.27(日)
“ROCKS TOKYO 2012″/新木場若洲公園
2012.06.09(土)
rockin’on PRESENTS “JAPAN CIRCUIT WEST「山崎死闘編」~6.9の日~”/大阪 なんばHatch
2012.07.07(土)
“SOU FES”/日比谷野外大音楽堂
2012.07.14(土)
“LIVE FACTORY 2012″/Zepp DiverCity (TOKYO)
2012.07.20(金)
のあのわ JOINT SHOW “i like i like i like” ~3人のまっすぐな光に再会する夜~/Shibuya O-nest
2012.08.03(金)
“BONE TO RUN! YUMEBANCHI 2012″/米子コンベンションセンター BiG SHiP
2012.08.07(火)
“Talking Rock! FES.2012″/大阪 Zepp Namba(OSAKA)
2012.08.11(土)
“RISING SUN ROCK FESTIVAL 2012 in EZO”/石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ
2012.08.19(日)
“ap bank fes ’12 Fund for Japan”/国営みちのく杜の湖畔公園
2012.09.02(日)
“SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2012″/山中湖交流プラザきらら
2012.09.04(火)
“ART-SCHOOL「BABY ACID BABY」TOUR 2012″/横浜BAYSIS
2012.09.15(土)
“風とロック芋煮会2012@猪苗代湖”/猪苗代湖
2012.09.19(水)
“Beat Happening!MAX!~不知火、クアトロにて、燦然と舞う~”/渋谷CLUB QUATTRO
2012.09.22(土)
“京都音楽博覧会2012 IN 梅小路公園”/梅小路公園 ※小山田壮平のみの出演
2012.10.01(月)
“〜佐藤哲郎 presents〜 サケとカメラとロケンロー”/新宿ロフト
RELEASE INFORMATION
The Unforgettable Flame (CD&LP)
岡山健二
CD 2023.08.02 Release
LP 2024.03.20 Release
monchént records
Price:
CD 2,200 yen (tax in)
LP 4,500 yen (tax in)
★ブックレットに書き下ろしライナーノーツ掲載
★ディスクユニオン&DIW stores予約特典:
オリジナル帯
Track List
Side A.
01. intro
02. 海辺で
03. 名もなき旅
Side B.
01. あのビーチの向こうに空が広がってる
02. 軒下
03. 永遠
04. My Darling
LIVE INFORMATION
ARTIST PROFILE
1986年 三重県生まれ。12歳でドラムを始め、のちにギターとピアノで作曲を開始。19歳の時に上京し、2011年にandymoriでデビューを果たす。2014年、同バンドの解散後は、自身のバンドclassicus(ヨミ:クラシクス)を結成し、コンスタントに音源を発表。現在はソロ活動と並行し、銀杏BOYZ / miida / 横沢俊一郎などのサポート活動や、様々なアーティストの音源参加なども積極的に行っている。
【Official SNS】
岡山健二 Official SNS / リリース一覧
https://monchent.lnk.to/kenjiokayama
Classicus
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