愛知出身のシンガーソングライター、Daisuke Kazaokaのファーストアルバム『サウンドスケープ』には新しい風が吹いている。西岡恭蔵や細野晴臣からの影響を強く感じさせる歌詞、全体を覆うサイケデリック~アンビエント感覚、フィッシュマンズ以降のダブポップの手法に繋がる音作り、オールドスタイルなレゲエディージェイのトースティングを思わせるメロディーライン。それらが繊細なバランスで組み合わされているのだ。こんな音楽はあまり聴いたことがない。
彼自身はニューヨークに住んでいた時期もあり、十代のころは名古屋のハードコアなダンスホールレゲエ・シーンでアーティストとして修行していた経験もあるというが、いわゆるジャパレゲ的な雰囲気は皆無。Kazaokaがシンガーソングライターとして他に類を見ない個性の持ち主であることが伝わってくる。
日本のレゲエ、とりわけダンスホール・スタイルはジャマイカをお手本のひとつとして成熟してきた面がある。その一方で日本では70年代からレゲエのリズムを取り入れたレゲエ調歌謡曲や日本語ポップスが作られ、そうした音源は近年「和レゲエ」という言葉とともに再評価されつつある。ロンドンのTIME CAPSULEからは和レゲエ・コンピ『Tokyo Riddim 1976-1985』(平山みき、小坂忠、小林泉美、八神純子などを収録)がリリースされるなど、和レゲエに対する再評価は海外にも広がっている。『サウンドスケープ』はそんな和レゲエを取り巻く動きとリンクする作品ともいえるだろう。
突如現れた注目のシンガーソングライター、Daisuke Kazaoka。その音楽的背景に迫る。
インタヴュー・文:大石始
─Kazaokaさんのご出身は愛知ですよね。
Kazaoka:そうですね。生まれたのは名古屋の緑区で、そこで幼稚園の途中まで過ごしました。その後、愛知の日進市っていうところに引っ越しまして、そこで育った感じです。日進市は名古屋で働く人たちのベッドタウンで、学校からの帰り道には田んぼが広がっているようなところです。
─音楽を始めたのはいつごろですか。
Kazaoka:12、3歳ぐらいだと思います。そのころ日本のレゲエも流行ってたし、ラップする男性グループがたくさんいた時期で。有名なところで言うとORANGE RANGEとかケツメイシ、HOME MADE家族とか。なかでも湘南乃風にはまって、インディーズ時代のミックステープを聴いてました。その中にRYO the SKYWALKERとかFIRE BALLが入ってたんですよ。あと、2007年に愛知でやったREGGAE BREEZEっていうフェスに行ったんですよ。ちょうどスーパーキャットが来た年で、それが人生で初めてのライブ体験でした。そのころから自分でリリックを書き始めました。
─当時どうやって曲を書いていたのでしょうか。
Kazaoka:日本人のアーティストのシングルCDの最後にカラオケ版が入ってるじゃないですか。あれを使ってリリックを書いていました。それでデモテープを作ってACKEE & SALTFISHさんの事務所(錦コミュニケーションズ)に送ったら反応をくださって。高校に上がってから事務所に遊びに行くようになって、ACKEE & SALTFISHさんの出るイヴェントに一緒についていったり、REGGAE BREEZEの前座で5分だけ歌わせてもらったり。そういうことをしてました。
─そのころはジャパレゲ最盛期ですよね。マイクを持つなかでそうした盛り上がりを感じることはありましたか。
Kazaoka:僕がやっていたころは本当にピークだったので、そういうものなんだと思っていました。今から振り返ると、当時のバブルってすごかったんだなとも思いますけどね。高校3年のころにはブームが落ち着いてきたことも感じていたし、そのなかで仲間うちでも今後の身の振り方について話していたと思います。
─高校卒業後、ニューヨークに渡るわけですが、どのような思いから留学することになったのでしょうか。
Kazaoka:中学生のころからアメリカの大学に行きたいと思ってて、両親も賛成してくれてたんですよ。ニューヨークでは最終的にハンターカレッジという4年制大学の音楽学部で音楽を学んでいました。そこでは声楽や歌、コーラスの授業を受けたり、音楽理論や西洋クラシック史の授業もあったり。あと、イヤートレーニングの授業もありましたね。ぱっと聞いたものを楽譜に起こすんですよ。
─その段階ではミュージシャンとして活動するうえでのスキルを磨くためにニューヨークに渡ったという感覚だった?
Kazaoka:そうですね。音楽をやっていきたい、音楽で食っていきたいという思いは中学からずっとあったので。
─ニューヨークではさまざまな音楽に触れたと思うんですが、なかでも当時のKazaokaさんに刺激を与えたのはどんなものだったのでしょうか。
Kazaoka:ひとつはサザンロックですね。ルームメイトが以前デスメタルバンドをやっていた日本人だったんですけど、その人はアメリカ南部のデスメタルが好きな方で、ルーツとなるサザンロックについても詳しかったんですよ。それでオールマン・ブラザーズ・バンドやレイナード・スキナードを教えてもらいました。ブラックベリー・スモークという現行のバンドがいるんですけど、そのバンドが大好きで、ライヴも10回ぐらい観ましたね。
─まさかKazaokaさんの口からレイナード・スキナードの名前が出てくるとは思いませんでした(笑)。
Kazaoka:サザンロックにはアメリカの大陸を感じるような感覚があって、彼らにしかできないものがあると感じたんです。民族性というか。あとはティナリウェンのようなデザート・ブルース(註:アフリカ北西部サハラ地域に伝わる音楽スタイル)も好きになりましたね。レゲエとは全然違う音楽だけど、同質のものとして響く感じがあったんですよ。大学時代はワールドミュージックのコンサートを企画してるワールドミュージック・インスティテートっていう団体でインターンもやっていました。
デザート・ブルースしかり、レゲエしかり、彼らにしか出せない音があって、そういう表現に美しさを感じるんです。僕自身、ジャマイカのレゲエは大好きだけど、あくまでも彼らの環境から生まれた音であって、たとえ目指したとしても自分にはできないだろうなとは思っていました。
─そうした感覚はニューヨークで育まれたのでしょうか。
Kazaoka:いや、高校生のころからありました。当時はいわゆるジャパレゲのディージェイとして活動していたわけですけど、ダンスホールのヴァイオレンスな部分やセクシャルな部分が肌に合わないなと感じるようにもなってきて。高校生の終わりのころはミシガン&スマイリーやランキン・ジョー、ブリガディア・ジェリーみたいな70年代のディージェイ・スタイルが好きだったんですけど、当時のジャパレゲってパワーで攻めるものが多くて。自分が好きな音楽とやってる音楽にちょっと乖離が生まれてきたんですよ。
─あの当時だとちょっと浮いちゃいますよね。
Kazaoka:そうですね。ただ、淡々とトースティングするようなディージェイ・スタイルをどこでやればいいのかわからなかったし、ニューヨークに渡ってから一度音楽をやめちゃうんですよ。そのなかでルームメイトの影響でサザンロックにはまったり、デザート・ブルースのことを知ったり、西岡恭蔵さんや細野晴臣さんの音楽を聴くようになって。そういうものをバックグラウンドに持ってる人は誰もいなかったし、もう全部自分でやろうと思ってひとりで音楽制作を始めたんです。
─2017年、SHAKARAさんとGrand Avenue Recordsを設立され、2018年には初のEP『Laid Back』をリリースされます。あそこに入っている「夢のジャマイカ」などは西岡恭蔵さんからの影響がダイレクトに反映されている感じがしました。あの曲は素晴らしいですね。
Kazaoka:ありがとうございます、嬉しいです。『Laid Back』は音楽的に満足できない部分もあるんですけど、今に繋がるスタイルの原型ができあがったような気はしますね。「夢のジャマイカ」に関しては、恭蔵さんの「ジャマイカ・ラブ」(1975年作『ろっかばいまいべいびい』収録)が大好きで、ああいうジャマイカの描き方をやってみたいと思っていたんですよ。
─西岡恭蔵さんのどのような部分にそこまで惹かれるのでしょうか。
Kazaoka:何なんでしょうね…音楽愛に溢れているし、とてつもない優しさを感じるんですよ。恭蔵さんを聴いて、やたら泣いていた時期もありましたね。YouTubeに恭蔵さんと関ヒトシさんのライヴ映像が上がってるんですけど、それも本当に大好きで。
─日本に帰国したのは『Laid Back』が出た翌年、2019年ですよね。日本で音楽活動を始めるわけですが、ニューヨーク時代と意識の変化はありましたか。
Kazaoka:あまりなかったですね。やりたい音楽や表現は明確になっていたし、そのころ住んでいた千葉でもニューヨークでもそれほど変化はなかったと思います。『Laid Back』のころも今も、基本的に全部自分で演奏し、自分で録っているので、よくも悪くも自分の中で完結しているんですよ。だから住む場所の環境よりも、自分の中にあるものと向き合っている感覚のほうが強いんです。
─歌詞を書く際も、自分の中にある記憶をもとに書いていくような感覚なんでしょうか。
Kazaoka:曲は基本的にコードのループから作るんですけど、そこからいろんなイメージが見えてくるんですよね。たとえば「この曲は水色っぽいな」とか「夜っぽいな」とか。そのなかで音に合う情景が浮かんでくることがあるんですよ。「ひとりで冬の街を歩いている」とか。その曲から想起されるイメージを言葉に並べて絵にしているっていう感覚が強いですね。
─歌詞の面でKazaokaさんがもっとも影響を受けているシンガーソングライターは誰なんでしょうか。
Kazaoka:もちろん西岡恭蔵さんにはすごく影響を受けてると思いますし、あと細野さんのトロピカル三部作。小坂忠さんの『ほうろう』も大好きですし、現行のアーティストとしてはハンバートハンバートや折坂悠太さん、池間由布子さん、寺尾紗穂さんの作品はすごく聴いたので、ひょっとしたら自分の作品のなかにも影響があるかも。
─音作りも独特ですよね。曲によってはアンビエント的でもあります。ミックスも自分でやってるんですよね?
Kazaoka:ミックスとマスタリングまでやってます。今回に関しては、リズムの素材も打ち込みじゃなくて、全部自分で録ってみようと思っていました。ハイハットも現物を自分で叩きましたし、キックの音にはデザート・ブルースとかで使われるカラバッシュっていう打楽器を叩いて加工したものを使っています。正直それまでドラムの音作りがあまりしっくり来ていなかったんですけど、このアルバムでひとつのやり方を見つけた気はしています。
─まさかカラバッシュを使っているとは思いませんでした。ひとつひとつの音素材からかなり細かく作っているわけですね。
Kazaoka:そうですね。その結果、完成するまでめちゃくちゃ時間かかっちゃったんですけど。細野さんや山下達郎さんは基本全部の楽器を自分で演奏できるし、ミックスやマスタリングまでやれるじゃないですか。それこそ折坂悠太さんも最初の2枚の作品はすべて自分で演奏し、自分で録音していた。サウンド全体を監督できるからこそ、あの方たちにしか出せない色が出せるし、多岐にわたる活動ができると思うんですよ。僕もああいう形の活動をめざしているので、全部自分でやろうと決めたんです。
─話を聞いていると、Kazaokaさんのなかには「レゲエであること」のこだわりがそれほどないようにも感じられるんですよね。
Kazaoka:「レゲエとしてのバックグラウンドを残したい」という意図があるというよりは、気持ちいいメロディーを探していくと自然にレゲエに落ち着くというところですかね。今後レゲエじゃないトラックでやる可能性もあると思いますし、OVERFALL(註:Leo IwamuraとShinyAppLeを含む3人組のクロスオーバー音楽ユニット)との活動ではレゲエじゃないものをやってますし。
─OVERFALLとの活動のほか、「城跡芸術展」(京都府亀岡市)で行われたパフォーマンスアート「DUALITY」に参加したりと、さまざまな活動をされていますよね。そうした活動が自身の創作に影響を与えているところもあるのでしょうか。
Kazaoka:それはすごくありますね。パフォーミングアーツの舞台でやるときはアンビエントやエクスペリメンタルなものをやっているので、今回のアルバムにもその影響があると思います。パフォーマーの方々との活動はすごくおもしろいし、今後もどんどんやっていきたいと思っています。
─今後の活動に関しては、どんなことを考えていますか。
Kazaoka:海外の人にも聴いてほしいんですよね。それで今回のアルバムのブックレットには歌詞の英訳を付けました。ニューヨークから帰ってきてからは海外でライヴをやってないし、韓国とか台湾、タイでもやってみたいんですよ。台湾の蓬萊仙山みたいにいいバンドもいるし。彼らはダブをやっていてもジャマイカのスタイルではなくて、彼なりのやり方が見えるんですよね。ちょっとシティポップさがあって、ああいうものが好きですね。彼らみたいなバンドと繋がれる機会があるといいんですけど。
Daisuke Kazaoka ワンマンライブ「サウンドスケープ」
【出演】
Daisuke Kazaoka
VJ:Mayo Kobayashi
舞台美術:もんじゅ建設
焚香:Jassy Burn (※東京公演のみ)
【日程】
2024年11月15日(金) 名古屋・KDハポン 開場18:30 / 開演19:30
2024年11月22日(金) 東京・晴れたら空に豆まいて 開場18:30 / 開演19:30
<チケット情報>
前売り:2,800円
当日:3,300円
(※別途ドリンク代)
■一般発売
日時:2024年9月3日(火) 21:00
プレイガイド:e+
Daisuke Kazaoka / サウンドスケープ
発売日:2024年11月3日(レコードの日)
品番:MNF1
価格:3500円(税込)
レーベル:diskunion DIW
*商品画像に付随の帯はディスクユニオンとタワーレコード渋谷店限定の特典でございます。
数に限りがございますのでご了承ください。