2023年夏、ソロ作品では初となる全国流通アルバム『The Unforgettable Flame』をリリースし、その後も会場限定盤・自主制作音源のサブスク解禁や新曲の配信リリース、2024年3月には同アルバムのLP化など、活発な活動を続ける岡山健二(classicus / ex.andymori )。そんな彼にとってひとつの節目を迎える2024年、OTOTSU独占で岡山の音楽人生の振り返りと今後を深堀りしてゆく新連載が、2024年1月からスタート。
毎月最終木曜日更新 / 全12回予定。
文:岡山健二
編集:清水千聖 (OTOTSU編集部)
2013年の夏は、急に予定も無くなったので、本当にやることがなかった。
覚えていることがあるとすれば、この時期に、近所の市営プールに通って、泳ぎの練習をしていたことだったりする。元々、25メートルも泳げなかったのだけど、一応、クロールと平泳ぎ、背泳ぎはできるようになった。
ひと通り泳げるようになったある日、背泳ぎの体勢のまま、手足を動かすのをやめ、顔だけ水面に出して、ぼんやり浮かんでいた。見上げた空には、真夏の太陽と突き抜けるような青空、入道雲も浮かんでいたりしたのだろうか。
とりあえず、ここから、しばらくは自分はやることはない。かといって、バンドはまだ続いていたので、何とも言いようのない、この気持ちをどこに落ち着けたらいいのか。それまでに味わったことのない時間が訪れたことについて、色々と考えを巡らせていた。
ものの1分も浮かんでいると、だんだんと身体も沈んでくる。1時間ほど泳いだし、ここら辺が切り上げ時かと、プールから上がり、プールサイドに置いてあったスマートフォンを手に取ってみると、ディレクターから連絡が来ていた。
ドラムサポートの話だった。毎日泳いでばかりで、身体を持て余しているのもなんだかなという感じだったので、それならドラムでも叩いて、それで誰かが喜んでくれるのならいうことないな、一応お金にもなるしということで、話を受けることにした。
ドラムサポートで3箇所ほど地方を回り、また東京に帰って来た。この時、手伝ったバンドは事務所に所属しているバンドだったけど、そうでない知り合いのバンドも自分はわりに手伝ったりしていた。どうしてなんだろう。昔から、手伝って当たり前みたいな部分がある。(最近はずいぶん減って来たけど。)
andymoriに入るまでも、けっこういろんなバンドで叩いてきた。andymoriのメンバーになってからは、事務所から、サポートはあまりやらぬよう(いつラジオやテレビの話が来るかわからないから、みたいな感じだったか)言われていたが、この年は、バンドの動きもないので(そもそも解散する予定のバンドだったので)減らしていたサポートも、ちょくちょく再開し出していた。
この頃の自分は、27才くらいだったのだけど、当時の自分の複雑な心境を相談するにしても、同じような境遇、体験をした人も、なかなか周りにおらず、基本的には孤立しているような状況だった。(今にして思うと、もっといろんな人に話をしにいくべきだったと思うのだけど、当時の自分は頑なだった。今もだろうけど。)
しばらくすると、マネージャーから連絡が来た。当時、原宿駅の目の前にあった事務所に出向くと、社長から、ライブアルバムを作らないかという話を聞かされた。(ライブに行けないファンのためにも。)
自分は、『そうか。バンドが動けない状態になった時に、こういう話が出てくるんだな。』といった具合に、どこか他人事のように話を聞いていた。(昔から、いろんな人に注意されるのだけど、まあ、そういったところはこの先も変わりはしないのだろう。)とりあえずやることもできたし、その日は家に帰った。
そこからは、事務所の人たちと、寛さん、自分とで、過去のライブ音源を聴き直して、いいテイクがあれば、「これどうですかね?」「おぉ、いいね」はたまた「こんなのもありましたよー」「あぁ、この日のライブよかったよね」といった感じで、数週間やり取りが続いた。結果、2枚のライブアルバムとなり、発売されることになったのだった。(このCDは、なぜか手元には残っておらず、聞こうにも聞けない状況。)(たしか壮平さんは、この制作には不参加。)
壮平さんは、しばらく入院していたと思うのだけど、いつまで病院にいたのだろう。バンドは約1年ほど何も動きがなかったのだけど、壮平さんとは一度も会わなかったような気もする。寛さんとは、たまにスタジオに入っていたが。
元々、この頃は解散している予定で、解散したら、それまでに書きためていた自作の曲をライブで歌っていこうと考えていた。秋にソロのライブが1本決まったので、その日に向けて、音楽仲間と4人編成のバンドセットを作り、練習を重ねていった。(寛さんにもベースで参加してもらったそのバンドでは、そこから5〜6回ライブを行うこととなる。)
秋から冬、そして春と自分が何をしていたか、あまり記憶がない。知り合いのバンドでサポートしたり、ソロのライブをやったり、スタジオにこもって、曲のデモを作ったりしていたのだろう。(レコードは買い続けていたと思う。この辺りはわりといろんな音楽を聴いてた気がする。)
春頃になると、ようやくandymoriが動き始める感じが出てきた。リハーサルにも、けっこう入ったはずなんだけど、不思議とあまり覚えていない。
練習終わりか、打ち合わせの帰りか忘れたけど、壮平さんと2人電車に乗っている時に、何かの弾みで、昔、三重でバンドを始めた頃の話になった。そうしたら、その夜に壮平さんからメールで、「その頃の健二に会いたい」といった内容が送られてきた。なんとなく返信に困ったので、ひと晩置くことにした。
次の日起きても、どう返信したらいいか、なかなか答えは出なかったが、とりあえず思ってることをつらつらと書いていったら、ものすごく長い文になった。
ドラムには主に、2つの叩き方がある。リムショットという、表面と同時に縁(ふち)を叩くものと、表面だけを叩く方法。みたいな感じで書き出した。
リムショットで叩けば、普通に叩くよりも楽に大きな音が出るが、音色自体は若干濁る。それまでに活動してきたバンドの音の大きさや、ライブハウスの環境上、そうせざるを得ない部分もあり(時代も関係していたと思う)ずっと続けてきたけど、いつしか、その音で演奏するのが、苦痛になってきていたこと。
元々、自分はリムショットをするタイプのドラマーではなかったのだが、東京で音楽をやっていく上で、当時の自分にとってはどうしても必要だったこと。
ただ、この1年ほどの休止期間に、改めてドラムのことを考えた時に、自分はこの叩き方は、もうしたくないと思ってしまったこと。(それ以降は、どんなに音の大きなバンドであろうとリムショットはしないようになった。)
なので、これから行われる1年越しの解散ツアーは、そんなに音量はかせげないかもしれないけど、音色に重きを置いた、昔やっていた本来の叩き方で、やってみるといったことを送ったのだった。
そうしたら、次の日その返信として、壮平さんからメールが送られてきた。最近見たという夢の話だった。とてもきれいな手紙のようなメールだった。
バンドをやっていた当時は、こういったやり取りがよくあった。あんなに自分に飛び込んできてくれる人は、それまでになかなかいなかった。
ツアーは、大阪野音を皮切りに、ひと夏かけて行われた。新曲「おいでよ」も演奏した。(ドラムアレンジうまくいった。)
大阪野音と、Zepp Tokyoでの、ライブが1枚のDVD作品になった。(自分はこのDVDがけっこう好きで、気に入っていたのだけど、なぜか手元には1枚もなく見返すこともできない。)
ツアーは、とくに大きな問題もなく終わりのほうに向かっていった。ただ自分としては釈然としない感じというか、全体的に、無理矢理終わりに向かおうとしている雰囲気があるような感じがして、何だか変だなと思った。
まあ、でも終わりなんてのは、こんなものなのかもしれないと思い、なるだけ1本1本、精一杯ドラムを叩いた。(このくらいの時期から自分は、打ち上げというものが苦手になっていった。)
解散ライブは、SWEET LOVE SHOWERというフェスの大トリだった。ラストライブにしては、淡々とした演奏だった印象がある。(でも、それまでもずっとそうやってきた。)
本編が終わり、ステージ袖に下がった。アンコールに備え、スタッフがいろいろ準備しているときに、壮平さんに「すごいことを言うかもしれないけど、気にしないで」もしくは、「よろしく頼む」みたいなことを言われ、どうなるか、よくわからないままステージに上がっていった。
夏の夜の熱気と、1万人くらいいるのに妙に静かな空間。そして、壮平さんの「もう1回ライブやらない?」と提案。
スタッフさんたちには、申し訳なかったのだけど、自分としては、本当に最後まで期待を裏切らない人だなと思った。(こう言うと、色々語弊が生まれるかもしれないけど、計画していることが、予定通り進んでいくとは限らない、ということを自分は嫌というほど、この時期に学んだ。)
この「もう1回、ライブをやろう」発言で、ステージ裏は大騒動だったらしい。事務所が、すぐに武道館に空き日程を確認したらしく、奇跡的に1日空いていた、とのことで、10月にもう1度解散ライブをやることとなった。
この武道館でのライブが、本当に最後となった。ラストライブとしてDVDにもなった。この文章を書く参考にと久々に見返したのだけど、(これは手元にあった)2曲目の「愛してやまない音楽を」が終わり、次の「everything is my guitar」に入るときの、カウントのタイミングが、自分で言うのもなんだけど、バッチリだなと思い、いろいろあったけど、ちゃんとやろうとしていたんだなと思ったのだった。
追伸
そういえば、SWEET LOVE SHOWERのライブを終えた翌日に、みんなで富士山に登ったっけ。
2014.07.21(月・祝)
“andymori ワンマン ひこうき雲と夏の音”/大阪城野外音楽堂
2014.07.27(日)
“andymori ワンマン ひこうき雲と夏の音”/東京 Zepp Tokyo
2014.08.07(木)
“Talking Rock! FES.2014″/大阪 Zepp Namba(OSAKA)
2014.08.12(火)
“ファンファーレと電話”/恵比寿 LIQUIDROOM
2014.08.20(水)
“千葉LOOK presents 大感謝祭リターンズ~真夏の2man”/千葉 LOOK
2014.08.29(金)
“SPACE SHOWER TV 25TH ANNIVERSARY SWEET LOVE SHOWER 2014″/山中湖交流プラザきらら
2014.10.15(水)
“andymori ラストライブ”/日本武道館
RELEASE INFORMATION
The Unforgettable Flame (CD&LP)
岡山健二
CD 2023.08.02 Release
LP 2024.03.20 Release
monchént records
Price:
CD 2,200 yen (tax in)
LP 4,500 yen (tax in)
★ブックレットに書き下ろしライナーノーツ掲載
★ディスクユニオン&DIW stores予約特典:
オリジナル帯
Track List
Side A.
01. intro
02. 海辺で
03. 名もなき旅
Side B.
01. あのビーチの向こうに空が広がってる
02. 軒下
03. 永遠
04. My Darling
LIVE INFORMATION
ARTIST PROFILE
1986年三重県生まれ。12歳でドラムを始め、のちにギターとピアノで作曲を開始。19歳の時に上京し、2011年にandymoriでデビュー。2014年、同バンドの解散後は、自身のバンドclassicus(クラシクス)を結成し、音源を発表。
現在は、ソロ、classicusと並行し、銀杏BOYZ 、豊田道倫 & His Band!ではドラマーとして活動している。
【Official SNS】
岡山健二 Official SNS / リリース一覧
https://monchent.lnk.to/kenjiokayama
classicus
Web Site
https://www.classicus.tokyo/
YouTube
https://www.youtube.com/@classicusofficialchannel186