2023年夏、ソロ作品では初となる全国流通アルバム『The Unforgettable Flame』をリリースし、その後も会場限定盤・自主制作音源のサブスク解禁や新曲の配信リリース、2024年3月には同アルバムのLP化、10月にはユニットclassicusでのカセットリリースなど、活発な活動を続ける岡山健二(classicus / ex.andymori )。そんな彼にとってひとつの節目を迎える2024年、OTOTSU独占で岡山の音楽人生の振り返りと今後を深堀りしてゆく新連載が、2024年1月からスタート。
毎月最終木曜日更新 / 全12回予定。
文:岡山健二
編集:清水千聖 (OTOTSU編集部)
「銀杏BOYZでドラムを叩かないか」という話を受けたのは、明るい午後の日差しの中、自宅で何かしらの作業をしていた時だった。
まさか自分にそんな話が来るとは思ってもみなかった。
その頃の自分は、ソロのEPと、classicusの1stアルバムのリリースツアーを終えて、次のライブや録音など、どのように進めていくか、いろいろと考えていた時期だった。
元々、自分は銀杏BOYZの前身バンド、GOING STEADYを14才の頃、熱心に聴いていた。と同時に、兄たちと組んでいたバンドのライブでも、GOING STEADYの曲をレパートリーにもしていた。
そういったこともあり、GOING STEADY、そして、銀杏BOYZは自分にとって、ずっと身近に感じていたバンドだったし、これも何かの縁かと思い、引き受けることにした。
一応、オーディション的なものもあったのだけど、リーダーの峯田和伸さん(以下:峯田さん)は来ず、マネージャーの江口豊さん(以下:江口さん)が代わりに歌った。中野駅近くのスタジオだった。
『若者たち』『駆け抜けて性春』といったGOING STEADY時代からある曲を演奏したように思う。
何曲か演奏し終えて、「さて、どうしましょうか」となり、江口さんが峯田さんに電話をかけた。「今日来ないの?」など、いろいろ話していたのだけど、そのうち「バンドどうだった?」という話になったらしく、「めっちゃよかったよ」と江口さんが伝えると、「じゃあ、オッケーで」と峯田さんが言ったらしく、江口さんが「峯田もオッケーと言ってるので、よろしくお願いします」となった。
これには、自分もなかなか驚いたのだけど、まあ、こんなこともあるかぁ、などと思いつつ、そのまま、みんなで中野の街に繰り出し、夜遅くまで飲んだのだった。
と、そんな経緯で、自分は銀杏BOYZのドラムを叩くようになった。2017年3月頃だったと思う。
その前の年の夏から、銀杏BOYZは、峯田さん以外サポートメンバーという形態で、ライブを行うようになっていたらしい。
2017年の5月から始まるツアーで、それまで4人編成だったところを、5人編成にするということで、自分に声がかかったのだった。
元々、サポートメンバーとして参加していたのは、ギターの山本幹宗(以下:幹ちゃん)、ベースの藤原寛(以下:寛さん)そこにギターで加藤綾太(以下:Pちゃん)、ドラムに自分が加わった。
峯田さんもエレキギターを弾くと、このバンドはギターが3本になる。3本のエレキギターが、それぞれ大音量を出しているので、それらが合わさると、ものすごい轟音になる。
自分は、もう7年近く、定期的に、この轟音を聞き続けていることになる。
メンバーも誰ひとり代わることなく続いている。なかなかすごいことだなと思う。
ギターの幹ちゃんを初めて見かけたのは先輩ミュージシャンのライブを観に行き、終演後に楽屋に挨拶に行った時だった。たしか茶色いジャケットを身にまとっていたように思う。さわやかな男がいるな、という印象で、酒の入ったグラスを片手に、軽やかに、場を盛り上げている様子を見て、たいした奴がいるもんだな、と思ったのを覚えている。
ベースの寛さんはandymoriのメンバーで、共に音を出し続けてきたので、ここでも一緒だなと。(この頃は、セットでいろんなところに呼ばれていた。)というのも、この何ヶ月か前にも、サポートの仕事で寛さんと演奏したばかりだったのだけど、なんと、そこでギターを弾いていたのが、Pちゃんだった。年も若く、ギターも歌も歌え、ドラムも叩けるので、これは、自分の出る幕はないな、など思ったりしていたものだった。ムードメーカーといった感じで、今までも、自分がうまくドラムが叩けず、落ち込んでいても、「健二さん、全然大丈夫ですよ」と、何度も励ましてくれた。(ちなみに、サポートメンバーはみんな10月生まれ。)
峯田さんは、12月生まれで、寒い季節に生まれたんだなといういうのが、何となくではあるが、曲から伝わってくる気がする。東北の冬は、関西出身の自分には想像できないほど、きびしいのだろう。
暗く重たい雲が空一面にへばりつき、冷たい風が轟々と低い唸りを上げている。そんなイメージが東北にはある。(ずっと、そんなわけではないというのも、もちろんわかってはいるが)そんな中、峯田さんは、最も盛り上がりのあった時期のオルタナティブ・ロック、80年代から90年代の邦洋のロックからポップス、歌謡、パンクからハードコア、ノイズまで、さまざまな音楽を聴き漁ってきたのだろうなという像が、いつの間にか、自分の中にはある。
自分も田舎で、ひとり音楽を聴き続けてきたので、何かしら似たようなところがあるなと思う。
峯田さんからは、いろんな音楽を教えてもらった。名前は知ってるけど、聴いたことのなかったバンドについて、こと細かに説明してくれるバンド博士といった感じがある。
最初の2、3年は、ずっとレコーディングばかりしていたような気がする。
今はもう無くなってしまった新宿のスタジオグリーンバードというレコーディング・スタジオを使うのが一番多かった。
思い出深い曲がたくさんある。自分が初めて録音に参加したのは「骨」というシングルで、自分の叩いたドラムが、銀杏BOYZの音楽として発表されているというのは、なかなかすごいことだなと思った。
シングルを3枚出した後は、武道館公演があった。個人的な話をすると、andymoriのラストで武道館で叩いた時は、初めてだったというのもあり、わからないながらも、必死に、かつ、全体としての統一感を保ちつつ叩いたのだけど、時間が経ってみると、もう少し、思いっきり叩いてもよかったなと思ったりしていたのだった。
それに、そもそも武道館というものにも、それまで、そんなに馴染みもなかったので、もっと研究したほうがいいなと思い、andymoriで叩いてから、銀杏BOYZで叩くまでの間に、けっこうな本数のライブを観に行ったのだった。
いろんなアーティストの武道館でのライブ盤も集めたりした。
そして、ようやく銀杏BOYZでの、武道館ライブを迎えた。
ライブというのは、いざ本番になってみないことには、その日の空気がどういうものかは、わからないものだけど、自分の感触としては、しっかり銀杏BOYZのライブをできたんじゃないだろうかという感じだった。
思いっきり叩いて、疲れ果ててしまったくらい、気の済むまで叩けた。
後日談としては、時間が経ってくると、ちょっと強く叩きすぎたんじゃないか、と思い、次、また機会があれば、弱すぎず、強すぎずを目指そうと思っていた。
そうしたら、何とまた、銀杏BOYZでの2回目の武道館が決まり、そこで、自分は、叩き具合という点では、これくらいがちょうどいいだろう、という力加減でもって、個人としては、3度目の武道館ライブを終えたのだった。
毎回毎回、ベストは尽くしているものの、やり切ると、どうしても次の課題みたいなものができてしまう。まあ、これは続けている以上、仕方ないことなのかもしれない。
武道館以降も、バンドとしての活動は続いたが、やはり録音がメインだったように思う。
この期間、自分はさまざまな機材を試してみた。いろんな録音を残せたなと思う。
レコーディングや練習終わりは、よくみんなで飲みに行った。今より景気もよかったのだろう。この頃は今振り返ってみると、何となく気楽な時代だった気がする。
アルバム「ねえみんな大好きだよ」には、自分にとってのそんな日々がたくさんつまっている。今でもことある毎に聴き直したりしているけど、2020年代に銀杏BOYZがアルバムをリリースしているという事実がすごいと思うし、それを自分が叩いたのは、やはり誇らしいことだ。
フェスにもたくさん出させてもらった。自分はandymoriが解散したときに、母親に、もう山は登ったから、ここからは下りるべし、といったことを言われたりしたことがあり、何となく、そんなものかなと考えながら、暮らしていたのだけど、まだ、そこから先も、いろいろと、いい景色を見させてもらえたので、峯田さん、そして、銀杏BOYZスタッフ、バンドメンバーのみんなには感謝している。
2020年以降の銀杏BOYZは、色々とライブのやり方を模索し、アコースティックでも成立させられる感じになった。(最近は何故か自分が「骨」を歌うという流れがあり、ドラムを叩きながら歌わせてもらっている。)
ツアーで各地に行くと、ライブ終わりに打ち上げがあり、その後、2次会ということで、部屋飲みになったりする。(最近はあまりないか)大体、自分か、Pちゃんの部屋だった気がする。そこに、幹ちゃん、寛さんもやってきて、サポートメンバー4人で飲んだりしている。(みんな、ある程度いい時間になると、ちゃんと帰っていくので、しっかりした人たちなんだなと思う。)
ドラマーとして参加して、各地にツアーに行けるようなバンドで、今関わっているのは、銀杏BOYZくらいだ。それ以外は、classicusやソロのライブと音源制作を続けている。
久々にライブがあるぞ、とみんなで集まって、銀杏BOYZの曲を演奏すると、次の日に、ポロッと新曲が出来たりすることがよくある。峯田さんの音楽には、そういう不思議な力があるなと思う。
RELEASE INFORMATION
ZERO #1 : ZERO #2
classicus
2024.10.14 Release
second hand LABEL
Price: 2,500yen (tax in)
Format: CASSETTE / Digital
Catalog No: SHLT1
Track List
Side A 「ZERO #1」
01 真夜中
02 sea you
03 車輪の下で
04 ひらめき きらめき
05 恋の伝説
06 コチニール
Side B 「ZERO #2」
01 ホタル
02 シネマのベンチ
03 デッドストックのペイズリー
04 盟友
05 夜のプール
06 グッドナイト
The Unforgettable Flame (CD&LP)
岡山健二
CD 2023.08.02 Release
LP 2024.03.20 Release
monchént records
Price:
CD 2,200 yen (tax in)
LP 4,500 yen (tax in)
★ブックレットに書き下ろしライナーノーツ掲載
★ディスクユニオン&DIW stores予約特典:
オリジナル帯
Track List
Side A.
01. intro
02. 海辺で
03. 名もなき旅
Side B.
01. あのビーチの向こうに空が広がってる
02. 軒下
03. 永遠
04. My Darling
LIVE INFORMATION
11/14 新高円寺 STAX FRED | ソロ
11/17 大分 杵築 まめのもんや | classicus LP & カセット レコ発
11/30 SHIN-ONSAI | ソロ
12/4 新高円寺STAX FRED | ソロ ワンマン
12/13 渋谷WWW | 豊田道倫 & His Band! ドラム
12/15 恵比寿 NOS | 島田惇平 舞台「森を、歩く」
12/19 名古屋 KDハポン | ソロ 畑下マユさんのリリースツアー
1/26 東京 昼 | classicus LP & カセット レコ発
ARTIST PROFILE
1986年三重県生まれ。12歳でドラムを始め、のちにギターとピアノで作曲を開始。19歳の時に上京し、2011年にandymoriでデビュー。2014年、同バンドの解散後は、自身のバンドclassicus(クラシクス)を結成し、音源を発表。
現在は、ソロ、classicusと並行し、銀杏BOYZ 、豊田道倫 & His Band!ではドラマーとして活動している。
【Official SNS】
岡山健二 Official SNS / リリース一覧
https://monchent.lnk.to/kenjiokayama
classicus
Web Site
https://www.classicus.tokyo/
YouTube
https://www.youtube.com/@classicusofficialchannel186