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Sam Gendel / inga 2016 インタビュー | サム・ゲンデルが結成していたトリオ、インガの時代を中心に、キャリアを振り返る

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サム・ゲンデルが、かつて結成していたトリオ、インガの音源がようやく日の目を見る。『inga 2016』のタイトルで、サム・ゲンデル自身が選曲したアンソロジーだ。ソロ・アルバム『4444』の原型とも言えるサウンドで、サム・アミドンやInc.のダニエル・エイジドらもゲスト参加している。『Satin Doll』や『DRM』でサム・ゲンデルの音楽を知った人には新鮮に聞こえると思うが、彼の音楽性を形成する過程で重要な位置にあったグループだ。インガ時代を中心に、キャリアを振り返る話をサム・ゲンデルに訊いた。その最新のインタビューをお届けする。

インタビュー・構成:原 雅明
通訳:バルーチャ・ハシム
編集:三河 真一朗(OTOTSU)


SAM GENDEL(サム・ゲンデル)

インガのメンバーや楽器構成から教えてください。

Sam Gendel(サム・ゲンデル)- インガはちょっとしたグループ、トリオだった。僕がリーダー的な役割で、何人かのメンバーが関わっていたんだけど、中心的なメンバーはエレクトリック・ギターのアダム・ラトナー、ドラムのケヴィン・ヨコタ。僕はこのグループではナイロン弦ギター、ボーカル、サックスを担当した。他に、周辺の音楽コミュニティのミュージシャンが何人か入ることもあった。ダニエル・エイジドが、エレクトリック・ベースで参加することがあったり、ジョン・キャロル・カービーがキーボードでライヴで参加してくれたこともあった。友人のスコット・フィッシュも一度ラップしてくれたことがある。

いつ結成されたのですか?

結成したのは、2015年の終わりだったと思う。最初のリリースは、2015年12月だったと思うけど、2016年に盛んに活動していた。2017年はまだこのメンバーで演奏していたけど、インガという名前を徐々に使わなくなって、2017年からレコーディングし始めた素材がのちのアルバム『4444』になった。『4444』は自分の名前でリリースした。インガ名義のリリースは3つしかないんだ。最初のリリースは、2015年のインスト作品(アルバム『en』)で、それにはダニエル・エイジドが参加している。その作品から、今回の『inga 2016』に4曲収録している。

『inga 2016』にも、ダニエル・エイジドが参加している曲は入っていますか?

彼は、“starwater”と“vamp for 16”の2曲でベースシックスというタイプのエレキベースを演奏しているよ。コードを演奏していて、面白いサウンドなんだ。

インガのグループとしての方向性は?

特に決まった方向性はなかったね。当時、僕の頭の中でああいう音が鳴っていて、それを表現したかっただけだよ。自然な形で結成になった。ある日、ケヴィンとアダムに連絡をして、「一緒に演奏してみない?」と誘ったんだ。本当にそんな感じだった。自然発生して、自然消滅した感じ(笑)。終わったというよりか、僕らの当時の生活から生まれたグループなんだ。あの時代の産物だった。僕らの人生、生活、2016年という時代から生まれたんだよ。今振り返ると、「あれは何だったんだろう?」と思うくらい。僕の人生における、はっきりとした一つの時代で、不思議な時期だった。

– アダム・ラトナーとケヴィン・ヨコタと出会ったきっかけは?

ケヴィンとは、地元が近くて、二人とも中央カリフォルニアのあまり知られていないエリアの出身なんだ。僕はバイセイリアの出身で、ケヴィンはキングスバーグ出身。若い頃に、地元でもしかしたら会っていたかもしれないけど、覚えていない。でも、たまたま同じ南カリフォルニア大学(USC)に入学したんだ。アダムもUSCで出会った。3人とも仲良くなったんだけど、そこまで深い仲ではなかった。USCを卒業した後に再会して、また違う形で仲良くなって、一緒に演奏するようになった。大学時代というのは、変化の多い時期だし、まだ十代だった。

ケヴィン・ヨコタとアダム・ラトナー

– 二人と一緒に演奏しようと思った理由は?

以前から、いくつかのジャズ関連のアンサンブルで共演したことがあって、お互いの演奏が好きだったんだ。数年間は、そういう形で演奏していた。状況、3人の友情、共通した理解などが重なって、タイミングがあって、3人で演奏することになった。僕が主に作曲して、アレンジしたり、リハーサルの段取りをしたり、ライヴをブッキングしていたから、ある意味、僕がこのグループをクリエイトして、リードしていたと思う。音楽的には、3人ともそれぞれのゾーンに入っていた。

当時は、彼らとよく顔を合わせていて、「一緒に演奏しようぜ」という雰囲気だった。自然とこの3人で演奏したいという気持ちがあったから、しっくりきたんだ。その気持ちがあるんだったら、やらなきゃと思った。ある時期から、僕も2人も他の音楽活動で忙しくなって、このグループから次の活動に変化していったんだ。

– インガでの曲作りでは、どんなことを重視していましたか? ソロや他のプロジェクトと違いは? 

当時追求していたアイディアは、今はそんなに興味がないんだけど、自分の脳を、それまでとは違う角度から見るようになったんだ。初めてそういう経験をした。だから、それまでとは真逆のことをやっていたし、視点が一変したんだ。サイケデリックな影響の多い時期だった(笑)。言いたくないんだけど、それ以外の方法で説明できない。そこから、今までとは違う音楽的方向性に進むようになった。当時のライフスタイルによって、もっと自由な考え方をするようになった。それまで信じていたことを一度捨てて、こういう方向性の音楽になった。花の生命のサイクルのように、芽生えて、咲いて、花びらが地面に落ちて、まだ存在しているんだけど、形が変わっているんだ。

曲のアイディアをグループに持ち込んで、3人で作り込んだのですか?

曲の具体的なアイディアを持ち込んで、3人で演奏していくうちに、形になった。リズムのアイディアを持ち込むこともあったけど、ゆるいアイディアが多かった。一つの曲を、同じように演奏することはなかったね。決まったヴァージョンの曲がなくて、演奏するたびに変化していったよ。レコーディングした曲は、その日の演奏の記録でしかなかった。曲によっては、複数のヴァージョンがあった。3人とも一緒に演奏したくて、定期的にジャム・セッションもよくやっていた。今ほど忙しい時期ではなかったから、ジャムをしやすかった。

– サム・アミドンもメンバーだったのですか?

いや、彼とは友達で、彼がLAに来た時に、「一緒に歌ってくれない?」と誘ったんだ。3人でウィリー・ディクソンの“weak brain narrow mind“という曲をよく演奏していて、インスト・ヴァージョンをインガのファースト・アルバムのためにレコーディングしたんだけど、彼に歌ってもらおうと思ったんだ。

インガとしてライヴ活動は?

結構、定期的にライヴをやっていたし、ランダムな場所で即興演奏もやっていたね。あるコーヒーロースター施設があって、そこでよく機材をセッティングして演奏したり、レコーディングもした。巨大なロースティング機械の隣でね(笑)。当時、僕らはお金がなかったから、友人から、「あるカフェ店のオーナーが土曜日にライヴをやってくれるミュージシャンを探している」と言われて、ギャラももらえるし、インガで演奏することになった。普段からやっていることだから、引き受けることにしたんだ。そのカフェに到着して、即興演奏をしばらくして、お客さんを見渡したら、全員がヘッドホンをしてラップトップを見ていた(笑)。そこで、すぐに演奏を止めて、ギャラをもらわずに帰ったよ。

– インガの音源をネットから取り下げて、封印していた理由は?

なぜ取り下げたかって? そういう気分だったから(笑)。ある日起きて、これはもう封印しなきゃという気持ちになって、取り下げた。そういう気分になると、すぐに実行するしかない。でも、君たちから声がかかって、少し気持ちが変わった。僕が何かを決めた時、それは今後も変更できないということではないんだ。何らかのモチヴェーションがあれば、過去に作った作品でも、またそれを振り返りたいと思うことはある。だから、インガを再発したいと声をかけてくれた時に、いいアイディアだねと思った。しっくりきたから、再発しようと思ったんだ。いいタイミングで声をかけてくれたと思う。

– インガとして活動しなくなったのは、それぞれが違う活動で忙しくなったからですか?

そうだね。僕が他の活動で忙しくなったというのが主な理由。時間が足りなくなって、このグループの活動に集中できなくなったんだ。インガとして活動していた時期、僕は音楽で生計を立てていなかった。僕の従兄弟がLAで経営しているレストランで、ビジネス面のことを担当していたんだ。その頃は、それが主な収入源であり、音楽とともに、レストランのビジネスにも興味があった。今でも、従兄弟のレストランは素晴らしいと思っている。

でも、僕がやってみたい音楽関係の話が入ってきて、自分にとってしっくりきて、僕の価値観にも合っている話だった。本当に自分がやりたいこと、自分が大好きなことであれば、音楽で生計を立てたいと思ったんだ。だから、それ以来、それに反したオファーであれば、僕は引き受けない。音楽で生計を立てられるようになるまでには、何年間も他の仕事をやりながら、音楽活動をしないといけなかった。2017年から、実際にその変化が起き始めた。いくつかのチャンスが入って、状況が急に変わった。インガの時期は、今とは違う生活の終わった変化の時期だった。僕は音楽をキャリアと捉えていない。人生の一部なんだよ。

– 従兄弟のレストランというのは、サム・ウィルクスと『Music for Saxofone & Bass Guitar』をライヴ録音した場所ですか?

そう、いくつかのレストランでレコーディングしたんだけど、そのうちの一つだよ。パチェというイタリアン・レストランだ。

Sam Gendel & Sam Wilkes – THEEM AND VARIATIONS
from 『Music for Saxofone & Bass Guitar』

– そこで働いていたのですね。

そうなんだ。従兄弟がオーナーで創立者。ビジネス面を5年間くらい助けていた。2010年に、バレンタイン・ディの予約を整理してビジネスとして利益が出るように計算をして欲しいと頼まれたんだ。僕はその仕事をうまくこなして、彼のアシスタントとして雇われた。経理をやるようになって、そのあとは完全にレストランの一員になっていた。同時期にインガの活動も始めた。サム・アミドンとはパチェで出会って、そこから仲良くなった。僕はこのレストランで毎週月曜日に演奏していて、インガもたまにそこで演奏することがあった。サム・アミドンは、僕がこのレストランで演奏しているという情報を聞きつけて、見に来てくれたんだ。

-『inga2016』で選んだ曲の選択基準は何だったのでしょう? 

フィーリングで選んだよ。インガ時代のあらゆる曲を聴き返して、それだけじゃなくて、当時のボイスメモなども聴き返した。日の目を見ない音源はまだたくさんあるんだけど、それを全部聴いて、今回の選曲をしたんだ。どの曲にするかは直感で決めた。今の自分の視点から、あの時代を反映する曲を選んだ。とにかく気に入った曲を選んだんだよ。

インガの音楽をいま改めて聴いて感じることは?

いい意味で笑っちゃったよ(笑)。そんなに前じゃないんだけど、当時の生活のことを思い出したからね。ずっと昔のように思える。これからも、どんどん新しいことに挑戦しようという気持ちにもなったね。

『SAM GENDEL / inga 2016』のジャケット。アートワークのデザインも自身によるもの

– 『inga2016』の収録曲について、少し話してもらえますか?

1曲目の“weak brain narrow mind”は、ウィリー・ディクソンのカバー。そこからスタンダードの“stardust”を演奏している。これは、インガとしての初ライヴの録音から抜粋したものなんだ。この曲にはサム・アミドンが参加している。2曲目の“lil tiny“はインガのリハーサルから。たまたま録音したものだったんだけど、僕が書いた曲を土台にして、みんなで即興演奏していた。

“POG acoustic”は、未発表の僕のソロ演奏。(CDの)『inga2016』の最初の4曲は、今までどこにも発表されたことがない。“constellation”も僕が一人で演奏しているけど、これも未発表曲。“constellation”は『4444』のためにレコーディングしたものがあるんだけど、それはアレンジが気に入らなかったんだ。“nana”は最初にリリースしたインガのEP『peaking』に入っていたスペイン語の曲の後半部分。このEPはネット上から取り下げた。“mama oxum”と“volunteered slavery”は『volunteered slavery』のEPに入っていた曲。このEPは、初めてインガとしての強い音楽的ステートメントだと思える作品だった。

“starwater”、“lonnie’s lament”、“hrmnx”、“vamp for 16”は2015年の最初のアルバム『en』に入っていた曲で、ダニエル・エイジドとケヴィン・ヨコタが参加している曲。ダニエルは2曲に参加して、ケヴィンは3曲に参加している。“lonnie’s lament”は僕が一人でソプラノ・サックスを演奏して、伴奏も自分でナイロン弦ギターを演奏している。

ラサーン・ローランド・カークの“volunteered slavery”をカヴァーした理由は?

僕が子供の時に、父親がラサーン・ローランド・カークを聴かせてくれて、そこからジャズが好きになったんだ。だから、子供の頃から彼に憧れていたんだよ。彼が“volunteered slavery”の概念について喋っているのを聞いて、すごく影響された。YouTubeで見たんだけど、彼が喋っている内容が人類の真実に触れていると思ったんだ。ブラック・コミュニティに向けたメッセージだけど、すべての人間が共感出来るメッセージだった。それで、あの曲をオマージュとして演奏しようと思った。あと、今の世の中やカルチャーで起きていることに関連しているとも思った。あの曲の概念と共鳴して、自分のヴァージョンを作りたいと思ったんだ。

カークの演奏からはどんな影響を受けましたか?

彼の影響で、ポリフォニックなサックスに興味を持つようになった。彼は3本のサックスを同時に演奏していたけど、僕には肉体的にそれをやるのが難しい。彼は身体も大きかったし、唇と肺活量のパワーが凄かったから、それができたんだ。超人的な能力が必要で、僕には無理だ。でも、ポリフォニックなアプローチには興味があった。彼の音楽は最高だし、悲しみにも喜びにも満ち溢れている。それに、彼にはユーモアがあるんだ。他の人の意見も気にしていなかった。昔から大好きだよ。

– インガでは、サックスの他に、ギターやシンセサイザーも演奏してますね。

違うサウンドが欲しくて演奏しているだけだよ。同じ楽器ばかり演奏していると退屈するだけさ。僕はいろいろな楽器を演奏するのが好きだし、いろいろな楽器に好奇心がある。違う楽器を演奏すると、そこから別のアイデアが見えてきたりする。

– ブレイク・ミルズがPitchforkのインタビューで、あなたについて「彼は自分の音楽をサックスの音ではないものにしようと積極的に努力していて、面白いミュージシャン」と紹介していました。サックスの音に何かしらの不満があったのでしょうか?

サックスに不満があるわけじゃないけど、サックスを使って、他にどんな音が出せるかということに好奇心がある。だから、いろいろな方法でそれを追求しているんだ。

– あなたがサックスにエフェクト・ペダルを使うのは、カークの影響もあるのですか?

彼の影響は確かに一つの理由だね。エレクトロニクスとサックスについては、高校生の頃から実験している。その頃は小さな町に住んでいたから、そういうことに興味を持つ人は周りにいなかった。今の若い連中は、インターネットがあるから、もっと簡単に情報にもアクセスしやすい。当時はそういう情報がなかった。「最近、どのペダルを使ってるの?」とか、「何を買えばいい?」というメッセージが来たりするんだけど、みんなは自分で一つ一つ何かを試して、探求する気力がないんだ。すぐにすべての答えを欲しがる人が多いが、それが理解できない。僕は一歩ずつ学んでいったんだ。何かのツールを巧みに使えるようになりたかったら、それを避けることはできないんだよ。僕はペダルの世界に徐々に興味を持つようになって、長年使っていて、常に使い方が変化している。

– インガのようなグループを組むことは、もう考えていませんか?

インガみたいなグループをまたやることはないだろうし、同じことを繰り返したくはないんだ。でも、明言はできないよ。今もグループはやっていて、『Satin Doll』をレコーディングした時のメンバーであるゲイブ・ノエル、フィリップ・メランソンとのグループだけど、コロナの関係でまだライヴはやったことがない。あのアルバムがリリースされた日がちょうどアメリカがロックダウンになった日なんだよ。

– 今年だけでも、既にあなたの関係するリリースはたくさんあります。多くの音源をリリース出来ている理由は?

その他にやることはないだろ?(笑) その他に何をやればいいかわからない。常にクリエイトしているんだ。だから、自然とリリースが増えてしまう。クリエイトするのが大好きだし、アイディアが溢れるほどある。完成しているけど、まだリリースしていないアルバムもたくさんあるよ。

クリエイトするときは、先にコンセプトはあるのですか?

いや、いつもそういうわけじゃない。例えば、僕のガールフレンド、マルセラ(Marcella Cytrynowicz)が作った映画のためにサントラ(『Valley Fever』)もあるけど、そういう場合はコンセプトが先にある。先にコンセプトを考えたりしてるわけじゃなくて、一つの音を見つけて、そこから曲を作っていくこともある。

Valley Fever Teaser

– あなたがレイ・ハラカミの音楽を気に入っていると、カルロス・ニーニョから聞きました。彼の音楽のどこに惹かれたのですか?

『lust』はよく聴いているんだよ。『Satin Doll』のドラマーのフィリップが、最初にレイ・ハラカミの音楽について教えてくれたんだ。すごくエモーショナルで共感する。そういうエモーションはあまり他のアーティストにはないんだけど、メランコリックで、とにかく大好きなんだ。彼とは繋がりを感じるし、共感できる。彼を理解出来る気がするんだ。

rei harakami 4th・アルバム『lust』

あなたの音楽に、レイ・ハラカミの音楽と似ているところも感じます

それは嬉しいね。

– 間もなく、来日が予定されていますね。期待していることを教えてください。

FESTIVAL de FRUE 2021では、フィリップ、ゲイブの3人で演奏する。いくつかアイデアがあるんだけど、やってみないとどうなるかわからないね。今まで演奏したことがない曲を演奏したいから、準備をするよ。『Satin Doll』の曲も少し演奏するけど、他にも新しい曲を演奏する予定なんだ。僕らの演奏をまだ誰も見たことがないから、どんな演奏になるかは、言葉では説明しづらいね(笑)。

RELEASE INFORMATION


SAM GENDEL
『inga 2016』

CD : 2021.10.06 Release (TOTAL 11 TRACK)
LP : 2021.11.27 Release(TOTAL 7 TRACK)
品番:RINC80(CD)/ RINR8(LP)

レーベル : rings

OFFICIAL HP : https://www.ringstokyo.com/samgendelinga2016

【RECORDED IN 2015 / 2016】 
Member:
SAM GENDEL (Guitar, Saxphone, Voice, Percussion, Synthsizer)
ADAM RATNER (Electric Guitar)
KEVIN YOKOTA (DRUM KIT)
DANIEL AGED (6-STRING BASS)
SAM AMIDON (VOICE, VIOLIN)

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