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「自分は曲作りに関しては、ひとつ前に作ったものよりダメなものができたら死ぬつもりです」- 代代代プロデューサー小倉ヲージが「MAYBE PERFECT」の全貌と共に、赤裸々に語り尽したその言葉とは?

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代代代「MAYBE PERFECT」の全貌が今、明らかに!?
プロデューサー小倉ヲージが赤裸々に語り尽したその言葉は苦悩と葛藤と希望に満ち溢れたものだった!!

取材・文:田辺ユウキ


●「誰にも、何も言わせないアルバムを作りたかった」

――小倉さんが編曲、作詞曲のすべてを手がけた代代代の最新アルバム『MAYBE PERFECT』は、「甲盤」「乙盤」の2枚組となっています。同じタイトルの曲でも「甲盤」「乙盤」では音の景色が違い、曲順が真逆。対称的であり、アシンメトリーでもあります。

2枚組という案は制作当初から頭の中にありました。作業に入る前に設計図を作成してそれをもとに、「こういう構成にしよう」と作っていった感じです。

――「甲盤」「乙盤」は、「小倉ヲージ」と「小倉ヲージを見つめるもうひとりの小倉ヲージ」という二面性の印象を受けました。もうひとりの自分の存在を認めている。きわめて冷静なアルバムだと感じました。

それはおっしゃる通りで。前々作『∅』(2020年)では悲しみの感情を大きく表現して、前作『The absurd is the essential concept and the first truth』(2021年)は怒り。両作はそういった衝動のなかで作られました。しかし今回の『MAYBE PERFECT』は感情面の起伏はほとんどありませんでした。当初から無感情、無意味、そしてナンセンスさを掲げていて、結果的にはメッセージ性が出てきましたが、そこに込められているものはかつてのような怒りとか悲しみではありませんでした。

――「甲盤」「乙盤」は互いを批評し合っている関係性でもあります。

自分はこれまで、作品についていろんな人から意見や評価をいただいてきました。そうやって言ってもらえるのは嬉しい反面、良いことが書かれていても素直に喜べない面が必ずあって。そういう評価を聞くのがつらくなった時期もありました。『MAYBE PERFECT』は、「だったら誰にも、何も言わせないアルバムを作ろう」と。

――自分自身を納得させる意味もあるわけですね。

何も言わせない「ムチャクチャなアルバム」を作った方が、話が早いかなって。自分の経歴のなかで「ムチャクチャなアルバム」というと、かつてプロデュースしていた細胞彼女の『細胞宣戦 猛者版』(2016年)と、代代代の『むだい』(2018年)です。ただ、この2作は作ったあとの反動も大きくて、作業が終わったあと心が壊れました。作品の世界に引っ張られて精神が蝕まれ、自分の内面にも暗雲がたちこめたりして。だけど今作はそういうことがなく、制作後も気持ちがクリアでした。それはプロットありきで作ったおかげなのかもしれません。「ムチャクチャなアルバム」ではあるけど、感情がガタガタにはならなかった。

●「どちらも正解であり、どちらも不正解な作品」

――もしかすると「甲盤」だけを作っていたら気持ちが沈んでいたということですか。「乙盤」の存在が大きいですね。

「甲」は、思い描いた通りの「ムチャクチャなアルバム」です。「甲」を作っているときは「こっちが正解だ」と思って作業をしていました。「甲」はこれまでの代代代らしい作品。でも「乙」に取り掛かかると、「いや、こっちも正解だ」となりました。もし「甲」だけをリリースしていたら、聴いた人は今まで同様「おもしろい」で終わっていたはずです。そういう見え方は、作り手としては超えていきたい。だったらどちらも正解であり、どちらも不正解な作品を提示しようと。

――しかしそれは、自分で自分の首を絞める可能性もありますよね。

自分で自分のことを肯定、否定し続けました。「自分は今『甲』『乙』のどちらの曲を作っているんだろう」と錯乱もしました。「この曲の感じは『乙盤』になりえる」となれば「乙」の制作に傾き、「でも『甲盤』ではこういうアレンジをしたい」と頭をよぎると、次は「甲」の作業をやり始める。その繰り返しでした。

――ライブで演奏するときはどちらのバージョンやるんですか。

対バンのときは基本的に「乙」バージョンで曲を披露すると思います。あと、これはまだ発表前の情報ですが、今後のワンマンライブの場では「甲」に近いリミックスをお見せしたいと考えています。そのためだけにダンスや構成を変えたりします。だから、そこでしか観ることができないパフォーマンスになるはず。あと、たとえば長編曲『ボロノイズ』(2020年)を普通の対バンで披露したら驚かれるように、どこかでいきなり「甲」をやってもおもしろいだろうなって。それができるのは代代代だけですから。

●「それでも時計はぐるぐる回ってた止まってた」の背景

――「甲盤」「乙盤」の対照性の話をさらに掘り下げますが、収録曲『1秒』における「天使」と「悪魔」や、「現世」と「来世」など、多くの収録曲で対比する言葉が目立ちます。その点もアルバムを紐解くヒントじゃないですか。

「甲」の1曲目『THRO 美美 NG』の1行目の歌詞が「愛し合いたいだけだ」で、最後の6曲目『黒の砂漠』にも「愛し合いたいだけだ」と出てくるんですが、同じ言葉だけど同じ聴こえ方はしない。そこはかなり意図的に仕組みました。「乙」では曲順が真逆になっていることも含めてその辺は結構重要であり、聴くうえで大切な要素ですね。

――あと、自分たちの現在地をあらためて確認している気もします。『THRO 美美 NG』はじめ、過去にも戻れず、未来のことも考えないことを歌っている。ということはつまり、現在しかない。過去作は絶望や希望をまじえながら未来と過去に言及していました。しかし今作は「今しかない」というムード。『黒の砂漠』の「行きたい場所はもう無い」は特にシンボリックな一節です。

『THRO 美美 NG』の終盤の歌詞で「振り向いた過去に正解は無い」と書いたのは、まさにそういうことですね。「まあ、自分たちが今いるこの場所も決して嫌いじゃないけどね」という感覚。これまでの代代代のことを指して言っているのかもしれないし、もしかするとこの社会状況のことかもしれない。

――そうなると、このコロナ禍について触れなければいけませんね。現在の状況は小倉ヲージとこの作品にどんな影響があったのですか。

ライブでじっくり音楽を聴ける状況なので、そこは個人的には意外と悪くないかなとは思っています。それでもコロナ禍の2年間、友だちとは会えていないし、リモートでしか喋っていません。遊びに出かけることもしていないので。いい加減、外に出たいし、みんなと音楽で遊びたいです。

――『THRO 美美 NG』の「それでも時計はぐるぐる回ってた止まってた」はこの2年について言いあらわしている気がしてなりません。そのせいか、この一節には大きく心が揺れ動かされる。この楽曲が感動できるポイントではないでしょうか。

先日、営業職の友だちとこんな話をしたんです。彼はこの2年間、働き盛りの30代中盤であるにも関わらず、ほとんど動けていないと言っていました。「ただ年齢を重ねているだけで、体力を失っていっている。コロナが終わったとしても、しっかりと働ける自信がない」と。時は進んでいるのに全部が止まっているのは、まさにそういうことなんですよね。

●「代代代のプロデュースを降りようと考えていた」

――今のエピソードは多くの人に当てはまるもの。時代に寄り添った、ある意味で大衆的なアルバムでもあると感じました。

意図的にそうしたところがあります。自分は今まで、多くの人が口にする「感動」という言葉を好ましく受け止めてこなかった。それでもこのアルバムは、方向性のひとつとして「感動」へ持っていくべきだと考えていました。

――それはなぜですか。

この2年間はいろんなことに感動させられた期間でもありました。それこそ錦鯉が優勝した『M-1グランプリ2021』や、2021年の東京オリンピックのスケートボード競技にも純粋に感動できました。そして、こんなことを言うのはおこがましいですが、そういうものを観ると「自分もこういう位置にいきたい」となったんです。

――それはとても大事な話ですね。

感動の仕方って多種多様。決して喜びだけではない。このコロナ禍で印象に残っているのが、映画『殺人の追憶』(2003年/ポン・ジュノ監督)を観たことなんです。内容的にすごく嫌な気持ちにもなるけど、それも含めて感動しました。学生時代に1度観たことがあったのですが、当時は若かったこともあって受け止められず、内容をそれほど覚えていませんでした。で、2021年のクリスマスの朝、たまたま観たら「うわっ、すごい映画だ」と。これまで受けたことがない感動の仕方でした。

――ポン・ジュノ監督作品はいずれも作家的で、グローバリズムがあり、そして現代の資本主義のあり方を問いかけている。一方で『パラサイト 半地下の家族』(2019年)のようにきわめて娯楽的でもある。トータル的に優れた傑作が『グエムル 漢江の怪物』(2006年)です。

『グエムル』はかなり突っ込んだ作品で、おもしろかったですね。大好きなクリストファー・ノーラン監督の『TENET テネット』(2020年)、『インターステラー』(2014年)もそうですが、作家性だけで作っているように感じられるけど、最終的には「愛」でまとめて、広く受け入れられるものを完成させる。それがすなわち「感動的である」ということだと、自分は捉えています。

――同意見です。

庵野秀明監督の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021年)もとんでもなく感動したんですが、その要因もそこで描かれている人間愛でした。自分の性質上「愛は素晴らしい」なんて易々と言いたくない。それでもそういった圧倒的な作品で表現されている「愛」は、抗えない力を放っています。

――それこそ庵野監督は『エヴァンゲリオン』シリーズで深刻な批判に打ちのめされながら、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』へたどり着きました。

実は『シン・エヴァンゲリオン』を観た当時、自分は気持ちが荒んでいたんです。誰にも触れられたくなかったし、放っておいてほしかった。実は、代代代のプロデュースも降りようかと本気で考えていたくらいなんです。

――『シン・エヴァンゲリオン』の公開当時というと、2021年の春先のことですね。

でも『シン・エヴァンゲリオン』のなかで主人公の碇シンジが「僕なんか放っておいてくれよ、どうして構うんだ」と口にしたとき、綾波レイが「碇くんのことが好きだから」と返す。そこでシンジが「ハッ」となった。あの場面で、自分も同じように気づかされるものがあって。「自分が代代代の曲を作らなくても良いんじゃないか」と何度も考えていたけど、でも自分の作品を待ってくれている人が一人でもいることに対してハッとしたんです。とても照れくさい話ですが、そういった後押しのなかで「甲」「乙」を作ることができました。

●代代代のエンディングについて「初めて話します」

――『シン・エヴァンゲリオン』はそうやって完結しました。では、代代代はどんなエンディングを迎えるんですか。

なるほど、そういう話の流れできますか。いや、すごいですね(笑)。だけど確かに、それも含めて代代代にとって重要な話ですよね。これは初めて言うことなのですが、実は結成当初「10年続くグループでありたい」と考えていました。そして何より、代代代を完結させるなら「一番格好良い状態で終わらせよう」と。BOØWYは人気絶頂で解散(1988年)したし、ゆらゆら帝国は『空洞です』(2007年)を制作して「完成しきってしまった」と2010年に解散した。そういう意味では、自分は自分が作る音楽の可能性を信じているし、「まだまだできる」という自負もあります。

――先ほどおっしゃった「10年」という区切りに関しては、結成当初と現在では変化はあるんですか。

そこは関わってくださる方々も増えましたし、変化はあります。あと、なぜ今までそのことを明かさなかったのかというと、メンバーの負担にしたくなかったから。代代代は2022年で結成6年目を迎えました。決して目新しさがあるグループではない。メンバーがすごいライブをやっても、自分が良い音楽を作ったりしても、「代代代だからこれくらいできて当たり前」と言われることがある。

――それは間違いなくあるはず。

でも次のステージへ行くには、どんなことがあっても過去を超えなければならないので。自分は曲作りに関しては、ひとつ前に作ったものよりダメなものができたら死ぬつもりです。それは代代代だけではなく、毒島大蛇、アポロン学園、細胞彼女などプロデュースグループのすべてに共通した想いです。だからこそ、絶対に死ぬ気で良い曲を作らなければならない。そして、何とかここまで死なずにやってきました。今後も命を賭けて作ります。代代代のメンバーは、そんな自分にずっと付いてきてくれている。だったら、みんなでやれるところまでやっていくつもりです。「10年」は頭にある。だけど、その先のことはそのときに考えたいですね。



代代代
『MAYBE PERFECT』

2CD : 2022.02.23 Release

炸裂するソリッドでカオスなアイドルポップ!!
甘美なまでに優雅、耽美なほどに冷酷、そして艶美なままにズタズタ。正されているのか、崩されていくのか、それすらも理解が及ばない二視点ならぬ二聴点の “甲/乙” で、最新モードの代代代をご堪能あれ。

甲盤
01.THRO美美NG
02.1秒
03.LASE
04.まぬけ
05.破壊されてしまったオブジェ
06.黒の砂漠

乙盤
01.黒の砂漠
02.破壊されてしまったオブジェ
03.まぬけ
04.LASE
05.1秒
06.THRO美美NG

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