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Dos Santos(ドス・サントス)のコア・メンバーでもあり、ラテンのリズムに導かれるグルーヴ感溢れるソロアルバムを創り出したパナマ出身ドラマー/パーカッショニスト、ダニエル・ ビジャレアルに迫る — Daniel Villarreal『Panamá 77』インタビュー

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パナマ出身でシカゴで活動するドラマー、ダニエル・ ビジャレアルの初のソロ・アルバム『Panama77』が先頃リリースされた。International Anthemを主宰するスコッティ・マクニースの自宅裏庭でレコーディングされた音源などを元にした『Panama77』は、ジェフ・パーカーらが参加した演奏もさることながら、スタジオ・セッションとは違った勢いや空気感が感じられるのも魅力だ。 ビジャレアルは、International Anthemから2枚のアルバムをリリースしているラテン系バンド、ドス・サントスのコア・メンバーでもある。中南米のフォークロアからシカゴのポストロックまでが繋がるドス・サントスのサウンドの要となる多様なリズムを繰り出すビジャレアルは、活動するフィールドも幅広い。マカヤ・マクレイヴンやジェフ・パーカーらジャズ・ミュージシャンから、グラミーを受賞したエイドリアン・ケサダやベト・マルティネスらテキサスのラテン・ファンクのキーマンたちとも活動を共にしている。また、DJとしても長年活動してきた。ビジャレアルのオープンで多彩な音楽性を象徴するのが、『Panama77』だ。数々のバンド、プロジェクトに関わり、既にシカゴの音楽シーンに欠かすことができない存在となっているビジャレアルに話を訊いた。

インタビュー・構成:原 雅明
インタビュー・通訳:バルーチャ・ハシム
編集:三河 真一朗(OTOTSU 編集担当)


Daniel Villarreal(ダニエル・ ビジャレアル)
photo by Carolina Sanchez

—— パナマ出身だそうですね。まずは、生まれ育ったところの話から訊かせてください。

Daniel Villarreal(ダニエル・ ビジャレアル)– パナマ・シティで育ったんだ。とても多様性のある環境だった。世界中の人が集まり、様々な文化の坩堝だけど、それはパナマ運河があったからだ。パナマの経済の大半はパナマ運河と関係していて、船関係のビジネスや観光産業が盛んだ。サルサ、クラシック・ロック、フォークロア、ハイチやカリブ海など西インド諸島の音楽、南米、ヨーロッパの音楽も聴いて育った。アメリカに移住してからすごくカルチャー・ショックを受けたよ。アメリカではすべてが細分化されていたからだ。パナマは、人口が300万人だけど、何でもごちゃ混ぜになっている。学生時代はクラスメートに、中国人、インド人、西インド諸島から来た人がいたし、クレオール、パトワを喋る人も周りにいた。でもアメリカでは、何でもはっきり分けられているんだ。アメリカで似ている場所はニューヨークだと思う。いろいろな人種がいるし、いろいろな言語を話す人がいるから、雰囲気がパナマに似ている。

—— 音楽的なバックグラウンドを教えてください。音楽的な家庭で育ったのですか?

父親はオルガン奏者だった。パナマのムシカ・ティピカ(Musica Tipica)と呼ばれるフォークロアを演奏していた。父親が演奏していたのはポプリス(Popurrís)というタイプで、いろいろなスタイルが混ざっていた。でも自分は18歳になってから初めて楽器を演奏するようになったんだ。その時、ドラムを叩くようになった。

—— お父さんはプロ・ミュージシャンですか?

コンボで週末にパーティーで演奏していた。フルタイムで音楽の仕事はしていなかったけど、演奏はうまかったね。

—— ドラムに興味を持ったのはなぜ?

パーカッション全般に興味があったんだ。パナマではパレードやカーニバルがあって、その時に演奏するマーチング・バンドのサウンドは、パーカッションとホーンが中心で昔から大好きだった。そこからパーカッションを演奏したくて、ドラムを叩くようになった。他のパーカッション楽器も好きだよ。

—— パンクやハードコアのシーンでも活動していたそうですね?

19歳の時から、ドス・ウエボス・ウノ・カミーノ(2 Huevos 1 Camino)とノーアイディア(NOHAYDIA)というバンドで活動して、スカ・パンクやハードコアなどを演奏していて、国内やコスタリカでツアーをするようになった。22か23歳くらいの時にアメリカに移住したんだ。そこから、ジャズ、ブルースなどのアメリカ音楽を探求するようになった。パナマでは、フレディ・ソーバーというドラムの師匠に出会ったんだ。彼は「優れたドラマーになりたいなら、パンク・ロックだけじゃなくて、あらゆるスタイルを叩かないといけない」といい、様々なスタイルのリズムを教えてくれた。そこから、ドラムのボキャブラリーを広げていった。フレディは、パナマで有名なエル・ヘネラルとナンド・ブームというレゲトン・アーティストのドラマーで、レゲトンやデンボウなどのジャンルをドラムで叩いた最初のドラマーの一人だった。あらゆるスタイルを演奏していて、レゲエ、プログレのカバー・バンドで演奏したり、ジャズもフォークロアも演奏していた。彼から学んだのは、どのジャンルも少しずつ演奏できた方が優れたミュージシャンになれるということだった。

2 Huevos 1 Camino – Tiburon Salchicha
El General spotifyプレイリスト

—— Reverb.comのチャンネルでラテンのリズムを紹介していましたが、ああいうリズムはパナマで学んだのですか?

実はシカゴで学んだんだ(笑)。パナマにいる頃は、基本的なラテンのリズムは知っていたけど、もっとディープなリズムはアメリカに移住してから学んだ。ドス・サントスを結成してから、リーダーのアレックス・チャベスにクンビアのことを教えられた。

サンレコ 〜音楽制作と音響のすべ...
ダニエル・ビジャレアルやドス・サントスが掲げるアメリカ音楽シーンでの移民文化の新たな流れ 〜THE CHOIC... 原 雅明 ドス・サントスは、シカゴを拠点に活動するラテン系バンドだ。僕がこのバンドに興味を持ったのは、International Anthemからリリースされた音源がきっかけだった。...

アレックスが、『Roots of Chicha』というコンピレーション・シリーズを聴かせてくれたんだ。チチャ・スタイルのクンビアが入っていて、それがサイケデリック・クンビアだ。サイケデリック・クンビアは、伝統的なクンビアのリズムに、ディレイ、リヴァーブがかかったギターを乗せたスタイルで、僕もこのスタイルを叩くのが得意になって、ドス・サントスで使用する定番のリズムになった。

The Roots of Chicha

—— シカゴに移住した経緯を教えてください。

アメリカに最初に移住した時は、家族を育てるためだった。当時の妻がアメリカ中西部出身だったんだ。最初はシカゴ郊外に住んでいたけど、その後シカゴに拠点を移して、音楽活動に専念することにした。シカゴの音楽シーンは非常に多様性があって、ダウンタウンでは1日に様々なジャンルのライヴを見ることができて、それが刺激になった。多様性のある街だし、暖かい人々が多いし、音楽シーンは協力し合っているから、移住することにした。みんなと違うスタイルの音楽を演奏しても、必ずオープンに聴いてくれるんだ。

—— アメリカに移住した当初は、音楽活動に専念してなかったのですね。

そう、フルタイムでやっていなくて、夜だけジャズのライヴをやったりしていた。活動しながら、家族の面倒を見ていたんだ。昼間は、福祉ワーカーの仕事をしていた。地元の農家で働く移民の人たちがヘルスケアを受けられるように働きかける非営利団体の仕事で、8年くらいやってたよ。スペイン語と英語が話せるから、移民の人たちに権利のことを教えたりしていた。

—— シカゴにはパナマの移民のコミュニティはあるんですか?

アトランタ、ニューヨークにあるとは聞いているけど、シカゴにはないと思う。パナマから出る人がそんなに多くないんだ。パナマではいい暮らしができるからかもしれない(笑)。

—— ドス・サントスはいまあなたがメインでやっているバンドでしょうか?

Dos Santos – White. Lies. | Audiotree STAGED

創立メンバーだよ。アレックス・チャヴェスらと一緒にこのバンドを結成したんだ。ドス・サントスはしばらくメインのバンドだったけど、ワイルド・ベルというバンドにもコンガ奏者として加入して、ムカ・パサ(Muca Pazza)というバンドにも加入した。ムカ・パサは、フランク・ザッパ、パンク、マーチング・バンドがブレンドしたようなクレイジーなサウンド(笑)。

Tiny Deskでもライヴをやって、あの映像でシンバル、パーカッションなどを演奏している。ワイルド・ベルはコロンビアとメジャー契約をしていて、全国ツアーをしたり、ジミー・フェロンの番組やロラパルーザにも出演した。ドス・サントスは今もメインのバンドだし、これからアンティバラスとツアーを回るんだ。

——『Panamá 77』について伺います。ソロ・アルバムを作った経緯から教えてください。

ドス・サントスはヘヴィなサウンドだし、クンビア、ラテン・ロック、サイケデリックなサウンドだ。それにボーカル中心。ソロ作品は、インスト、グルーヴ中心。そこにダブ、サイケデリックな要素が入っている。実験して、自分のサウンドを作り上げたかった。ベル、パーカッションなども取り入れて、アルバムのほとんどがミュージシャンたちと一緒に生演奏している。LAでレコーディングした曲も入っているんだ。LAのFreehand Hotelでの音楽シリーズのイベントで、ジェフ・パーカー、チカーノ・バットマンのバルド・マルティネス、ワイルド・ベルのベーシストのエリオット・バーグマンなどを呼んで、ジャズ、インプロヴィゼーションのライヴをやってみてレコーディングしたんだ。そこから、いろいろな要素を取り入れたアルバムを作りたいと思うようになった。2019年にパンデミックが始まる直前だったんだけど、そこからソロ・アルバムの実験をやり始めた。ジャム・セッションをしていくうちに、それが曲になったんだ。

Daniel Villarreal / Panama 77

—— セッションから編集をしたのですか?

一番いい部分を4分くらい抜き取って、それを曲に仕上げたんだ。編集をして、少し短くした。編集作業は、シカゴでデイヴ・ヴェトライノとやった。「1:20から1:48をAセクションにして、2:00をBセクションにする」とか、そういう細かい指示を伝えたんだ。生演奏したままの曲もあるんだけど。あとから、コンガ、ベルなどの音を追加した曲もある。

Daniel Villarreal / Uncanny(MV)

—— アルバムとしてのコンセプトはありましたか?

1977年というのは自分の生まれ年のことで、パナマは生まれ故郷。だから、これまで関わってきた音楽がストーリーになっている。ジャケの写真は、スコットの自宅のテラスで撮ったものだけど、みんなはパナマで撮った写真だと思っているんだ(笑)。でも、これはカリフォルニアのハイランド・パークなんだ。

Daniel Villarreal(ダニエル・ ビジャレアル)
photo by Ariana Lebedev

—— スコットの家でもレコーディングしたそうですね。

そう。スコットの家の裏庭にミュージシャンを呼んで、そこでレコーディングした。シカゴで車にドラムや機材を積んで、LAまで運転したんだよ(笑)。まだパンデミックの真っ只中だったから、コロナの検査を2回受けてからレコーディングに挑んだ。ジェフ・パーカーは1年くらい家を出てなかったみたいで、「今回が初めてのレコーディング・セッションだよ」と言ってた(笑)。

—— ジェフとはシカゴ時代から友達ですか?

シカゴのシーンで仲良かった。マカヤ・マクレイヴンが紹介してくれた。マカヤ、ジェイミー・ブランチなど共通の友達が多いんだ。シカゴでは、お互いにいろいろなアンサンブルで演奏したり、International Anthemも共通点だった。International Anthemから誰かが僕とレコーディングしたいと言えば快諾するし、僕も同じようにリクエストすれば、他の人もそうだと思うよ。

Makaya McCraven – In These Times – live at Le Guess Who? 2019

—— 予め作曲した曲はなかったのですか?

「Ofelia」は、キーボード奏者のコール(・デジェノヴァ)と一緒に家で作った。僕がビートを作って、メロディを一緒に作っていった。シカゴでレコーディングした。

Spotify
Ofelia Daniel Villarreal · Song · 2022

「Patria」は、パナマの作曲家アベリーノ・ムニョス(Avelino Muñoz)に捧げた曲なんだ。彼は50年代後半から60年代のオルガン奏者で、パナマで早朝にテレビをつけると、彼の音楽が必ず流れていた。父親がアベリーノ・ムニョスについて子供の頃に教えてくれて、彼のオルガンのサウンドに昔から魅了されていた。自分なりに彼の音楽を解釈してカバーしてみた曲だ。

Spotify
Patria Daniel Villarreal · Song · 2022
Avelino Muñoz

——『Panamá 77』は、伝統的なラテン・ミュージックの再解釈という側面もありますか?

いや、そうではないと思う。自分には、このアルバムはラテン・ミュージックには聴こえないんだ。参加している他のバンドの作品には明らかにラテン系と呼べるものはあるけど、このアルバムは、今現在のミュージシャンとしての状態をありのまま表現している。このアルバムをラテン・ミュージックとは呼ばないけど、パナマで育った時に吸収したラテン・ミュージックの要素は入っていると思う。子供の頃からサルサなどが周りにあったから、それがやっぱり血に流れている。様々なリズムがコラージュになっているんだ。パナマで育った背景と、アメリカでの移民としての経験、そしてアメリカでミュージシャンとして経験したすべてのことが反映されている。

—— 現在の活動の背景にある、音楽的なコミュニティについて教えてください。

シカゴのミュージシャン仲間は、ジャズをやっている人が多いけど、僕だけジャズをフルタイムでやっていない。ラテン・ミュージックのシーンでは、ソン・ハローチョ(Son Jarocho)というジャンルのフォークロアのバンド、イーダ・イ・ブエルタ(Ida Y Vuelta)のメンバーでもある。ソン・ハローチョはメキシコの海岸沿いのベラクルス地方の音楽で、アフロ・カリビアンのリズムの要素が入っている。このスタイルの音楽では、ギターをストラミングして、ボーカルのハーモニーが特徴になっていて、ドラマーは入っていない。ミニマルなパーカッションが入っていることもあって、ロバの顎で作られた打楽器やパンデイロが使われることもある。僕はこのバンドではカホンを取り入れて、ダンサーの動きを模倣したリズムを演奏しているから、通常とは違うんだ。シカゴにおいて関わっているラテン・ミュージックのコミュニティはこのバンドの周辺にある。このバンドにはハープ奏者もいる。ドス・サントスのコンガ奏者は、サルサ・シーンでも活動している。シカゴにはソン・ハローチョ、サルサのシーンがあるんだ。

Ida y Vuelta – COLAS son jarocho en Chicago

——あなたはDJの活動も長いそうですね。DJとしての側面は、『Panamá 77』に反映されていますか?

アルバムの曲順を決めるときに、いい流れがあるように曲順を決めたけど、そういう作業ではDJとしての経験は役立った。実は60曲くらいあったから、それを全部聴き返して、曲を選んでアルバムとしてまとめた。日本盤のボーナス・トラック「Things Can Be Calm」では、カリンバを演奏していて、ジェフがギター、アナ(・バターズ)がベースを演奏している。同じLAのセッションでレコーディングしたんだ。アルバムの選曲はパズルを作るのと似ているから、DJの経験がなければもっと時間がかかっていたかもしれない。DJをするときは、リスナーを音の旅に連れて行くような感覚でプレイしないといけない。だから、プレイ中にいきなり変化があってはいけないんだ。いつもアップテンポなプレイばかりではダメで、少しメロウな曲もかけないといけない。曲を整理する作業は、レコードを整理する作業と似ているかもしれないね。

—— DJを始めたきっかけは?

前からレコードは集めていたけど、シカゴに引っ越してからDJを始めた。ラテン、サイケデリック・クンビア、ブーガルーのレコードをたくさん持っていて、それが当時ポピュラーだったんだ。地元のバーでDJするようになって、お客さんに「このレコード何?」と訊かれることが多くて、そこから始まったんだ。それでマンスリーのイベントをやるようになって、人気が出た。いくつかのクラブでレジデントDJもやっているよ。ワールド・ミュージックにインスパイアされたプレイをすることが多い。ハウス、エレクトロニック・ミュージックも大好きだけど、DJとしての得意分野ではない。ビートがいい曲をプレイするのが好きなんだ。

—— シカゴのジャズ・シーンやジャズ・ミュージシャンからは影響を受けましたか?

シカゴのブリッジポートというエリアに住んでいたことがあって、International Anthemがよくそこでイベントをやっていたんだ。マカヤ、ジェイミー・ブランチ、ジェフ・パーカーがよく演奏していた。International Anthemのミュージシャンのほとんどは友達なんだ。お互いにインスピレーションを与えているよ。彼らからすごくインスパイアされるし、みんな新鮮な音楽をクリエイトしようとしている。何かの真似をしたり、トレンドを追っているわけじゃない。みんな友達だし、お互いにインスピレーションを与えあって、お互いのライヴも見に行く。10年以上の仲のミュージシャンが多い。

—— いま進めているプロジェクトや今後の予定について教えてください。

バレボル(Valebol)というユニットをヴィヴィアン・マコネルとやっている。彼女はインディ・ロック、フォークのシーンで知られていて、ユニットにはダンス、シンセの要素が入っている。ザ・ロス・サンダウンズ(The Los Sundowns)というグループもテキサスのオースティンでやっていて、これはギタリストのベト・マルティネスが率いている。彼はグラミーも受賞していて、グルーポ・ファンタズマ、ブラウンアウト、ブラウン・サバス、マネー・チチャというバンドもやっている。グルーポ・ファンタズマには、ブラック・プーマズのエイドリアン・ケサダも参加している。ベトとエイドリアンは2000年代にプリンスのバンドのメンバーでもあった。ドス・サントスのツアーで彼らと仲良くなったんだ。ザ・ロス・サンダウンズはFat BeatsからEP『The Los Sundowns』をリリースしたんだ。このバンドのアルバムも制作中だよ。あとは、自分のアルバムのライヴもやりたいんだ。

The Los Sundowns EP

—— 日本で演奏したことはありますか?

ないけど、是非行ってみたい。日本にはとても興味があるし、日本の音楽シーンについてもっと知りたいよ。僕の音楽を聴いてくれてありがとう!

Daniel Villarreal – “Patria”

RELEASE INFORMATION

シカゴのオルタナ・ラテン・ジャズバンド、Dos Santos(ドス・サントス)のメンバーで知られるパナマ出身ドラマー/パーカッショニストDaniel Villarreal(ダニエル・ ビジャレアル)が待望のソロアルバムを完成させた。ラテンのリズムに導かれるグルーヴ溢れるサウンドは必聴。日本限定盤ハイレゾMQA対応仕様のCDでリリース!!ジェフ・パーカー参加!!

Daniel Villarreal
『Panamá 77』

日本限定盤は、ボーナストラックを加えてハイレゾMQA対応仕様のCDでリリース

CD/LP
品番:RINC88(CD)IARC0054LPC(LP)

レーベル : rings / International Anthem

OFFICIAL HP :

https://www.ringstokyo.com/danielvillarreal

https://intlanthem.bandcamp.com/album/panam-77

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