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「作品の構想を練っていた時期に、ちょうど僕にとって大切な人が亡くなったからなんだ。」悲しみを乗り越えるために創られた『Cape Cod Cottage』の制作秘話、ブレンダン・エダーの音楽的バックグラウンドを解き明かす。— Brendan Eder 『Cape Cod Cottage』インタビュー

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ロサンゼルスで生まれ育ったブレンダン・エダーは、パンクやエイフェックス・ツインを聴きながら10代から独学でドラムとピアノを演奏するようになり、のちに大学でコンポジションを学んだ異色のバックグラウンドを持つジャズとクラシックのコンポーザー。彼が手がける作品にフィーチャーされているLAジャズ・シーンのトップ・ミュージシャンとは違い、幼少期から徹底的にジャズを学んでいないからこそ生まれる素朴で哀愁感のある世界観が、彼の『To Mix With Time』や今回ライヴ音源が追加されてリリースされた『Cape Cod Cottage』の日本盤にも反映されている。『ミッドサマー』で注目された映画監督、アリ・アスターとは大学時代に出会い、アリ監督の初期のショートフィルムの音楽を手がけるようになった彼は、映画、テレビ、CM音楽の作曲活動をしながら、ブレンダン・エダー・アンサンブルとしても活動してきたわけだが、コンポーザーとして生計を立てられるまでは、カンナビス業界でデリバリーの仕事をすることで、制作活動やミュージシャンのギャラを支払っていたという。

本作は、1970年代に歯科医師だったエドワード・ブランクマンという老人が妻を亡くし、セカンドライフを求めてアマチュアのジャズ・コンポーザーとして活動し始めるという壮大なストーリーに基づいている。エドワード・ブランクマンという架空のキャラクターが70年代にレコーディングした音源が、マサチューセッツ州のケープコッドの自宅から発掘されて再発されるというストーリーをブレンダンが書き上げたわけだが、ブレンダンも実際にこの作品を制作する前に大切な人を亡くし、その悲しみを乗り越えるためにエドワード・ブランクマンというキャラクターに自分の経験を投影し、『Cape Cod Cottage』の制作に打ち込んだという。そんなブレンダン・エダーに彼の音楽的バックグラウンド、そして『Cape Cod Cottage』の制作秘話について語ってもらった。

Brendan Eder Interview
ブレンダン・エダー インタビュー

Text &Interview by:バルーチャ・ハシム廣太郎 Hashim Kotaro Bharoocha
Edit by:三河 真一朗 Shinichiro Mikawa (OTOTSU編集部)


Artist:Brendan Eder Ensemble (ブレンダン・エダー・アンサンブル)
Title:Cape Cod Cottage (ケープコッド・コテージ)

発売日:2023/01/25
レーベル : astrollage
品番:ASGE48
​フォーマット : CD​(CDのみボーナストラックとして、9曲のライヴ音源を追加収録)
ライナー翻訳:バルーチャ・ハシム廣太郎(Hashim Kotaro Bharoocha)
OFFICIAL HP : astrollage | Brendan Eder Ensemble (djfunnel.com)

Brendan Eder(ブレンダン・エダー)


—— もともとロサンゼルス出身なのでしょうか?

ブレンダン・エダー(以下 B):僕はロサンゼルスのサンフェルナンド・バレーの出身なんだ。大学はニューメキシコ州のサンタフェだったんだけど、それ以外はずっとLAに住んでいるよ。いわゆる純粋なアンジェリーノだよ(笑)。

—— ニューメキシコ州の大学では音楽を勉強したのでしょうか?

B : そう、カレッジ・オブ・サンタフェという大学だったんだけど、そこでドラム、作曲、サウンド・エンジニアリングなど音楽関連の勉強をしたんだ。

—— 音楽的な家庭の中で育ったのでしょうか?

B : 叔父がドラム・セットを所有していて、それをよく叩かせてもらっていた。ピアノは子供の時に興味を持って演奏するようになったんだ。両親がドラムを買ってくれて、11歳くらいから曲を書くようになった。そこから徐々にコンポーザーとしての道を歩むようになった。

—— 最初に演奏するようになった楽器はドラムですか?

B : そうだね。最初は独学でドラムを叩いていたけど、何回かドラムのプライベート・レッスンを受けた。高校生からジャズ・アンサンブルで2、3年間演奏するようになった。あとは他のバンド活動をすることで勉強したよ。

——ドラムを叩き始めた頃は、どんな音楽に夢中だったんですか?

B : 当初はフガジ、エイフェックス・ツイン、フュージョン時代のマイルス・デイヴィスなどが大好きだった。クラシックも大好きだったんだけど、ストラヴィンスキー、チャールズ・アイヴスなどをよく聴いていた。父親がジュリアードでトランペットを学んだんだけど、僕が生まれた頃には、プロのミュージシャンとしては活動していなかった。だから、父親から音楽を聴かされたわけじゃないんだけど、父親が持っていたテープなどを聴くようになって、とてもインスパイアされたよ。パンク、ジャズ、ダブ、ロックステディなどが大好きで、とてもインスピレーションになった。

—— パンクのバンドでも演奏していたんですか?

B : そうだね。大学生の頃は、僕より数年くらい年上のミュージシャンとマス・ロック系のバンドでサンタフェで活動していたんだ。パンクの要素が強いサウンドだったんだけど、エマージェンシー・ルームというバンドで1枚だけアルバムをリリースした。メンバーがサンタフェを離れたから解散になったんだ。

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