黒木真司(Z.O.A)がソロ・アルバム「水彩」をリリースした。音の一粒一粒が煌めきながらも透明に研ぎ澄まされた鮮やかさを保ち、それでいてどこか隠棲の哲学者が開いた悟りのような落ち着いた端正な表情をも持ち合わせている楽曲群に息をのむ。曲一曲の完成度もさることながら各曲のミックスも隅々まで気の行き届いた音響トリートメントがなされ、どこか懐石料理の厳選された素材と試作を重ね辿り着いた調理法の関係性の如く全神経の琴線に触れるその音の味覚に引き込まれていく。この音はどこから生まれてくるのか。既に解散態勢に入りレコーディングを目前に控えながらもどこか物静かなその佇まいは恐らくもうすぐ訪れる過去最大のテンションの高まりを今はまだ内に秘め、まさに嵐の前の静けさ状態の黒木真司にそのZ.O.Aの活動を踏まえながら話を聞いてみた。<PART 2>
取材・文:カワグチトヨキ
写真:秋山典子
編集:汐澤 (OTOTSU)
【後半の今回はアルバムに収録された楽曲の五曲目から最後の曲までの解説とZ.O.A最終章への想いを森川誠一郎との出会いから加入への経緯を振り返りながら語る。】
―引き続きアルバムの楽曲についてお聞きします。5曲目は「暁のゴンドラ」。この曲は組曲っぽい構成ですね。
イントロは、それぞれ拍子の違う3本のギターから成るポリリズムで、それぞれのパートのフレーズを1小節弾いてそれをループさせる方が簡単ではあったんだけど敢えて実際に1分間以上メカニカルに弾いてみました。
―ギターが結構左右に振れてて。かと思えば同じフレーズが急にふっとセンターに来たり。
そういうのは全部森川。定位とかは。自分はただ弾いてるだけ。
―曲のアレンジは勿論有るとしてそれとは別に録音用のアレンジってありますよね。フレーズを分解して分けて録ったり。
基本自分が録音に疎いというのもあるんだけど。彼がいろいろアイデアを出してくれて。あまり自分のほうからこうしてっていうのはそんなには無かったかな。無い事は無いけど。
―次は、「スローモーション」。
まさにスローモーションで。遠い昔の記憶というか、モノクロの残像が頭にぼんやりと。決まっているシンプルなメロディを先に録ったんですよ、情感を込めたフリーテンポで。で、後からそのフリーのメロディに合わせてバッキングをつけたという通常とは逆の録り方ですね。かなりエフェクト処理があって、エレキのみで。
―アルバムとしてはここまでが割と一気に聴かせる感じがしました。で、次が「陽だまり」。この曲、たまらないっす。
本当(笑)?
―これエレキギターだけなんですよね。
森川が絶妙なミックスをして。アコースティックみたいな音が。
―低音が綺麗によく出てて。まさにひだまりっていう感じのやわらかい陽の光ってかんじがして。
ストラト(※ギターモデルの種類)のフロント(※ピックアップマイクの位置。)だけどアコギみたいな音だよね。森川に音聴かせてもらって、よし!もうこれで行こうって。
―でもそういうのってプレイヤーとしてまず自分でも音作りをするでしょう。で、決めた音に対してミックスで変えて来る訳じゃないですか。それが良いって思えるって凄いと思うんですよ。やはり信頼関係、ですね。
(笑)どうだろう?まあ曲を先に渡して、有る程度イメージを伝えて、大体一ヶ月に一日一曲録音する感じで一年かけてお互い空いている時間になんの制約もなくのんびりやりました。この曲のギターのチューニングはレギュラーではなくDADGADチューニングにしてます。ギター1本で構成されている曲は他に「雫」と「欺瞞の檻」の全部で3曲なんだけど「陽だまり」はDADGAD、「欺瞞の檻」はDADGADを更に崩した変則チューニング、そしてガット・ギターの「雫」のみレギュラー・チューニングで弾いています。他の曲でもバッキングはほぼDADGADチューニングでメロディーパートはレギュラー・チューニングと半々くらいかな。このDADGADチューニングはアイリッシュ・トラッド等に良く用いられるチューニングで独特の響きがして世界が変わります。川口くんもギター2本あったら1本それにして弾いてみて。
―はい、やってみます(笑)。では次はその「雫」。
これは自分の中ではピアノをイメージして作った曲。ギターを弾いているんだけどピアノを弾いてるイメージで。デモを森川に渡したらめちゃくちゃアンビエントなのが合うんじゃないかってことでこの音処理にしてくれたんです。
―この曲も堪らないですね。大好きです。
ありがとうございます(笑)。
―ちょっとノイズ混じりの音で。人の気配はするけどまだ居ない夜明け前の暁の街、その街角の水たまりに落ちる雫と都市の微かなノイズ、丁度逢魔が時の逆で闇の世界からこれから人の世界に戻る時間の境界線に響く凛とした音、そんな印象を持ちました。
面白いね。曲ってもう世に出たら聴いた人の物だと思うから。そういうのを聞くのは楽しい。最初、森川は洞窟で録ろうよって言ったぐらいで。水の滴るピシャンピシャンっていう感じで。
―もうギターの一音一音が雫に聴こえます。
そういう処理を森川がしてくれたんです。だから元の音を聴いたらポーンポーンって鳴ってるだけでつまらない(笑)。アンビエントな音の処理が素晴らしくて。
―だってこれクラシックギターだけなのに、後ろの遠くに聴こえない音が聴こえますよ。
それもミックス。エフェクト処理で。倍音がわーっとね、森川の作ってくれた音が凄くて。
―作曲者の想いを越えたミックスですね。
特にどうしてほしいとは言ってないけどね。森川の方が俺は何も言わないからさーといいつつ(笑)、こんなのどう?って送って来て。いいじゃんいいじゃんってなって。そういうのばっかりで。
―それは是非、曲ごとに解説してほしいですね。
録音秘話的なね。ある意味、共作だと思ってるから。
―その言葉、いただきます(笑)。
秋山さん(※秋山典子。Z.O.Aや血と雫のライブ写真や今作でのアーチスト写真撮影)の写真もそうだし、ジャケットのデザイン、レーベルのオーナーもそうだし。いろんな人に力になってもらって。感謝しかないですよ。
―では、最後、「暗き空へと消えゆきぬ」。最後に相応しい総動員感のある曲ですね。これは中原中也ですか?
分かりましたか。そうです。コンセプトをあらかじめ考えてた訳ではないんだけど、曲が出来て並べていく時に自然と世界観的なところで曲名を考えていっちゃうし。星から生まれて闇に帰って、空に戻ってまた星に戻るみたいな。
―循環して行く。怒りが昇華されて。
でまた怒るんですよ(笑)。
―元の詩からのインスパイアはありましたか。
いやもちろん中原中也は好きだけど。曲のタイトルを考えなければ行けない時にじゃあどうしようってなって。一番最後の曲だし、なんとなく自然とコンセプトを考えてどうしようかなと。「失せし希望」って詩の一節なんだけど。自分で何か考えるんだったらぴったりな言葉があるからこれをそのまま使わせてもらおうと。やっぱり諦めの部分ってあるじゃないですか。あの人やさぐれてるし(笑)、でもやるせない温かさもあるし、ぴったりだなと。
―フロア・タムやシンバルとかも使って。
ティンパニーのように。これはスタジオで録って(ドラム・セットの打楽器使用の録音のみ。それ以外は全て通常ライブ・バーとして営業している阿佐ヶ谷ハーネスでの録音)。最後のフィードバックはメロディーではない偶発的な産物だけどアルバムのハイライトだと思っています。
―各曲の解説、ありがとうございました。では、次にZ.O.Aについて伺います。いよいよ解散ということですが其処に至る経緯を教えていただけますか。
これなんか本当は森川が話したほうがいいんだろうけど。
―でしょうけど今回は森川誠一郎視点ではなく黒木真司の視点でお話を聞けたらと。
そもそも今の自分たちがあるのが2015年にジュネさんのAUTO-MOD35周年(※高円寺HIGHでの「時の葬列」)の時に声をかけてもらって。それ以前に森川とはたまにやり取りはしてたけど、血と雫のデビューライブで2012年かな、やるからおいでよって言われて。その後また数年連絡を取り合うでもなく。で、久しぶりに連絡が来て。こういう話が来たんだけど黒木やらないよねって。まあ前にもうやらないって言ってたから。でも、その時は何故かやってもいいかなって思ったんだよね。だから、やるっていったらえーー!!って驚いて。で、やるならPAZZちゃんとタカさん呼んでやろうよと。ジュネさんには恩義もあるし(※無名だった初期Z.O.Aがシーンに浮上するきっかけとなったのは1985年AUTO-MODジュネのブッキングによるLOFTでのライブ。共演はSADIE SADSとGASTUNK)。で、それからは鬼(※YBO2の楽曲「AMERIKA」を演奏するユニット)やったり。で、少しまた動き始めると曾ての人と連絡する事が出来たり、ガゼル(※ASYLUMボーカリスト)のソロでちょっと弾いたり。なにかしらそういうのが少しずつ出て来て。元々アルバムで二曲弾いているからと森川の空蝉(の再演ライブ)に参加したり。で、その後Z.O.Aをやるのかといったらそれは無く、Z.O.Aとしてやることになったのは・・・いつだっけ。
―HIGHのワンマンですか。
そうだ。高円寺HIGHでワンマンやって、大阪でもやって。Borisとやって。それぐらいか。で森川としてはこの先、・・なんだろ難しいな(と考え込む。言葉を選ぶように)。みんな当然それぞれ生活があって、森川には血と雫があるし、当時と同じエネルギーでZ.O.Aをバンドとして継続して行くのは難しいし、年齢的な事を考えると周りで亡くなって行く人も増えて、今後やろうとした時に出来なくなる可能性が無くもなく、であれば皆が元気で命があるうちに綺麗に終えてもいいのかなと。そういった森川の考えにも賛同したし、ジュネさんのときは一回やってみてやっぱり楽しいなと思ったけど、じゃあこれをずっと主立ってやっていくっていう感覚では無くて。であれば未発表の新しいアルバムを一枚ドンと作って終えましょうかと。非常にエネルギーを使うバンドなので、継続してやって行くのは若い頃は出来たけど、今はかなり難しい。
―最後に何かひとつ成して終えたいと。
やっぱりそのほうが気持ちいいし、自分でも力が入るし、今までの既存の曲だけで解散ライブやります、だとちょっとね。
―本音を言うとやっぱり惜しいな、とかありますか。
いや(キッパリと)、それはないな。タイミングは今かなと。この世のすべてはタイミングだと思っています。
―ラスト・アルバムのレコーディングはどうですか。
(このインタビュー時点で)まだ。今はプリプロというか。泣いても笑ってもこれが最後になるし、それ以降もないから、曲がその後進化して行く事もないし。曲って普通はライブで育って行くじゃない?それがないってことはなんとなく、うーん・・て気はするけどそれは封じ込めてスパッと。今凄い充実してるし、みんなと日々やり取りしてあーしようこうしようと。
―まさかのヒデロウさんの復帰もあり。
彼の在籍期間は八ヶ月くらいだったんだけどね(笑)。
―当時NHKで放送したライブ(※1990年新宿POWER STATION)の録画をずっと観てたからなんとなくこのメンバーがZ.O.Aだ、みたいな個人的なイメージがあって。
なるほど。あの頃が一番露出も多かったと思うし、活動もピークだったかな。Z.O.Aはこれまでに何人もドラマーが変わっていて、ヒデロウの時が良いって人も入れば、PAZZちゃんの時が良いって人も、佐藤カツさんや野島、もちろん俺が入る前の星野君、それぞれ良いって人も居るし。健全にバンドと呼べる時期はヒデロウが一番最後だったのかな。その後、木村(隆)さんや吉田(達也)さんはいたけど、アルバム(※「Confusion In Normality」)出したのもヒデロウが最後で。「仮想の人」(※Z.O.Aの新作アルバムとしては最新作)があるけど、まああれは位置づけがちょっと別で。そういう意味ではタイミングよく彼も快く受け入れてくれて。彼の唯一の心残りだったレコ発も35年振りにこの間やって(笑)、そして満を持して新作なんだけど、最新にして最後のアルバムになるという。
―ドラマチックですね。
言葉にするとそうだけど流れでね。でもね、綺麗に終えられると良いなあと思う。みんな同じ方向いてるから。当時のように前が見えないのにスケジュールだけがどんどん決まってみんなでアタフタするよりは、全員ゴールするところが決まってて舟に乗って漕いで皆で力合わせて行こうぜっていうね。後は転覆しないようになんだけど。あの頃って仲違いが多かったから、森川とヒデロウは仲悪かったし(笑)、森川もスタジオ来ない、ヒデロウも来ない、なんてこともあったから(笑)。だから、今は良い感じよ。ここは使わないで良い(笑)。
―いやいやとても良い話だと思いますよ(笑)。終焉へ向けて充実した活動が行われている、と。
ただ、若干の欲がないわけではなくて、もうちょっと地方へ行けたかな、とかね。でも、ここへ行くならここもってなっちゃうから、遠方のファンの方には申し訳ないけど、大きく分けた東と西、という今回のスケジュールになりました。
―スケジュールの話で言えば、例えば全部(高円寺)HIGHじゃなくてもう少し大きな会場で、とか考えなかったですか。
いや、それはカッコ悪い。そのへんの美学はあって。森川が一番そうだと思うけどね。かつての小滝橋の新宿LOFTがホームだったでしょう。それと同じように2015年ジュネさんのHIGHで今の俺たちが始まったとすると、HIGHで終えるのが美しいんじゃないかと。ここで身の丈の合わない大きな会場で(渋谷)クアトロとか(代官山)ユニットとか行ってもおかしいし、今の(歌舞伎町)LOFTもまた違うし。え、最後でクアトロ?って自分が観る側だったら思ってしまう。なので、もし入れないお客さんがいたら申し訳ないんだけど、最後はHIGHで2daysというのがどうしてもある。
―では少し時代を遡りまして、せっかく黒木さんにお話を聞く機会なので、森川さんとの出会いやZ.O.A加入に至るまでのお話を伺いたいんですが。
15、16才くらいかな。かれこれ40年。
―同い年ですか?
同い年。中学校だと同じエリアで生活してるけど、高校だと違う学区の子たちと出会う場所として地元のスタジオにバンド少年が出入りしていて、そこで出会ったかんじかな。
―それってすごい不思議なんですけど、ぼくも15、6の頃ってスタジオ入ってましたけど同じスタジオの他のバンドと仲良くなるってことはなかったです。地域の独特な空気があったんでしょうか。
あったかもしれない。そのスタジオの象徴的な存在というのかな、のちのZ.O.A・Z.O.A(※1stリリース時のZ.O.Aの通称)のメンバーになる人たちがやっていたバンドがあって。
―シャッフル。
そう。それが自分ら世代の憧れの大先輩で地元のヒーローで身近なスター的な存在だった。例えばだけどそのスタジオがひとつの軽音部みたいな。
―あ、なるほど。
スタジオ主催の定例的なコンサートをやったり、地域の離れた他のスタジオとも協力して街の公民館借りて大きなコンサートやったりして、皆が知り合いで部活みたいなかんじはあったかな。
―いや、腑に落ちました。
今でこそ一つの街にスタジオってたくさんあるけど、そこしか無かったから。そのシャッフルのひとたちってソニーのオーディションに合格してメジャーデビューも決まっていたバンドだったんですよ。残念ながらそれを目前に解散してしまうんですけどね。最終的にそのひとたちがZ.O.Aになっちゃうんだけど。
―面白いですね。
そんなスタジオに森川が現れたのが凄かったの。台風の目というか風雲児だったんですよ(笑)。嵐のように。
―やってきた(笑)。
ザワつかせたんですよ。変なやつが来たぞと(笑)。当時は、今もそうだけど、尖ってるっていうか。ギターとかケースに入れずにズズズって駅から引きずって来て、こいつヤバい奴だと思って(笑)。鋲の付いた革ジャン着てモヒカンで。そんな彼がコミューンをかき回すわけですよ。存在自体が物凄いエネルギーを持ってたから、普通のロック少年の子が居る中でね、彼は何か鬱積した何かを発散したくて、それが音楽でパンクに出会ってそういう方法論でそこへ来たんだろうけど、で、シャッフルの人たちにZ.O.Aでやってくれないかと。それ以前に同じ志しを持ったパンク少年たちと初期のZ.O.Aをやってるんだけど、その頃も観てるけど衝動の固まりで演奏は稚拙だし、顔中にマヨネーズ塗りたくって、有刺鉄線の上を転げ回ったりっていうのを話で聞いたりして何やってんだよって。でも星野君(※シャッフルのドラマー。バンドのリーダー的な存在だった)たちも彼の強烈なエネルギーに引き寄せられたんでしょうね。森川がやってくれって頼んで、いいよ、やってやるよってなって。あの演奏陣だからね。それまでの稚拙なパンクバンドが急にスーパーテクニックの格好いいインダストリアル・バンドになっちゃって。うわって。それはもう衝撃でした。
―同じ仲間内でそう言う事が起きて。
同い年でいち早くスターダムというか、鹿鳴館の写真がフールズ・メイトに載って森川だよこれって。で、彼も俺もドロップアウト組だったから皆が学校行ってる昼間にアルバイトしてて。俺の働いてるところの隣の隣で彼も働いていて、顔を合わせることが良くあって、それから話すようになったのかな。俺は別のバンドをやっていて。そうしたらソドムがシャッフルのメンバーを引っ張っちゃって(全員加入して)Z.O.Aをやめてしまって困ったと。そして、なぜか黒木ギター弾いてくれと。なんでおれ俺?って(笑)。
―新メンバーとして誘われたんですね。森川さんはそれまでに黒木さんのギタープレイを観てた?
さっき話したスタジオの定例コンサートで観てますね。で、彼はシャッフルのメンバーが脱退した後、YBO2でギター弾いたりしているうちに、北村さん(※北村昌士。フールズ・メイト初代編集長でYBO2結成後トランスレコードを主催しZ.O.Aやソドムのレコードをリリースした。故人。)にも感化されてたんで、それまでの音楽性と違って、キング・クリムゾン(※北村氏は単行本を執筆してYBO2は曲が似ていると評された)みたいなハードでありつつ混沌としたものがやりたいと。で、やるんだったらハードロックがベースにある俺がいいなと思ったんだろうね。声をかけてもらって。
―黒木さん加入後、当初は昔の曲をやったりしてましたね。
「99」とか。
―「OFF BLACK」とか。「豚の神様」とかもそうですね。
曲が無かったから。「OUT」と「CRY THE WAR」は物理的にできないし。打ち込みが有るから。当時の森川としては過去のイメージを払拭したかったんだろうけど、それまでのお客さんからは何これって総スカンでしたね。全然変わっちゃったから。同じ地元のコミュニティで観てた人たちからも俺が入ってから最低とか、退化とか(笑)言われて。こっちとしてはふざけんなよ、同じことやるわけねえじゃんって。河津君(※前Z.O.Aメンバーでシャッフルのギター)と同じことやってもしょうがないし、だから俺を呼んだんだろうし。結果お客さんはかなり入れ替わっちゃったけど。
―はい。でもぼくもZ.O.A・Z.O.A大好きでしたけど、最初「OFF BLACK」のシングル「ALL DISEASE HUMAN」のイントロを聴いた時・・・
全然違うでしょう。
―びっくりしました。あの曲は黒木さんの作曲ですか?
リフだけね。大体の曲作りは断片的なリフだけ俺が持っていって森川と俺でこねくりまわしたり、或いは森川からのフレーズに俺がギターを乗せたり、それをスタジオに持って行ってみんなで作り上げる。健全なロックバンドのやり方で。
―前のメンバーの時の、例えばベースがスラップだったり残り香があって。
(中川)カンスケくんね。
―Voのエフェクト(※当時類を見ない強力なエフェクターで他のバンドと一線を画した)だったり。テイストが残ったまま音楽性が変わって、でも格好いいっていうのを感じました。
トランスの売り出し方としてはタイミング的にASYLUMとワンセットみたいになったかな。ハードロックがベースで、プログレ、ハードコアの要素もありで、俺が入ってからのZ.O.Aと音楽性が近かったのかな。とにかく、森川はYBO2をやったのが一番大きかったんじゃないかな。北村さんの影響と言うか。
―そうですね。逆に北村さんも森川さんから影響を受けた部分ってあると思います。見た目も髪が伸びたのは森川さんと出会ってからだし。
一緒に住んでたからね。親子みたいというか兄弟みたいというか。
―元々海外のプログレの雑誌を編集していた北村さんが、国内のインディーズに目を向けてトランスをレーベルとして始めたのは、きっかけはソドムだと思いますが、その後も継続してインディーズに深くハマって行ったのは森川さんがきっかけだったんじゃないかと。
あー、腑に落ちた。森川ってさ天真爛漫で純粋無垢というか、今もあるけど若いときは顕著だったから、―人を巻き込む力が。間違いなくあった。北村さんも俺も他の人も巻き込まれて行った人間で。波長が合う人間は巻き込まれて、合わないないやつははじき飛ばされた。どっちにしても大迷惑か(笑)彼はそういう台風のような力を持っていたよ。
―森川さんとの出会いが有り、加入後はZ.O.A一本で。
そうだね。なんだかんだ言って森川とやるのが楽しかったし。
―で、そのZ.O.Aが一旦終わりになり。
加入後、3、4年間くらいか、なんというかロック的な物に嫌悪が出て来て。
―活動の最後の方が辛かったからっていうのがありますか。
辛かったんでしょうね、今思えば(笑)。
―ちょっと音楽から距離を置きたいと。
いや、音楽からっていうのではなくてロックというものから。
―それで先程の琵琶の話に続くのですね。
内に向かって自分がギタリストとして考えた時に、勿論ロックから影響受けてるから、それはそれでいいんだけど、日本人として日本の音楽を知ってるのかと言えば知らないと。日本人なら日本の楽器を弾けたらいいじゃないかというのがあって。同じ弦楽器として琵琶をやってみようと。元を言えば琵琶だって古代ペルシャからシルクロードを通って九州から渡って来たんだけども。でも日本で古来から熟成されてきたものとしてね。それを弾けたらいいなっていうのと、自分のルーツとして両親とも宮崎で九州の人間で、自分がやってたのは薩摩琵琶なんだけど、鹿児島は宮崎と近いし、自分の九州人としてのルーツを辿っていくことの意味も感じてやっていきたいなと。
―音楽から離れたわけではなくバンドからの喧噪から離れて、自分のルーツと内面を探求する時期があったということですね。
ナショナリズムって一言でいうとあれだけど、海外の人が派手に髪の毛を立ててヘビーメタルやってても、根っこにはブルースがあるぜって言えるギタリストっていいなあと。でも自分たちにはそういうのないでしょう。
―海外のブルースに根付いたロック・ギタリストのように自分の中でも核になるものを探した?
もっと単純にいうと日本のものをやってみたくなったのかな。
―そういえば「仮想の人」を聴いたときにその日本的な和の匂いを感じました。今までのZ.O.Aには無かった和の部分が時間を経て黒木さんの中からZ.O.Aにおいて滲み出てきた。
「仮想の人」はそれまでと全然違うでしょ。森川も詩を朗読するなんていう過去には考えられないことを始めてね。
―はいはいはいはい。
コバイア語(※プログレ用語でいわゆる創作言語)でがなり立てて詩を唄わなかったのに。彼は彼の中で自分の探求をずっとやっていたんだね。言葉がなかったのに言葉を選んで出すようになった。
―「空蝉」(※朗誦をベースにした森川誠一郎のソロ・アルバム。「仮想の人」とは世界観において共通項を見出す事が出来る)は「仮想の人」の後でしたっけ。
その後だね。人間誰しもあると思うけど、自国のものに回帰して掘り下げていったんじゃないかな。それを経て今、血と雫というものに昇華されて。それこそ有刺鉄線で転げまわっていた人とは思えない。まさかっていう(笑)。
―今回、新曲にも日本語とか入ってきて今一気にそれまでの多様性が集約してきていますね。
ぎゅーーとね。過去にこだわってたものをも飛び越えて、良い意味でロックなんじゃないかなと思うしね。Z.O.Aのラスト半年前に自分のソロがリリースされて、いろんなタイミングの辻褄が合ってくれたのかなっていう。じゃあその先どうすんの?って話だけどね。
―後の事は考えずに。
CITTA(※川崎CLUB CITTA。DOOM主催で3月20日開催済。)のイベントが終わったらあと6回。6回っていったらすぐだもん。三ヶ月ぐらいしたらレコ発になっちゃう。あっという間。
―いよいよ、ファイナル・カウントダウンですね。
最後の曲は何だろう、と考えると・・・胸に迫るものはありますね(笑)。
Release Infomation
水彩
黒木真司
2024.05.22 DEGITAL RELEASE
Grand Fish/Lab
Z.O.Aの黒木真司、1997年以来となるソロアルバム。「水彩」
本作はギターのみならず、ブズーギやアコースティック楽器等を使用し、淡く儚く滲む音像世界に広がる楽曲群。オールインストルメンタルのこの作品は1年の期間ゆっくりと作業が進められ説得のある音楽作品と仕上がっている。
LIVE Infomation
●Z.O.A 1984-2024
7.14 (SUN) 大阪FANDANGO
open 19:00 / start 19:30
adv ¥5,000 / door ¥5,500 +1d
ticket: https://t.co/heui3Mf2tA
7.21 (SUN) 高円寺HIGH
open 18:30 / start 19:30
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