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【岡山健二 連載】ミュージックヒストリー - 今までとこれから - vol.11

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2023年夏、ソロ作品では初となる全国流通アルバム『The Unforgettable Flame』をリリースし、その後も会場限定盤・自主制作音源のサブスク解禁や新曲の配信リリース、2024年3月には同アルバムのLP化、10月にはユニットclassicusでのカセットリリースなど、活発な活動を続ける岡山健二(classicus / ex.andymori )。そんな彼にとってひとつの節目を迎える2024年、OTOTSU独占で岡山の音楽人生の振り返りと今後を深堀りしてゆく新連載が、2024年1月からスタート。
毎月最終木曜日更新 / 全12回予定。

文:岡山健二
編集:清水千聖 (OTOTSU編集部)


サニーデイ・サービスの音楽を聴き出したのは、andymoriに加入して、しばらくしてからだったと思う。

最初に買ったのは、2ndアルバムの「東京」で、次は、5thの「24時」か、6thの「MUGEN」だった。CDをパソコンに取り込んで、iPodに入れて、街を歩きながら聴いていた印象がある。

自分にもし、大学に通うという人生があったとしたら、放課後の誰もいない教室で、1人イヤホンで聴いたりしていたんだろうなという絵が浮かんだ。とても洗練された都会的な音楽だなと思った。

はじめてスタジオに入る日、自分はスネアドラムの入ったケースを片手に、これまでにあまり馴染みのない駅を降り、それまでに行ったことのない練習スタジオへと向かっていた。

今までに一体、いくつのバンドでドラムを叩いてきたのだろう。自分でもわからないけど、その度に経験してきた最初の練習というものは、いつまで経っても慣れることができない。

この日も自分は、もうすぐでスタジオに着くという辺りで、うまくできるだろうか、と不安になり、しばらく空を見てボーッとしていたのを覚えている。

時期でいうと、たしか2017年の2月くらいだったと思う。classicusの1stアルバムが2016年の12月に出たのだけど、ちょうど同じ頃に、サニーデイ・サービスのワンマンライブが恵比寿LIQUID ROOMで行われると聞いたので、観に行かせてもらった。

白熱のライブだった。終演後に挨拶しに楽屋に行き、完成したばかりのアルバムをヴォーカル・ギターの曽我部恵一さん(以下:曽我部さん)に手渡し、少しお話させてもらったところ、実は今回のツアーサポートには、自分の名前も候補に挙がっていたということをマネージャーさんから聞かされた。

何だか、とてもうれしかったので、「ぼくでよければ、いつでも声をかけてください」といったことを伝え、帰路に着いた。

そうしたら、次の日に曽我部さんが「アルバム聴いたよ」とメールをくれて、その流れで、「一度、スタジオに入ってみようよ」という話になったのだった。

曽我部さんとは、andymoriの時に、何度か共演をして、面識もあったのだけど、ベースの田中貴さん(以下:田中さん)とは、この日にはじめてお会いした。

ロビーで、何か話をしてから、曽我部さんが「やりますか」と立ち上がり、3人でスタジオの中に入っていった。

何の曲をやるともなく、曽我部さんがギターを弾き出し、田中さんもその音に合わせてベースを弾き始めていたので、自分もドラムで、それに加わった。

即興で演奏されたその曲は、歌のない、きれいなカントリー調のバラードだった。4〜5分続き、ラスト辺りに曽我部さんがギターソロを弾いて、その曲は終わった。「いい曲だったね」と曽我部さんが言っていたのを、よく覚えている。

最初のライブは、4月に下北沢CLUB Queで行われた。20曲近く演奏しただろうか。ロックに演奏する曲、繊細に演奏する曲、気だるく、かつタイトに演奏する曲、サニーデイ・サービスには本当にいろんなタイプの曲がある。それらを曲ごとに切り替え続けていきつつも、ライブ全体の空気感は一定に保つ、といったことを自分は考えていた。

classicusの活動をしながら、これからはサニーデイ・サービスでもドラムをがんばってやっていこうと思っていたところに、銀杏BOYZでドラムを叩かないか、という連絡をもらい、これはさすがに無理があるなと自分でもわかっていたのだけど、たぶん今はそういう時なんだろうなと思い、やることにした。

今までも、何度かドラマーとしてのピークがあったけど、この頃が一番叩いてたんじゃないかなと思う。例えば、自分ではないドラマーが、サニーデイ・サービスと銀杏BOYZを叩いていると聞いたら、驚くだろう。日本のインディーズ(とくに日本語の)に興味があったら、この2バンドの名前は、否が応でも、耳に入ってくると思う。(andymoriもそうなっているのだろうか。)何かしら、特別な時期だったのだろう。

2年近く、この体制は続いた。2019年に入り、サニーデイ・サービスのライブをしばらく休止するという話を受けたので、そのタイミングで、自分も、この辺りで、もう少しソロに専念したいという気持ちがあったので、バンドを離脱する旨を伝えた。

2010年くらいから始まった、一応、プロと呼ばれる活動が大体10年目を迎える頃だったのだけど、自分としては、この辺りで、何となく、ひとつの役目が終わったような感覚があった。もちろん、その後もドラムは叩き続けているのだけど、それ以前とは、何かが変わってしまったなという感じがある。でも、別にそれでいいのだと思う。それだけ、長くドラムを叩き続けてきたということだし。今も自分にドラムを託してくれているバンドをちゃんとやっていこうと思っている。(役目だなんて、自分で言っておいて、大袈裟だなと思うけど、これまでの自分を形成してきた音楽というか、文化みたいなものを自分より、若い人たちに伝えていきたいなと、思うようになったのかもしれない。)

ただ、改めて、あの時期にサニーデイ・サービスに関われたことは、自分の音楽人生において、とても貴重なことだったなと思う。

曽我部さん、田中さん、ギターの新井仁さん、キーボードの高野勲さん、直接、お話ししたことはないけど、オリジナル・ドラマーの丸山晴茂さん、そして、強力な制作スタッフの面々。たくさんの人たちが集まり、サニーデイ・サービスというバンドを形作っていたんだなということを、2年足らずではあるが、バンドの一員として、間近で見続けることができ、自分は、バンド加入以前に比べると、ずいぶんと成長できたように思う。

何せ、自分は車の運転もできなかった。30才までペーパードライバーだったのだけど、曽我部さんが車を買い替えることになり、それまでに乗っていた赤いパッソが必要なくなるとのことだったので、「健二、乗る?」と、いつもの飄々とした感じで、提案してくれたことがきっかけで、自分の車人生は本当の意味でスタートしたのだった。

andymoriも銀杏BOYZも、機材の運搬は、基本スタッフが行ってくれていたのだけど、サニーデイ・サービスは、メンバーそれぞれの車で、自分の機材を運ぶ感じだった。それまで、そういった面では、箱入り息子同然だったが自分が、徹底的に、考えを改めなければいけないことになった。

車に乗るようになってから、道路状況の変化のしやすさを思い知った。(入り時間に間に合いそうになく、何度も泣きそうになった。実際、何度か間に合わなかったりもした。)そういったことを繰り返しているうちに、時間通りに会場に、楽器を持って、いられるということは、カッコいいことだなと思うようになった。

ドラムの音作りもそうだ。それまでは、ローディーさんたちが、チューニングしてくれたドラムに対して、最後に要望を伝える感じになってしまっていたのだけど、(デビューする前は、もちろん自分でやっていたが、大きなコンサート会場の時間割の関係で、段々と、そういう流れになってしまっていた。)サニーデイ・サービスでは、自分しかやる人がいなかったので、がんばって、取り組むようになった。

(最終的には、1人ドラムセットを乗せ、高速を飛ばし、茨城県で行われている、ロッキン・オン・ジャパンに出向き、下ろし、セッティング、チューニング、演奏、片し、積んで、また1人で東京まで帰るということができるまでになった。これには、感謝しかない。)

今思うと、社会勉強のような時間だった。たくさんの大人たちの中に、若造が1人加わり、いろんなことを教えられたり、直接、言葉にしないまでも、それはそういうことなんだと、所作で学んだり。

印象的な練習は、たくさんあった。ある時、4thアルバム「Sunny Day Service」の再現ライブを、恵比寿LIQUID ROOMで行うことになった。自分はそれまでに、そのアルバムを通して聴いたことがなかったので、曽我部さんが、「説明するよ」と言ってくれ、2人で、スタジオに入ることになった。1時間だけだったと思う。

この曲はこんな感じで、こういうリズムで、と指示を受けながら、ギターを手に、歌って聴かせてもらったアルバム全体の美しさ、それをドラムを叩きながら体感できた。そして、最後の曲が終えたところで、ちょうどマネージャーさんが、スタジオの重い扉を開けて、「次の現場があるので行きましょう」と伝え、「じゃあ、こんな感じで」と、風のように去っていった曽我部さん。

サニーデイ・サービスには、数々の名作があるが、この作品は、そういった経緯もあり、自分にとっては、とても大事な作品、というかひとつの訓示のようになっている。創作物というものが、どういうものなのか、(90年代の日本の音楽シーンの中でも、重要な作品だと思う。どのアルバムもそうなのだが。)それと、終わるなり、去っていった曽我部さんを取り巻く、音楽ビジネスが、どういったものなのかを。

そういった風に、曽我部さんは、よく単独で移動していたので、自分と、田中さん、そして、新井仁さんの3人で、車で移動することが多かった。この3人で、各地のラーメン屋を廻るのは、なかなか楽しかった。ラーメン愛好家として有名な田中さんに、散々、いろんな店に連れて行ってもらったおかげで、何となく、この頃から自分の好みというのがわかってきたように思う。

キーボードの高野勲さんには、馴染みの車屋を紹介してもらい、自分は今もそこで車の整備をお願いしている。(自分がリズムマシンとして使っているMPC2000の師匠でもあり、いろいろと相談させてもらった。)

去年のソロ作、「The Unforgettable Flame」は、サニーデイ・サービスのディレクター、渡邊文武さんにリリースを手伝ってもらった。classicusの1stアルバムのジャケットは、サニーデイ・サービスのアートディレクターとして、長年携わっていた小田島等さんに描いてもらったものだ。

30才を過ぎてから、自分にとっての大事なことが、段々とわかってきた感じがあるのだけど、そういったものは、けっこう、この時期に培ったものが多いのだなと気付かされる。

p.s.
レコードの音飛びは、つまようじで溝をなぞると、けっこう直るよ、と教えてくれたのも、サニーデイ・サービスの面々だ。

RELEASE INFORMATION

ZERO #1 : ZERO #2
classicus

2024.10.14 Release
second hand LABEL

Price: 2,500yen (tax in)

Format: CASSETTE / Digital
Catalog No: SHLT1

Track List
Side A 「ZERO #1」
01 真夜中
02 sea you
03 車輪の下で
04 ひらめき きらめき
05 恋の伝説
06 コチニール

Side B 「ZERO #2」
01 ホタル
02 シネマのベンチ
03 デッドストックのペイズリー
04 盟友
05 夜のプール
06 グッドナイト

The Unforgettable Flame (CD&LP)
岡山健二

CD 2023.08.02 Release
LP
2024.03.20 Release
monchént records

Price:
CD 2,200 yen (tax in)
LP 4,500 yen (tax in)

★ブックレットに書き下ろしライナーノーツ掲載
★ディスクユニオン&DIW stores予約特典:
 オリジナル帯

Track List
Side A.
01. intro
02. 海辺で
03. 名もなき旅 

Side B.
01. あのビーチの向こうに空が広がってる
02. 軒下
03. 永遠 
04. My Darling

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