2026年にシンガーソングライターとしてCDデビュー10周年の節目を迎える岡山健二の、新連載シリーズ。
2025年7月上旬より不定期更新。
文:岡山健二
編集:清水千聖 (OTOTSU編集部)
「幻のテープ」
Yは、数ヶ月前までバンドを組んでいた。パートはギターで、主に曲作りを担当していた。
バンドの他のメンバーは、曲作りにはあまり興味のある感じではなかった。
Yも、どちらかというと、曲を作るというよりかは、自分の好きな曲をコピーしては、それらの曲を夜な夜なギターでつま弾いているほうが性に合っているというタイプだった。
ただ自分がやらないことには、どうにもならなかったので、作り続けているうちに、自然とメインソングライターといった立ち位置になっていた。
バンドは、結成してから五年ほどになるが、その間にアルバムを一枚だけ発表した。
音楽だけでは到底、生活していけないので、Yは、いくつかのアルバイトを転々としてきた。
飲食の仕事が多かったのだが、中でも一番長く続いたのが、チェーン展開されている焼肉屋で、社員たちもバンドをやっているYのことを、よくしてくれて、たまに仕事終わりに飲みに連れて行ってくれたりもしていた。
ある時、新メニューの調理をしている際、ちょうど、お店が混み合っていたのと、まだ作り慣れていなかったせいか、本来なら解凍してから、加熱するという工程のところを、解凍するのを忘れたまま加熱し、それに気付かず提供してしまった。
そして、運悪く、その料理を口にした客が、翌日に腹痛を訴え、病院に駆け込んだところ、食中毒と診断され、前日に食事をしたYの働く焼肉屋まで、保健所の検査が入るという、ちょっとした事件になってしまった。
そのことに責任を感じたYは、社員に店を辞めることを告げ、その店から去っていったのだった。
秋晴れの空、線路の横の細い道を左に外れて、三ブロック目の右手にある古いアパート。そこの二階角部屋に、Yは住んでいた。
Yには、三年ほど付き合っているTという彼女がいた。二人は同い年で、バンド仲間のひとりが、いつも部屋でギターを弾いているか、公園で本を読んでばかりのYを気にかけ、もっと街に繰り出したほうがいい、たまには女の子と飯でもいったほうがいい、と自分の彼女の友達を紹介してくれたことがきっかけだった。
夕暮れ時、アパートの部屋、YとTは、テーブル越しに向かい合って座っていた。
仕事がなくなってしまったことは、Yにとって、やはり大きなことだった。
「これからどうしたらいいんだろう」Yが呟いた。
「そうね」
「俺は確かに間違いはしたけど、わざとではない」
「知ってるよ」
塞ぎ込んでしまっているYは、ぽつりぽつりと言葉を発する。それに相槌を打つT。
このところは、バンドの活動も停滞気味だった。
「そうだ、Wさんのところで、人手が足りないっていってたじゃない。連絡してみたら?」と、Tは提案してみた。
気乗りしない様子のYではあったが、ずっと家にばかりいるわけにもいかない。
「そうだな、電話でもしてみるか」
Wは、Yが以前短期の派遣のバイトをしていた時に知り合った、Yよりも十歳以上年の離れている男性で、今はイベント会社に勤めている。
少し前になるが、久々に会った時に、舞台まわりで、実際に楽器も扱えるスタッフが不足しているので、Yにも「よければ手伝ってくれないか?」という話を持ちかけてくれていたのだった。
「おいバイト、これ手伝え」
強面の現場監督が言い放った。まるでB級映画の悪役のような顔立ちだと、Yはいつも思っていたが、口には出せなかった。
「あ、はい」
「何やってんだ、こっちだって言ってんだろ」
「はい、すいません」
要領を得ないまま言葉だけが先に口につく。
ここのところ、ずっとこんな調子だ。
Yは新しい仕事を始めた。
Wに紹介してもらったイベント制作会社のスタッフだったのだが、思いのほか仕事はきびしく、頼みの綱のWも、今では別の部署に割り振られているようで、会う機会もほぼなかった。
毎日毎日、早朝から夜まで一日中、クタクタになるまでこき使われ、家に帰ると、泥のように眠るだけの生活が続いていた。
そんな中でも、Yはバンド活動のために少しずつではあるが、曲作りを進めていた。
停滞気味だったバンドの状態に、しびれを切らしたメンバーが、ここらでひとつ気を取り直そうと、自主イベントを行うことを提案した。
日付も約二ヶ月後に決まり、それに向け、新曲を作ってくれと、他のメンバーに頼まれたのだ。
その頃、Yの中では、いろんなことが変化し始めていた時期だった。
この先、何かがうまくいく、良くなっていくという気配など、微塵も感じられない生活の中で、心の拠り所となっていったのは、元々、自分にはそれほど向いていないと思っていた曲作りだった。
と同時に、Tの存在も大きかった。同い年ではあったが、Tはどちらかというと姉御肌といったタイプで、ここしばらく、落ち込みがちだったYのことを、励ましもするが、かといって、甘やかすわけではなく「そんな感じだと、みんなに置いていかれるよ」といった風に、ケツを叩く感じだった。
現場監督のいびりに、めげている場合ではないと、途中から開き直りを決めたことも幸いし、次第にYも、仕事に慣れていった。
その日も仕事が終わったYが、家に帰ってくるなり、
「今日は、有名なバンドのライブ・セッティングだったんだぜ」と、Tに言って聞かせた。
「へぇ、そうだったんだ」
「うん、高そうなアンプがズラッと並んで、ギターも宝石みたいでさ。ゼマティスとか言ってたっけ」
いつもより楽しそうな様子のY。
「変な名前ね、マティスみたい」
「あぁ、あの後期印象派に影響を受けて、何とかの」
「あら、詳しいのね」
「うん、知り合いがマティスのことを曲にしていて、それで気になって調べた」
「そっか」
「そういえば、今度、マティスの個展があるみたいよ。駅のホームに看板出てた」
「へぇ、そうなんだ」
「行きたいね」
「そうだな」
「今度の休みにでも行こうよ」
「うん、まあ、でも週末の美術館は苦手だな」
「まあ、あなたはそうでしょうね」
何か考えている様子のY。
「あれ、なんとかならないものかな」
「え?」
「俺が思うに、アート作品って、やっぱり孤独と共に、という要素があると思ってるんだけど、それをさ、まるで動物園のパンダみたいに、大勢で観るという図が、いつまで経っても慣れないんだよ」
「そっか」
「ありがたいという気持ちはわかるけど、それが強すぎるのもどうかと思うな。というわけで、毎回展示の目玉となっている作品のポストカードだけ買って、家で眺めているのが関の山だ」
めずらしく饒舌に語るY。
「お酒が入るとずいぶん説教くさくなるのね」
「うん、そうだな」
「まあ、いいんじゃない。聞いてたわよ。右の耳から左の耳へ、スーッと」
「そのまんま消えていく感じだ」
「そんなところね」
ある人は口に無理やり、味のしないパンを山ほど押し込まれたような。また、ある人は自分の身体よりも、少しだけ小さな箱に入れと命令されたような。
そういった、様々な苦悶の表情を垣間見ることのできる、早朝の満員電車に揺られ、Yは、その日も仕事場へ向かっていた。
ここ三日ほどは、海外の企業が出資元だという大きなフェスティバルの会場設営をしていた。仕切りを任されている業者も、いろいろと追いついていない様子で、終始、バタバタしていた。
何となく、悪いことが起こりそうな空気はあったが、そんなことは気にせずに、早いとこ、終わらせてしまおうとYは、懸命に手を動かしていた。
もう少しで、休憩だという辺りで、巨大なスピーカーを動かす必要が出てきたので、Yを含めた数人が呼び集められた。
そして、その後、そこで起こった事故により、Yの耳は、ほとんど聴力を失ってしまうこととなった。
機材を扱い慣れてない音響のスタッフが、誤ってスイッチを押してしまい、結果、けたたましいスピーカーの暴発音が会場に鳴り響いた。
運悪くYは、その音を耳元で聞いてしまったのだった。
Yの生活は一変してしまった。バンドも仕事も辞めることになった。仕事はともかく、バンドでギターを弾けなくなったことは、Yにとっては、大きすぎることだった。
急に訪れた出来事だった。
ただ、このままバンドを続けていくのか、という疑問はずっとあった。どこかで終わりを探し続けていた自分がいたことを、Yは知っていた。
一人、自室で静かに過ごす日々。
コーヒーでも淹れようと、ヤカンに水を入れ、コンロに手をかける。
昔、聞いた話だと、人類がもし月に移住することになったとしたら、真っ先に適応するのが、自閉症の人たちだといったことを思い出したりしていた。
どういう理由で適応しやすいのだっけ。肝心な部分は忘れてしまった。何だろう。習慣づけるのが得意なのだろうか。自ら決めたルール、または規律の中で、どうのこうの、だったような気がするが。
新しい状況に馴染まなければいけない自分と照らし合わせる。
それと、最近よく考えるのが、曽祖母のことだ。
亡くなる、ずっと前から、耳の遠かった曽祖母は、一緒に暮らしている家族から邪険に扱われている、といった話を、Yがまだ子供だった頃に両親が話していたのだけど、でも、実際に曽祖母に会うと、彼女はいつもニコニコと楽しそうだった。
耳が聞こえなくなってから、頻繁に曽祖母のことを思い出すようになった。
自分にとっての、唯一身近で耳の聞こえない人だった。
Yは、ふと思い出したように、部屋の隅にあるレコード棚のほうに向かった。
その脇にある古いCDや、カセットが沢山入っている段ボールを取り出すと、中を開けて、ガサゴソと何かを探していた。
しばらくして、Yが手にしたのは一本のカセットテープだった。それは、Yが、まだ曲を作っていた頃に、バンド用とは別で、一曲だけ作っていたものだった。
「これだ、このテープだ」Yは呟いた。自分には聞こえなかったが、その声は部屋に響いた。
午後の日差しが降り注ぐテーブルの上に、Yは、そのカセットテープを置き、静かに眺めていた。
灰色に透けたそのカセットテープに、陽光が反射し、天井には、水彩画のような不思議な模様がゆらゆらと漂っていた。
と、そこにTが、家に帰ってきた。一緒に食事でもしようと、近所のスーパーで食材を買い込んできたのだった。
「外はいい天気よ」いつもの柔らかく、よく通る声だ。
「雲が流れてて、とても気持ちがいい」
と、Tは言ったが、そうか、と思い直し、玄関の靴箱の上に置いてある紙とペンを手に、Yの近くへと歩み寄った。
Tは、紙に書きつけた。
『ご飯、買ってきたから一緒に食べよう』
Yは顔を上げ、Tのほうを見たあと、テーブルの上の紙に目を向け、ペンを持ち
『ありがとう』と書き、その後に、
『ちょっと、聴いてほしいものがあるんだ』と書いた。
Tは少し戸惑ったが、Yにも何か考えがあるのだろうと、
『わかった、聴かせてよ』と、走り書きで、紙に文字を綴った。
部屋の一角には、埃をかぶったステレオが置いてあった。Yがずっと使ってきたものだ。
Yはデッキの中に、カセットを入れて、再生ボタンを押した。
しばらくして、
『どうだい、いい曲だろ?』
とYは、紙にペンを走らせる。
「・・・」
『これは、俺のこともあるけど、半分はTのことも書いてある。まあ、今となっては、俺には、あんまり意味のないものになってしまったけど』
言葉にならないT。
次第に、Tの目元には、じわりと涙が溢れ出した。
涙を流すことなど、久しぶりだ。
Yは、紙にまた何か書きつけている。
Tは、その手を制止したかった。ただ、どうしてもできなかった。
カリカリ、カリカリと、紙の上を、ボールペンが行き交う音と、自らの泣き声が響く部屋。スピーカーからは、かすかなノイズ。
そう、YがTに聴かせたカセットテープには、曲など何も入っていなかった。
カタカタと回るテープの機械音だけが、繰り返されていたのだった。
アパートの横の線路を、電車が通り過ぎていく音と共に、その音にはどこか、永遠を思わせるような趣きがあった。
Yは、数ヶ月前まで、バンドを組んでいた。パートはギターで、主に曲作りを担当していた。
バンドの他のメンバーは、曲作りにはあまり興味のある感じではなかった。
Yもどちらかというと、曲を作るというよりかは、自分の好きな曲をコピーしては、それらの曲を夜な夜なギターでつま弾いているほうが性に合っているというタイプだった。
ただ自分がやらないことには、どうにもならなかったので、作り続けているうちに、自然とメインソングライターといった立ち位置になっていた。
バンドは、結成してから五年ほどになるが、その間にアルバムを一枚だけ発表した。
* * * * * *
目次
前書き
2025.06.30 公開

第一回「幻のテープ」
2025.07.07 公開
第二回「ヨレヨレのCBGB」
2025.08 公開予定
第三回「窓を開ければ」
順次公開予定
RELEASE INFORMATION
Hasta La Vista
classicus
2025.07.23 Release
second hand LABEL
Price: 2,500yen (tax in)
Format: CD / Digital
Catalog No: SHLT2
Track List
01 フェルメールの肖像 (free coffee ver.)
02 君の家まで (another motif ver.)
03 ブルーバード
04 Hasta La Vista
05 yokomitsu park
06 みえない
07 土曜の夜
08 ナイト・ドライブ


ZERO #1 : ZERO #2
classicus
2024.10.14 Release
second hand LABEL
Price: 2,500yen (tax in)
Format: CASSETTE / Digital
Catalog No: SHLT1
Track List
Side A 「ZERO #1」
01 真夜中
02 sea you
03 車輪の下で
04 ひらめき きらめき
05 恋の伝説
06 コチニール
Side B 「ZERO #2」
01 ホタル
02 シネマのベンチ
03 デッドストックのペイズリー
04 盟友
05 夜のプール
06 グッドナイト
The Unforgettable Flame (CD&LP)
岡山健二
CD 2023.08.02 Release
LP 2024.03.20 Release
monchént records
Price:
CD 2,200 yen (tax in)
LP 4,500 yen (tax in)
★ブックレットに書き下ろしライナーノーツ掲載
★ディスクユニオン&DIW stores予約特典:
オリジナル帯
Track List
Side A.
01. intro
02. 海辺で
03. 名もなき旅
Side B.
01. あのビーチの向こうに空が広がってる
02. 軒下
03. 永遠
04. My Darling

LIVE INFORMATION

2025.07.09 (Sat.) 吉祥寺MANDA-LA2
classicus「Hasta La Vista」発売記念ワンマンライブ
11:30 open / 12:00 start
ticket:
(一般)前売 4,000円 / 当日 4,500円+1drink
(U23)前売 2,000円 / 当日 2,500円+1drink
ご予約はこちらから
ARTIST PROFILE

1986年三重県生まれ。12歳でドラムを始め、のちにギターとピアノで作曲を開始。19歳の時に上京し、2011年にandymoriでデビュー。2014年、同バンドの解散後は、自身のバンドclassicus(クラシクス)を結成し、音源を発表。
現在は、ソロ、classicusと並行し、銀杏BOYZ 、豊田道倫 & His Band!ではドラマーとして活動している。
【Official SNS】
岡山健二 Official SNS / リリース一覧
https://monchent.lnk.to/kenjiokayama
classicus
Web Site
https://www.classicus.tokyo/
YouTube
https://www.youtube.com/@classicusofficialchannel186