19年ぶりの新作をリリースしたパンクバンドTHE JUMPS。パンデミック、憲法、反戦、自由など様々なテーマをレゲエ、ジャズ、ロカビリー、R&Bなどの音楽的要素を取り入れたレベルミュージックとともに叩きつけるリアルなサウンドはあらゆる年代の音楽ファンからのリスペクトを一身に集めている。
そんなTHE JUMPSといえばブルーハーツやレピッシュらとともに主宰してきたシリーズギグ “ジャスト・ア・ビートショウ”であり、伝説的な夜を数多く作ってきたTHE JUMPS首謀者、島キクジロウ(島掬次郎)に話を聞いた。インタビュー第三弾にして最終回となる今回は、島がロック弁護士=Rock’n’Lawyerという唯一無二の存在となってから現在に至るまでを語ってもらった。今度は高知のシーンを盛り上げ、東京に戻ってからはNO NUKES RIGHTSを結成、さらにTHE JUMPSとして19年ぶりの新作リリースするなど、80年代からの数々の盟友たちとともに日本のロックを引っ張り続ける島キクジロウという人間に迫るインタビューとなった。
インタビュアー:中込智子
●前回は島さんの人生の大きな転換期となった2004年、ロック弁護士=Rock’n’Lawyerを目指して猛勉強へと至ったお話を伺いました。最終回となる今回は、そこから現在までと、11月2日にリリースされたザ・ジャンプス19年ぶりのニューアルバム『REBEL BANQUET』について語っていただこうと思います。というわけで、2009年に島さんは司法試験に合格。ロック弁護士=Rock’n’Lawyerとなりました。
「3年学校に行って、1回目の司法試験に落ちて、次の年2009年に合格したんだ。でさ、司法試験に合格しても、すぐに弁護士になれるわけじゃなくて、司法修習っていう1年間の研修がある」
●島さんは高知でその司法修習を約1年間受けられたんですよね。そしてなぜか、その高知で新たなバンドを始めた。
「そうそう。そんなつもり無かったんだけどな(笑)。試験に受かった後は、その後の人生で音楽に関わるかどうかも決めとらんかった。ただ、高知で地元のロックバーとか楽器屋とか行って色々話しとったら、みんな高知は盛り下がっとるとか言うもんでさ、『盛り上げればいいじゃん!俺がやったろうか?』みたいな(笑)。たしかに、地元のライブハウスに行っていくつかバンドとか見てーー全然悪くはないんだけど客はほとんど数人とかでさ、たまに結構な金払ってツアーで来る有名バンドの前座をやってみたいな、地方でよくあるそんな感じだった。そんで、そういう状況を不満もなく受け入れとるような感じに見えたわけ。だけどさ、楽器屋とかには結構、高校生とか溜まっとって、高校生イベントとかはメチャクチャ盛り上がっとるわけよ。それで、両方を合体させたら面白いんじゃないか?って思ってさ、そんなイベントを企画したんだわ。すぐに企画書作って、いくつかのライブハウスに持ってった。高校生バンドはチケット500円でいいから絶対30人呼んで来い、大人バンドはチケット2000円で、5人でいいから死ぬ気で客呼ぼうぜ!っていう企画。イベント名は”S☆KOOL THE BEAT CLUB”で、俺のバンドはギター&ボーカルの俺とドラムのセンターラインが修習生=法律家で、両側に女子高生2人という編成。バンド名はJ-K Laws。もうガンガン閃いちゃった」
●名前がそのまんま女子高生と法律家(笑)。
「J-Kは、ジョー・ストラマーと俺、Joe-Kickの略だけどな(笑)。で、高校生バンドが2つと地元おっさんバンドが2つ、それにJ-K Lawsの5バンドで、最後はセッション。おっさんバンドの方は『こんなに高校生がいっぱいのとこでライブができるなんて!いいとこ見せたろ』と張り切り、高校生たちは『身近にこんなカッコいいバンドいたんだ!!』って感じてくれれば、何か生まれるんじゃないかと思ってさ。ライブ後は、毎回、ロックバーでDJ入れて、2000円飲み放題の打上げ」
●いいことしました!
「だろ?(笑)。でさ、高知にも結構な数のライブハウスがあるんだけど、バンドを抱え込もうとするところもあるわけ。ウチで出るなら他でやるな、みたいな地方あるあるが。だから俺、言ったわけ。『そういう考え方はダメだ。このイベントは高知を盛り上げるためにやるんだから!』って。もちろん、地元の人間にしてみれば、『なんだこいつ?』と思ったわね。東京からポッと来て、どえらい偉そうなこと言って。でも俺にしたらさ、高知盛り上げたいと思っても10か月しかいられないわけよ。この時点で1~2か月経ってるから、あと8か月しかない!で、そういう世代を超えたイベントを、バンドが十分集まらないながらも、とにかく始めたわけよ。そしたら、ロックバーを通じてイベントを知った地元バンドの兄貴的なやつがさ、どうやら2回ぐらい見に来たらしくて、『俺らも出てもいいよ』みたいな。『なんだったら毎月出るよ!』って言ってくれて(笑)」
●はははは。なんだか「そのまま映画化できるのでは?」という話になってます。
「ほんとにな(笑)。このイベント、高知新聞にも4回掲載されたからね、カラー写真入りで!東京に帰る前の最後のライブではもう、お客さんパンパン!俺、つくづく思ったけど、地方って一人元気なやつが頑張れば景色が変わるんだよな」
●つくづくいい話です。そういえばビートショウ仲間であるマグミ(マグミ&ザ・ブレスレス)さんも、島さんに誘われて高知でライブをやったと楽しそうに話してましたよ。
「そう!マグミはホントいい奴。カツオ込みのあご足だけでギャラまでは出せんけど、遊びに来ん?って誘ったら、『いいですよ、いつでも行きますよ』って即答。DJとか地元バンドをバックにレピッシュの曲歌ったりしてくれて、盛り上がった!」
●高知のロックシーンを盛り上げた。そして島さんは司法修習が終わる翌2010年には東京へ戻るわけですが、でも実はその後も高知シーンとの縁は続き。
「そう。しょっちゅう行っとる。今年も4回行った(笑)」
●すっかり第3の故郷に(笑)。で、高知で地元バンドとして活動した後に東京へ戻り、そこから弁護士として地盤を固めつつ、ジャンプスの復活へと至る。
「東京に戻って一番最初のライブはDJのヒデト(THE WILD ROVER/高円寺クルーラカーン)がさ、『アコースティックで何かやりませんか?』って高円寺HIGHでのイベントに誘ってくれて、サブステージ的なカフェで吉田(ドラム)と2人でやったのよ」
●島さんと吉田さんは本当に仲がいいですよね。私は85年からお2人と知り合う機会を得ましたが、実はいつもほのぼのと見ていました。
「俺さーー音楽も、弁護士も、話題が何もなくなっても連絡取り合うやついるかって言ったらーーもしかしたら吉田しかいないかもしんない。3年に1回とか(笑)。とにかくさ、俺は2010年の12月に弁護士登録して、翌年1月にシロクマ弁護団っていうのに入ったわけ。地球温暖化をテーマにした、日本中の電力会社に対してCO2を減らせっていう公害調停っていうのをやろうってことで。そんでその年の3月に東日本大震災と原発事故が起きて、これはもう原発問題やっていくしかないなと思った。弁護士になって初めて作ったのが福島に残された動物たちのことを歌った「捨てられJumpin’ Dog」っていう曲で、それを初めてヒデトのイベントでやったんだよ。そこが(東京へ戻ってからの)スタート。それ以降、原発をテーマにした曲を作ったり、原発関係のイベントに呼ばれるようになった。それで吉田と2人でやったり、長田さん(ギター)やピート(サックス)に入ってもらったりしとったんだけど、ある時、呼ばれたライブでどうしても吉田の都合がつかん日があってさ。そんで、大学のサークルで一緒だった亜子(元ゼルダ)のことを思い出して、その時初めて声かけたんだ。ピートと3人でやったんだけど、それがまた楽しくてさ。その帰りにピートが『次は亜子さんと吉田さんと2人に来てもらいましょう』って言ったのをきっかけに、2014年10月の亀戸公園でのデカい脱原発集会で、初めて吉田、亜子、ピート、それにクロスと俺の5人で、島キクジロウ & NO NUKES RIGHTSって形でやったんだわ。それがもう最高にゴキゲンだった。NO NUKES RIGHTSっていうのは、俺が弁護団長で原告4200人を集めて最高裁まで闘った原発メーカー訴訟で主張した『ノー・ニュークス権』っていう新しい人権のことなんだけど、メンバーたちも共感してくれてさ」
●クロスさん、要所要所で出てきますね。
「俺にとって、クロスって特別な存在なんだわ。音楽の師匠であり、マブダチであり、最高のギタリストで、欠かせないパートナー。俺がスピルカをやっとった19歳のとき、クロスはメジャーデビューしたばっかりのVOO DOOってバンドをやっとったんだけど、一緒にやった時、一人だけ尖りまくっとって、めちゃ印象的でさ。そんで、スピルカ解散して次のバンドを考えとったとき、VOO DOOも解散したっていう話を聞いたんで、なんとかあのギターに連絡取れないかと思ったんだよ。そしたら、なんでか忘れたけど、エコーズの辻さんが電話番号を教えてくれたもんで、いきなり電話したのが始まり。クロスがジャンプスをやめた後も、ことあるごとに声かけてさ(笑)」
●それが延々と続いているという(笑)。で、ジャンプスとしての活動は?
「2010年末に弁護士になって、なんとなく音楽活動を復活してからも、ジャンプスの方はイベントに誘われたりして、何かキッカケがあればやるっていう感じだった。ただその頃は、出来てくる曲が NO NUKES RIGHTSでやるのにしっくりくる感じでさ。原発、憲法、平和、沖縄・・弁護士っていう日常の中からはさ、そんなテーマに関する言葉が自然に浮かんで来るんだわ」
●そうなんですか?
「毎日のように、原発メーカーと対峙したり事故の被害者と向き合ったり、憲法と関わったりしとるわけだでな。そんで、俺はやっぱりクラッシュ、ジョー・ストラマーだで、メスカルロスみたいにアイリッシュとかラテンとか、ワールドミュージックやってみたいとかさ、音楽的好奇心みたいなもんが膨らんでくるわけ。亜子とか吉田は、元々そういうのが大好きだもんで、ちょっとしたアイデアもNO NUKES RIGHTSでどんどん消化されていくわけよ。ジャズとかジャンプミュージックっぽいアレンジがしたくて、ホーンセクション欲しいなってなると、ピートがトランペットやトロンボーンとかどんどん連れてきてくれてーー俺にとっては夢のような状態だわね(笑)。しかもさ、NO NUKES RIGHTSは、原発や憲法の運動やっとる人たちも応援してくれたりして、半分仕事と被っとる感覚だけど、ジャンプスはそうじゃないじゃん。パンクだし(笑)。全く違うスイッチを入れて、エネルギーぶち込まないかんっていう難しさもあってさ。そんで、2015年の結成30周年の新宿ロフトとか、最高に楽しかったんだけど、それより2018年4月の高円寺ショーボートの周年でマグミ&ザ・ブレスレスと2マンでやった時かな。その時に初めてベースにエンリケ(元バービーボーイズ)が入ってやったんだけど、気持ちよさがハンパじゃなくてよ。『ジャンプス最高じゃん!』って改めて思ったわけ(笑)。エンリケも『地方にも行きましょうよ』なんて言ってくれるしさ。ドラムのマサがスタークラブに入って鍛えられまくっとるおかげもあって、リズム隊はますます最強だし、もうヤバいよね」
●はい。ではここでやっと、19年ぶりとなるザ・ジャンプスのニューアルバム『REBEL BANQUET』についてお聞きします。まず、私が本作を聞いて最初に思ったのは「これぞ真のビートパンクなのではないか?」という事だったんです。ビートパンクというと青春パンクの原型のように思う人もいるかと思うんですが、そもそもの意味は85年当時の東京のビートシーンとパンクシーンの両方の要素を持っているバンドを指していたわけです。ブルーハーツやThe POGO、ケンヂなどですね。そして同85年に結成されたザ・ジャンプスは、初期のサウンドは男臭いビートロックだった。しかし1999年にメンバーが変わり、サウンドもパンクへと大きく振り切れました。そして本作なのですが、そのジャンプスの初期から中期のビート感と中後期のパンク感が見事1つに合致した印象があった。ラウドでアグレッシブな曲はもちろん、レゲエ調のナンバーや、ビートロックを彷彿とさせるミッドの8ビート。幅広いサウンドに時代を通じた両方のエッセンスが詰まっている。なので、ジャンプスこそが現在の、真のビートパンクなのではないかと思ってしまったんです。
「なるほどな、ビートパンク」
●ダメすか?
「いや、全然ダメじゃないけど、思ってもなかったもんでさ。でも、なこ(中込智子)がそう言ってくれるのは嬉しいよ。『REBEL BANQUET』にはさ、実はちょっとしたテーマがあって。1曲目の”Down On The Road”は、今回、クロスに発注して作曲してもらったんだけど、道の途中で倒れちゃうって詩なんだ。夢は叶うかどうかなんて分かんないというか、夢なんてほとんど叶わないじゃん。でも、そこへ向かう道の途中でぶっ倒れたっていい。ただ、ゴールを見失わずに進み続ける瞬間瞬間が輝いていることが一番大事なんだってことを歌いたくて。それは最後10曲目”Working Class Loser”にもつながる。ここではStill on the Road、今はどん底だけど、まだゲームは終わっていない、道の途中なんだって歌った。それがまあ、アルバム全体を通した一つのテーマ。それともう一つ、3曲目の”Rights and Freedom, HumanityⅡ”っていう、これはもともとコロナ禍でできた曲で、未体験の大変な状況にあっても、権利と自由、人であることを自ら簡単に捨てるなって歌っとって、これもまたアルバム全体を通してのテーマで、最後の曲にも出てくるんだ。こっちの方は、あなたにはまだ権利もあるし自由もある、まだまだ人であることを忘れないでくれってーー世の中にはいろんな状況の人がおるじゃん。夢の途中で足掻いとる人もいれば、もう自分の人生が終わっちゃったように感じとる人もいる。でも、まだまだ権利も自由も変わらずあるんだってことを伝えたかったんだ。そんなことがこのアルバムを通してちょっとでも伝わればって思っとる」
●なんかすいません。ただ、今作を聞いて勇気を得た気持になった理由がしみじみ分かりました。私ももう少しで還暦ですが、まだまだ夢の、道の途中です。
「夢は必ず叶うとか、そんなはずねえだろって、いい年した俺たちはもう知っちゃった」
●努力したってどうにもならないこともある。
「そうそう。でもさ、それでいいじゃんって。だからこそ、不安なんか抱えてないで、でっかい夢を追い続けよう、その瞬間を輝かせようぜっていいたい。そこに悲壮感はないよな、やりたくてやっとるんだで(笑)。そういや今作の2曲目の”Lucille”って曲。これ実は俺が高校生の時にリトル・リチャードを知ってぶっ飛んで、しかもそん中でも一番好きな曲でさ。好き過ぎてずっとアンタッチャブルな感じで、これまで1回も歌ったことなかった。でも、クロスと2人でアコースティック・ライブをやるときにちょっとやってみようかって思ってさ。初めてライブで披露してみたら、えらく評判がよくて、なんか調子に乗っちゃったんだよな。しかもこの曲って、アレンジが違ういくつかのバージョンがあるんだけど、俺が21歳の頃にロンドン行った時にたまたま買った中古レコードに入っとるアレンジが超カッコいいんだわ。それが、もうどのレコードにも入っとらんし、検索しても全然出てこんという、そんなスペシャルなホーンセクション入りの”Lucille”なんだよ。今回やったのはそのアレンジ!ある意味、俺にとってはちょっとした夢を叶えたっていってもいいほど嬉しいカヴァーなんだわ」
●自分で動けば叶えられる夢もあるという(笑)。
「そうそう。何が起こるか分からん。今回のレコーディングは敢えてメンバーだけでやる!って言ってさ、パンクしか弾けないモッキーが『ゲストなしっすか?』って言うもんで、『もちろん。ジャズもブルースもレゲエも、全部4人だけでいくぞ!』って言っとったのに、この”Lucille”だけセクションを入れたんだよ(笑)。しかもレコーディングが始まる直前に、メンバーのグループLINEに音源送って、これやりたいんでよろしくっつって」
●ははははは。酷い!
「これが2曲目っていうのは、クラッシュの『London Calling』なんだけど、気付いた?1曲目に”ロンドン・コーリング”、2曲目にカヴァーの”ブランド・ニュー・キャデラック”、3曲目に”ジミー・ジャズ”だろ?そのまんま!」
●そこまで気付けませんよ!
「実はジャケットもデザイナーにロンドン・コーリング+バンクシーでよろしくって注文して出来上がったもの。まあ気付く人がおるかどうかはどっちでもいいけど、俺としては遊び心満載で、大満足」
●分かんないです(笑)。というわけで、最後に無理やりまとめに入ります。ジャンプスの今後について教えてください。
「正直、あんまり考えとらん。っていうのも俺の中ではさ、弁護士になるまでは『運命なんか関係ない、未来は全部俺が作るんだ!』って感じでずっと気負いまくってやってきてーーでもさ、高知に行って思ったのは、やっぱり流れを感じて、それに乗ることも大切っていうか、それが今はどえらい心地いいんだわ。音楽を続けようなんて特に思ってもいなかったのに、自然な流れでここまでたどり着いたわけじゃん。最高のメンバーや仲間たちと、このままどこまで行くのか、それを楽しみながら日々を重ねていく。今は、そういう態度っていうか姿勢が大事だなって思っとる。先のことをイメージしてみんなをそのレールに無理やり乗っけようとかするんじゃなくてさ、やりたいことをやりたいように楽しんでやっていければいいかな。もちろん、楽しむにはめちゃくちゃ頑張らんといかんのだけどさ。それも楽しんでくわ!」
Live Information
2023年3月15日(水)下北沢Flowers LOFT
the JUMPS ワンマン “REBEL BANQUET”
Release Information
the JUMPS
REBEL BANQUET
2022/11/02 Release
Swingin’DOG / SDR3006