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イチベレ・ズヴァルギと作り上げたファビアーノ・ド・ナシメントの新境地 「このアルバムは、気取りのないサウンドなんだ。純粋に、僕のイチベレを敬愛する気持ちが込められている」— Fabiano Do Nascimento & Itiberê Zwarg Collective『Rio Bonito』インタビュー

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ギタリストのファビアーノ・ド・ナシメントが、イチベレ・ズヴァルギ率いるコレクティヴと制作したアルバム『Rio Bonito』がリリースとなった。ブラジル生まれでLAで本格的に活動をスタートさせたナシメントの音楽はこれまで日本でも紹介されてきたが、そのインタビューは皆無だと言っていい。どこか謎めいた存在でもあった彼に、日本オリジナルで企画された『Rio Bonito』のリリースを機に初めてインタビューを行うことができた。ブラジル時代のこと、アイアート・モレイラからアロー・ブラックやサム・ゲンデルまで多彩な人間関係、敬愛するエルメート・パスコアールとズヴァルギのこと、そして『Rio Bonito』というアルバムの背景まで、じっくりと話を訊いた。

Fabiano do Nascimento Interview
ファビアーノ・ド・ナシメント インタビュー

インタビュー・構成:原 雅明
インタビュー・通訳:バルーチャ・ハシム
編集:三河 真一朗(OTOTSU)
協力:江利川 侑介


Artist:Fabiano Do Nascimento & Itiberê Zwarg Collective(ファビアーノ・ド・ナシメント&イチベレ・ズヴァルギ・コレクティヴ)
Title:Rio Bonito (リオ・ボニート)

発売日:2022/12/07
レーベル : rings
品番:RINC95
​フォーマット : CD​
ライナー解説:原 雅明
OFFICIAL HP : https://bit.ly/3Fb9txY

—— あなたは音楽一家に生まれたそうですね。音楽に触れた幼少期の話から訊かせてください。

ファビアーノ・ド・ナシメント(以下 FN): ブラジルのリオデジャネイロで生まれたんだけど、5歳か6歳くらいから音楽を演奏するようになった。祖母、叔父などの影響を通してたくさんの音楽に触れることができた。叔父のルシオ・ナシメントがプロのベーシストとして、ブラジルのジャズ・グループやレニー・アンドラーヂなどとツアーをしていた。だから、子供の頃からそのリハーサルを家のリビングで見ることもできた。叔父は幼い頃からライヴにも連れて行ってくれたんだ。もう一人、別の叔父がギターとマンドリンが得意で、ショーロなどブラジルの伝統音楽に触れることができた。伝統的なショーロなどの音楽と、ブラジルのジャズやボサノヴァなど、両方の世界を子供の時から聴くことができてよかった。その叔父がギターを渡してくれたから、それからずっとギターを演奏し続けてるよ。

Leny Andrade – RIO

—— では、ギターはその叔父さんから習ったのですか?

FN : 叔父と1年間暮らして、毎日ひたすらギターの練習をしていた時期もあったけど、大部分は独学だね。叔父を通して、いろいろな素晴らしいギタリストを見ることができたのは幸運だったよ。先生にも短期間ついていたこともあるし、ブラジルの音楽学校にもしばらくいたけど、叔父のコレクションの中にあった古いレコード、カセット、CDを聴きまくって、そこから吸収したことがたくさんあった。多少、ピアノとギターを正式に勉強したけど、それと独学で学んだ技術を組み合わせたんだ。

—— 影響されたギタリストについて教えてもらえますか?

FN : たくさんいるんだけど、バーデン・パウエル、ハファエル・ハベーロは重要だね。エルメート・パスコアールはギタリストじゃないけど、彼からも多大な影響を受けた。ダニエル・サンチアゴにも影響を受けたね。ラルフ・タウナー、レオ・ブローウェルなども。ブラジルのギタリストだとあまり有名ではないかもしれないけどエリオ・デルミーロ、アルゼンチンのギタリスト、キケ・シネシも好きだね。トニーニョ・オルタももちろん、たくさん影響されたギタリストがいすぎて全部言えないね(笑)。

—— なぜLAに移住したのでしょうか?

FN : アメリカに来たのは自分が決めたことではなかったんだ。若い時に、家族がアメリカに移住することを決めたんだ。僕が17歳の時に完全にアメリカに移ったんだけど、それまではブラジルとアメリカを行き来していた。

—— 母親はアメリカ人なんですか?

FN : いや、ブラジル人だよ。父親はイタリア人なんだ。

—— LAはあなたにとって、どんな魅力がありますか?

FN : LAでプロとして演奏するようになってから、たくさんの素晴らしいミュージシャンと出会った。だから、LAのカルチャーには多大な影響を受けたよ。それに、LAはとても多様性のある街だから、それも刺激になった。ブラジル人じゃない人とたくさん演奏するようになったからね。LAに来てから一緒にレコーディングしたり、ライヴで演奏した人は、ブラジル人じゃない人の方が多い。アイアート・モレイラ、アルトゥール・ヴェロカイ、ジョイス(・モレーノ)などとはライヴで共演する機会があったけど、それは特別だった。LAに来てからの数年間は、ブラジルの言語や音楽のアイデンィティが強かった。当時は、ブラジルの音楽や文化をアメリカで代表することが自分の役割だと思っていたんだけど、時間が経つにつれ、自分はその役割にそこまで興味がないことに気がついた(笑)。自分を解放して、様々なタイプの音楽を演奏することの方が興味があるんだ。エレクトロニック・ミュージック、ジャズなど、様々なスタイルの音楽に興味があるし、それを自分の音楽に取り入れたい。『Rio Bonito』はブラジル音楽の色が強いけど、エルメート・パスコアールが掲げたユニバーサル・ミュージックの概念が強いんだ。イチベレも音楽の普遍性と無限の可能性のメッセージを受け継いでいる。エルメートの音楽を聴いて最も影響を受けたのがそのメッセージだし、だから今回イチベレと作品を作りたかった。彼らのオープンなアプローチと実験的なアレンジが昔から好きだった。

Minha Ciranda with Sam Gendel and Guello
“O Tempo Eo Vento” Arthur Verocai & His Orchestra – Jazz Está Morto 2019

—— なぜブラジル音楽を代表する役割に興味が持てなくなったのですか?

FN : 子供の頃からブラジル音楽だけではなく、他のタイプの音楽も聴いてきた。だから、自分が作る音楽も、常にブラジル音楽中心ではなく、いろいろなタイプの音楽を作りたい。一つのジャンル、カテゴリーにはめられたくなかったんだ。LAに引っ越した最初のうちはブラジル人やブラジル系のグループとよく演奏していたから、「7弦ギターを演奏するショーロのギタリスト」とずっと言われてた。でも、それが本当の自分ではない。僕はギターを演奏するけど、自分のことを「ブラジルのギタリスト」、「ショーロ・プレイヤー」、「ボサノヴァ・ギタリスト」と思ってない。僕はそこに焦点を当ててないし、自分の特徴だとも思っていないよ。

—— ブラジル音楽以外では、どういう音楽に影響されましたか?

FN : 例えば、アフリカ音楽、中近東音楽、アメリカのジャズなどもたくさん聴くよ。あとは、ジェフ・パーカーとトータスのような音楽も大好きなんだ。LAに引っ越してから、よくトータスを聴いてたし、多大な影響を受けた。実はヒップホップも大好きなんだ。兄貴がLAでDJをやっていて、彼からタリブ・クウェリ、ディアンジェロなども教えてもらった。LAでは、セルジオ・メニチェンコという友人がラジオ局KPFKでGlobal Villageという番組を担当しているんだけど、あの番組みたいに、僕はあらゆるジャンルに対してオープンなんだ。今は、サム・ゲンデルなどの友人が作っている音楽に影響されることが多いね。自分の周りにいるミュージシャンが刺激になってる。

—— LAに引っ越して、すぐにプロとして活動し始めたのですか?

FN :3年間大学に在籍しながら、すでにプロとしてかなり忙しく活動して、いろいろなライヴに参加していた。週に何回もギグで演奏していたから、途中で学校を辞めたんだ。当時は、ティキ・パシヤスとパブロ・カロジェロとトリオルガニコというグループを組んでいた。ヒップホップ・グループとも、アイアート・モレイラのバンドともよく演奏していた。いろいろなグループと演奏していたから、自分でも覚えていないくらい(笑)。

—— トリオルガニコで最初にあなたのことを知りました。アルバム『Convivencia』がNow Againからリリースされた経緯も教えてください。

FN : アロー・ブラックが友人で同じ大学に通ってたんだ。彼は音楽をやる前はビジネスを勉強していた(笑)。アローが音楽をやり始めたのも僕とエグザイルとツルんでいたからだった。アローと最初に音楽を作り始めた時は、僕が演奏するブラジルっぽいループをMPCに入れて、そこにアローがボーカルを乗せてたんだ。彼がStones Throwからリリースした作品(『Shine Through』)にも僕は参加していたよ。それで、アローを通して僕は(Now Again主宰の)イーゴンと知り合ったんだ。

—— あなたのファースト・アルバム『Danca Dos Tempos』について、改めて話してください。

FN : ブラジルのカリオカ(ホナウド・レイチ・ヂ・フレイタス)とのつながりに多大な影響を受けた作品だった。アヤワスカとそれにまつわる音楽にも影響されていた。ただ、あの作品は今の自分を全く反映していないと思うんだ。あの時期にしか作れなかった作品だと思う。あのアルバムの中で好きな要素もあるけど、今聴くと変えたくなる要素もあるんだ(笑)。

—— LAに引っ越した時は、ブラジル音楽のコミュニティというものはあったのでしょうか?

FN : あったよ。たくさんのブラジル人のミュージシャンと会って、サンバ、フォホー、ショーロなど、いろいろなタイプのグループで演奏した。ある時点から、もうやりたくなくなったんだ(笑)。初めてアメリカで一緒に音楽を作った仲間がアロエとエグザイルだった。そのあとにトリオルガニコを結成した。クレベール・ジョルジというブラジルのギタリストともよく演奏していた。彼はセルジオ・メンデスと何十年も演奏している。そこからがLAの音楽シーンへの入口だった。

—— これまで、活動を共にしてきたミュージシャンで、特に共感を寄せる人は?

FN : ティキ・パシヤス、サム・ゲンデル、アイアート・モレイラは間違いなく自分にとって大きな存在。アイアートはLAを離れたけど、光栄にも彼と演奏することができた。ミア・ドイ・トッドとはとても仲がいいし、素晴らしいミュージシャンだよ。

—— サム・ゲンデルにインタビューした際に、あなたとは阿吽の呼吸で演奏ができると話してました。

FN : 彼と頻繁に演奏している時期があったから、そこで絆が深まったね。共感しあえるところが多かったんだ。暗黙の了解で理解しあえるところがあった。彼の言った通りだよ(笑)。僕らはミュージシャンだから、お互いにいろいろなミュージシャンと演奏している。だから、前ほど一緒に演奏することはなくなったけど、今でも仲がいいし、たまに一緒に音楽を作ることもある。実は、彼と新しいプロジェクトに取りかっているんだ。

——『Rio Bonito』について伺います。イチベレ・ズヴァルギのコレクティヴとのアルバムになりますが、ズヴァルギとの関係をまず教えてください。

FN : イチベレと作品を作ろうと思っていたわけじゃなくて、最初は、イチベレと彼の息子のアジュリナンのもとで、ハーモニー(和声)の勉強しようと思っていた。イチベレはユニークなハーモニーの使い方をするんだ。ブラジルに行って、イチベレ・オルケストラ・ファミリアと演奏することが夢だったんだ。彼らは、毎日24時間音楽に没頭していて、そんな環境に身を置いてみたかった。イチベレは、今も毎日新曲を5曲作曲していて、とてもインスパイアされる。でも、コロナでブラジルに行けなくなったので、僕の曲のアイデアを彼らに送って、イチベレが僕のギターを土台に、複雑なアレンジを提供してくれることになったんだ。

—— イチベレはなぜあなたにとって重要なミュージシャンなのでしょうか?

FN : 僕はエルメート・パスコアールに子供の頃から多大な影響を受けて、イチベレはエルメートのバンドの中心的メンバーだった。ベーシストで、エルメートのバンドに最も長い間在籍している。エルメートの作品を聴いていたからイチベレの存在は知っていたし、ビデオで演奏している姿も見たことがあった。イチベレは、エルメートの音楽的世界観を継承しているんだ。彼が立ち上げたオルケストラ・ファミリアのアルバムでは、エルメートの『Calendário do Som』を演奏していた。彼は優れたベーシストであると共に、作曲家、アレンジャーなんだ。

Fabiano do Nascimento – Xangô instrumental – trio concert part 7

——『Rio Bonito』のコンセプトと言えるものがあれば、教えてください。

FN : そもそもリオ・ボニートというのは、リオデジャネイロから2時間ほど離れた町の名前だ。誰も興味を持っていなくて、誰にも知られていなくて、時間が止まったような場所なんだよ(笑)。でも、カリオカはリオ・ボニートに住んでいて、よくセレモニーを開催している。だから、僕もリオ・ボニートには何度も行ったことがあるんだ。そして、イチベレとアジュリナンたちもリオ・ボニートに住んでいる。だから、僕はリオ・ボニートとつながりを感じている。アルバム・タイトルを『Rio Bonito』にすることを決めてから、アジュリナンに伝えたら、彼は冗談で「リオ・ボニートみたいな町にとって、こんな光栄なことはないんじゃない?」と言ってた(笑)。本当に時間が止まったような、誰にも知られてなくて、誰も行かないような町なんだ。でも、カリオカやイチベレはそこを拠点に活動している。

—— イチベレとのコラボレーションにおいて、どのようなことを意識しましたか?

FN : イチベレには、ギターを中心としてミニマルな素材を送るようにした。彼の素晴らしいアレンジが作品全体に反映されているわけだけど、それを前面に出したかった。

—— これまでのあなたの音楽はソロ、あるいは少人数のアンサンブルが多かったと思いますが、『Rio Bonito』では違う取り組みをする必要がありましたか?

FN : イチベレのアレンジによって、楽器の数やアンサンブルが決まった。彼がアンサンブルのメンバーを提案してくれた。彼には自由に作業をしてもらったんだ。アレンジ、プレイヤーの数や編成は彼に任せた。彼がいいと思う形で、自分の楽曲を発展させてもらった。

—— あなたが作曲したギターの楽曲をまずイチベレに送ったわけですね。

FN : そう。ギターで作曲をして、自分のアイデアをレコーディングしてから、それをイチベレに送ったんだ。彼は僕のギターを土台にアレンジを考えて、そこに重ねる他の楽器やリズムを作った。

—— イチベレから送ってもらった曲に、さらにあなたが編集したり何かを追加したのでしょうか?

FN : たいていの場合は、彼が送ったくれたヴァージョンが完成形だった。いくつかの曲では、ちょっとしたエディットをした。楽器の数を減らしてギターを前面に出すこともあったり、彼のアイデアをさらに膨らませることはあった。でも、彼が送ってくれたものは、完成形に近かった。ほんの少しエディットしただけだった。

—— イチベレから曲が届いた時は、どう感じましたか?

FN : 彼が作ったものを聴いて、驚くと思っていたけど、それを超えてきた。彼のことはとても尊敬しているし、また彼とコラボレーションをしてみたい。今回は一つのアイデアをどうやって発展させるか、ということを学ばせてくれた。可能性は無限だよね。彼とさらにもっと曲を作ることもできたけど、どこかでストップをしないといけなかった(笑)。

—— 今回のやり取りで、新たに発見したことなどあれば教えてください。

FN : 彼とアレンジについて会話をするときも、彼が音楽についてしゃべるときも、とても美しかった。とても詩的で心に刺さることをよく言うんだ。彼が音楽について話すときはとてもインスピレーションを受けるし、可能性が無限だと思わせてくれる。クリエイティヴな表現に対して、彼はとてもオープンなんだ。まるで、無限に水が流れ出す泉のような存在だね。僕も年を取っても、同じようになりたいと思った。彼のように、いつでも作曲ができるようになりたいね。それに、彼はとても優しくてやりやすい。ブラジルのあらゆるミュージシャンと演奏したことのある大師匠で、みんなに尊敬されている。でも、彼は全くエゴがないんだ。常に他のミュージシャンをサポートしていて、特に若いミュージシャンの育成に力を入れているね。

——『Rio Bonito』の収録曲について、少し紹介してもらえますか?

FN : オープニングの「Starfish」はとてもお気に入りなんだけど、イチベレには、とてもシンプルなアイデアしか送らなかった。2つのコードと1つのコードチェンジだけだった。5/4のリズムだったから、星の形にしている”Starfish”(ヒトデ)という曲名にしたんだ。彼はストリングスを重ねて、メロディや展開を作ってくれた。僕にとって特別な曲だよ。9曲目の「Retratos」は、たくさん楽器が入っていて、ミックスが大変だった。僕がギターで作曲したパーツをそのまま生かしてくれた。彼のアレンジでとても濃密なサウンドになった。

—— イチベレ・ズヴァルギや彼が関わったエルメート・パスコアール・グループの音楽からは、どのような影響を受けましたか?

FN : 彼らの作曲のアプローチがとても自由で、それにインスパイアされたね。音楽における自由があって、とてもカラフルな音楽なんだ。彼らの音楽を聴いていると、いろいろな色彩を連想するんだ。見たことないような色彩の絵画を見ているような感覚だよ。それでいて、子供心を忘れていない音楽。子供に絵の具を渡して、それを使って完璧なカオスのような絵を描いたような感覚。彼らはとてもシンプルな曲から、想像できないようなカオスのような曲を作ることもできるんだけど、なぜかしっくり来るんだ。

Hermeto Pascoal Boiler Room Dekmantel São Paulo Live Set

—— 『Rio Bonito』は現行のブラジル音楽として聴くことができますが、LAで活動を続けてきた、あなたのセンス、観点というものも反映された音楽だと思います。

FN : この作品は、イチベレと作業してみてどういう作品が生まれるのか、その大きな実験だったんだ。イチベレに自由にアレンジしてもらって、そこから生まれてきたものをありのまま受け入れたんだ。

—— 『Rio Bonito』のライヴは予定されていますか?

FN : イチベレとはその話をしたから、やってみたいね。小さなアンサンブルで演奏しないといけないだろうから、アレンジを変える必要があるけど、ぜひやってみたい。これらの楽曲がどんどん成長すると思う。僕が最初にレコーディングしたアイデアから形を変えていくというのはとても嬉しい。だからライヴではまた違うサウンドになると思うんだ。エルメートもそうやって音楽を作っていた。すでに作曲された曲を使って、さらにクリエイトできるんだ。

——『Rio Bonito』はあなた自身にとってどんなアルバムとなりましたか? 

FN : このアルバムは、気取りのないサウンドなんだ。純粋に、僕のイチベレを敬愛する気持ちが込められている。もしコロナの状況で、ミュージシャンがツアーができない、スタジオでレコーディングできない時期でなければ、この作品は生まれなかったかもしれない。だから、その状況を利用して、そこから何かいいものを生み出したかった。イチベレたちはとても忙しいから、コロナがなければコラボレーションは難しかったかもしれない。その時期を封じ込めた作品となったね。

—— 今後予定されていることを教えてください。

FN : ダニエル・サンチアゴとのアルバムと、『Lendas』というアルトゥール・ヴェロカイが参加したアルバムを来年リリースする。ソロ・アルバムもリリース予定だし、サム・ゲンデルとのデュオ作品も予定しているよ。彼と以前録音した『Sul』というアルバムをリイシューするんだ。あとは、新作も一緒に作っている。それはまだ、完成してないけどね。

RELEASE INFORMATION

Artist:Fabiano Do Nascimento & Itiberê Zwarg Collective(ファビアーノ・ド・ナシメント&イチベレ・ズヴァルギ・コレクティヴ)
Title:Rio Bonito (リオ・ボニート)

発売日:2022/12/07
レーベル : rings
品番:RINC95
​フォーマット : CD​
ライナー解説:原 雅明


OFFICIAL HP : https://bit.ly/3Fb9txY

参考URL【Sound & Recordings Magazine 2022-11-30】

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