“シンガーソングライタードラマー”岡山健二の、ソロ作品では初流通となる1st mini Album『The Unforgettable Flame』が、2023年8月2日に発売された。記念すべきソロ作品第一弾の完成を祝して、OTOTSUでは岡山氏本人によるセルフライナーノーツを公開。全3編にわたり、じっくりと解説してもらった。
文:岡山健二
編集:清水千聖 (OTOTSU編集部)
永遠
6曲目の「永遠」を作ったのは、2010年頃で、アルバムの中では最も古い曲となる。
当時の自分は、上京して、最初に住んだ田無という街に3 〜4年もいるし、ぼちぼち引っ越そうか、居酒屋のバイト先で知り合った田中さんというおじさん(離婚したばかりで家族が出て行ったから部屋が空いていた) の家に間借りしていたのだが、古い建物なので、あいにくなことに風呂がなかったり、主に活動していた(今も)吉祥寺からは自転車で30分ぐらいの距離で、雨の日などは、ドラムをビニールに包むなどの工夫をこらさないといけないという諸々の理由や、丁度、友人が吉祥寺でルームシェアをしようという話を持ちかけてくれたこともあり、これに乗らない手はないと、田中さんにその旨を伝え、1週間もしないうちに、吉祥寺に引っ越してしまったのだった。
ルームシェアをしていた場所は、吉祥寺のヨドバシ裏にある、いかにも頑丈そうな作りの建物で、1階にキッチンと風呂と1部屋、2階に2部屋といった内容が横に3つ並んでいるといった物件で、たしか隣りは議員の事務所か何かで、夜は使われていないらしく、騒音問題も特になかった。
元々、そこのルームシェアの契約は、先輩のバンドHIGHWAY61のメンバーが行ったらしいのだけど、その少し前にバンドも解散してしまい、結果周りのミュージシャンたちが少しずつ住んでは移ってを繰り返して、という状態だった。
自分のバンド人生の始まりは、中学2年の頃に兄の同級生と組んだビジュアル系のコピーバンドだったのだが、当時急速に勢いを増していた青春パンクというムーブメントに、1年後ぐらいに合流することになり、そこから高校4年間(ツアーのし過ぎで留年している)は、ほとんどの週末を日本全国のツアーバンドと、滋賀の”ハックルベリー”や、”B♭”といったライブハウスで共演していた。(自分は三重に住んでいたが、滋賀のバンド、カウンターアタックに加入したので、おのずと活動は滋賀に)
その活動の中で、知り合ったTHE PANというバンドのメンバーと、上京後の自分はバンドを組むことになる。TEAM VERYSといってandymoriに入るまで、ずっと続けていた。自分はこのバンドで本格的に作曲を始めたし、東京での活動の仕方も学んだ。
TEAM VERYSのすぐ近くにいたのが、HIGHWAY61で、自分はこのバンドのことがすごく好きだった。(もちろん今も)
このバンドの「ドミノ」という曲と「永遠」の歌い出しは、ほとんど同じなのである。
なぜそうなったのかは、歌詞の通り、今では誰も覚えていないのだけど。
なので、元々「永遠」は、HIGHWAY61の影響を受けた作ったTEAM VERYS用の曲だったのだ。
それに、最初のタイトルは「サラダデイズ」といい、サビの歌詞も全然違った。
when you go let me go
salad days friends
この場所には何もないさと
歩き始めてた時から
そう いくつもの like a rolling stone
といったものだった。
when you go let me go〜という部分も、HIGHWAY61の曲名から取っているし、最後の、like a rolling stoneも、ボブ・ディランの曲名だが、当時のHIGHWAY61が、初期のブルーハーツのようなサウンドから、どんどん変化を重ね、ボブ・ディランよろしくといった具合の詩人の朗読にクールなバンドサウンドが絡み合うといったスタイルに移り変わっていた時期だったので、そういうところからの影響を受けている。
ちなみに、salad days〜という部分は、minor threatの曲名から取っていて、青春時代といったような意味があり、とても好きな言葉なので、その後、ソロ初の自主制作音源(ライブ開場、通販で販売)では「Salad Days Songs」と少し形を変え、タイトルとして使った。
その頃、自分は1度だけ弾き語りライブをしたことがあるのだけど、その日、出演されていたダイナマイト☆ナオキさんに、「いくつものlike a rolling stone」の一節を褒めていただき、自分の中での大きな自信につながった出来事の1つとなった。
その後、この曲が、というか自分がどうなっていったかというと(不思議なものだけど、自分とこの曲は、どこか一心同体のようなところがある)
TEAM VERYSで、アルバム制作とリリースツアーを行いながらも、STANCE PUNKSでもサポートドラムとして参加することになり、次第に2バンドを並行して続けていく事は活動内容的にも厳しいということがわかってきて(どちらも本当にライブが多かった)どちらかを選ばなければいけないという流れになった。
どうするかを決めかねていたが、少しでも大きな舞台でドラムを叩けるチャンスがあるのなら、そちらを選ぶべきだと、それならSTANCE PUNKSでと(半ば仲間を裏切る形で)そう決めた矢先に、andymoriの話が舞い込んで来たのだった。
またとない話で、とてもうれしかったのだが、同時にひどくややこしい状況に陥ってしまい、最終的には界隈を振り回しまくった末に、andymoriに加入することにしたのだった。
ただ決まっていたライブは休むわけにはいかないので、andymoriに加入した2010年12月はTEAM VERYS、STANCE PUNKS、andymoriのライブに加え、STANCE PUNKSのギターだった勝田欣也さんの弾き語りでパーカッションをやったり、TEAM VERYSのバンド仲間でイベント用に組んだ1日だけのバンドだったり。andymoriも連日のインタビューや打ち合わせといった感じで、体調を崩しながらも何とか乗り切った。(その12月だけで急性胃腸炎とインフルエンザになった)
年が明けて、andymoriの「革命」というアルバムのレコーディングに向けた練習で、壮平さんが「健二も曲作るんだよね。何か聴かせてよ」と言ってくれ、歌ってみたのが「永遠」の原型「サラダデイズ」だった。
その時の事は、よく覚えているのだけど、三鷹のスタジオで、車座になって座り、アコギで歌ったのを聴いてもらった。
そこで、サビの英語の多用が気になるという話になり、たしかに母国語ではないし、ちゃんと血の通った言葉で歌詞を作るほうがいいんだなと気付かされた。(こうやって文字にしてみると、いたって普通のことなんだけど、その頃の自分にとっては金言となるような言葉だった。)
その指摘を受けて、どこかのタイミングで書き直したのが「永遠」である。
その後、「永遠」を聴いてもらったら、いいねとなり、丁度、その辺りにアルバムのリリースツアーもあり、ライブの終盤にメンバーが1人ずつ弾き語りを行うコーナーを作り、そこで毎回歌ったりした。
壮平さんも、その頃のラジオでメンバーが作った曲と紹介し、番組内で弾き語りをしてくれたりした。そのテイクがYouTubeに挙がっており、それによって知ってくれている人も意外と多いらしい。
その後の流れとしては、ライブでは歌ったわけだけど、段々と歌詞の内容についての話が増えていき、(はたして人が永遠というものを語ることができるのかといったことだった。その頃は何かにつけて熱く議論していた時期というか年齢だった)自分も丁寧に作ってはいるが、さすがに歌詞ひとつひとつの意味となると、なかなか説明がつかない部分も当時はあったりで、いろんな物事が同時進行していたこともあり、段々とこの曲は話題にのぼることもなくなっていき、1つの役割を終えていく形となった。
自分もこの曲に関しては、そんな感じで色々とあり、歌いたいという気持ちも段々となくなっていき(それでも、そこから数年間は違う歌詞を作ってはいた。2パターンはあった記憶がある)それに、そこまで1曲にこだわってしまうと、先にも進めないなと思い、この曲について考えることを少しずつやめていったのだった。
自分は、そもそも最初の状態でも、ある程度気に入ってはいたので、一連の流れを振り返ると、やはり人と何かを一緒にやるというのは大変なことだなと思った。
ようは、この「永遠」という曲を通して、自分がそれまでに培ってきた言語を、大幅に変更する作業を行ったということになる。
今では、その作業をこの時期にできて、良かったと思っているのだが。
時は流れ、2022年12月に、Twitterでこの曲のカバーを投稿している方をお見かけした。
「あ、自分の曲だ。なんだか不思議なものだな」と思いながら眺めていたのだけど、コードが、かつて壮平さんがラジオで歌っていたヴァージョンで演奏されていて「元は違うんだけどなぁ」と思った途端に「今なら歌えるかも」という気持ちが生まれ、そこからは、急ピッチで、制作も佳境に差しかかっていたアルバムに何とか収録させるべく、楽器類は自宅で録音し、歌だけをレコーディングスタジオで歌うという形で何とか完成させた。
(リズムパターンは、ミシェル・ブランチの曲を参考にした)
いずれ何らかの形で、原型の「サラダデイズ」も聴いてもらえるようにしたいのだけど、今はとにかく「永遠」に1つの区切りがついたことに、束の間の安堵を覚えている。
My Darling
7曲目の「My Darling」を作ったのは、2018年頃。
当時、買ったばかりのYAMAHAのAW-16GというMTRでドラム、ピアノ、ギター、歌を録音し、友達に聴いてもらったりしていた。
大体の曲は、はじめにその曲が出来た時のことを覚えていたりするものなのだけど、これはあまり覚えていない。
この頃は、1番作曲に凝っていた時期でもあり、フレーズが1つできる毎に、ピアノとギターで同じ内容を確認してを繰り返していた。
生まれたばかりの息子に向けた曲であることには間違いないのだが、どのタイミングで、そうしようと決めたのかも覚えていない。
途中までは、そのテーマから反れないようにしていたのだが、最後あたりの「12月の淡い光〜」の一節だけは、その頃、気持ち的に、とてもヘビーな時期だった自分が、ツアー先で、ふと見上げた朝の光に救われた時のことを、忘れないようにと刻んでおいたもので、あまり息子とは関係のないものかもしれない。
ただ、父親が自分に向けた曲に、そういった時のことを封刻してあるという事実も、息子にとって、生きていく上での何らかのヒントになるかもしれないので、それはそれでいいかと思っている。
元々はLogicでデモを作っていたのだが、友人のシンガーソングライター、四万十川友美にYAMAHAのMTR、AW-16Gの音が良いということを教えてもらい購入し、さらに友人のドラマー、北端コウから売ってもらったラディックの古いスネアを使い、ベーシックトラックを吉祥寺のスタジオで1人録音した。
その頃は、classicusのメンバーである村上淳也は、大分に引っ越してしまい、バンドとしての活動がほぼできなくなってしまっていたので、友達の力を借りながら、都内のライブハウスで音を出し続け、何とか感覚が鈍らないようにしていた。
ちょうど、その頃にドラムの仕事で、フィッシュマンズのベーシストである柏原譲さんのワークショップに参加した。
そのことをきっかけに、譲さんと一緒に何か作ろうよと、何度かセッションを行ったのだけど、その時にも、この曲を演奏した。
謙さんの骨太なベースが、以外とコードの動きの多いこの曲に沿って、音がうねっていく様を今でもよく覚えている。
MTRでの最初の録音は、ドラム、クラシックギター、グランドピアノ、歌を録ったのだけど、その1年後くらいに、歌とギターをやり直し、コーラスや口琴をオーバーダビングして、一旦完成まで持っていった。
ただ、どうも歌のピッチが甘く、一度しっかりエンジニアさんにミックスを頼まないとなと思ったまま、3〜 4年が経っていたのだが、2022年10月頃に、今進めているアルバムに入れるべきだということに気付き、そのタイミングで、ミックスに出して、ようやく発表できることとなった。
最初の歌のテイクも良かったんだけど、元々この曲は、忌野清志郎オマージュから始まったこともあり、歌い方も、ものすごく清志郎風に歌っていた。それはそれで面白かったのだけど、最終的には、普通に自分の感じで歌ったテイクが採用されている。
この頃は、よく四万十川くんとスタジオに入ったり、お茶をしたりしていた。清志郎の話もよくしていて、たしか清志郎の曲には「突然の雨〜」という言葉がよく出てくるという話になり、それだったら自分が今作っている「My Darling」にも、そのワードを入れてみようと思い、組み込んだのだった
最後に
今回こうやってライナーノーツを書かせてもらい、自分としてもいろんなことを思い出すことができ、よかったなと思っている。
曲を作り続けていると、その曲のことが気に入っているのに、なかなか発表ができないといったことがあるように思う。
ただ、そういう事情が、案外活力となり、その人を動かしているということもあるのかもしれない。
僕の場合は、これらの曲を約10年にわたり、保管(という言い方がふさわしい気がする)してきたのだけど、これ以上時間が経つと、さすがに録音する際、新鮮な気持ちで取り組めるかどうかわからなかったし。それに10年も経ったら、いい加減にやらないとなという感じで進めていった。
今回のリリースを経て、曲たちも、ようやく自分の元を離れていった気がする。
ある時は歓喜の歌を、ある時は絶望の歌を、自分のタッチで形を整えていく、この「曲作り」というものを、自分はこの先も続けていくのだろう。
ようやく発表でき、一旦ゴールかと思ったが、何だかスタートといった雰囲気が周囲に漂っているので、それに、まだまだ形にできていない曲がたくさんあるので、歩みをとめないようにしようと思う。
RELEASE INFORMATION
The Unforgettable Flame
岡山健二
2023.08.02 Release
monchént records
Price: 2,200 yen (tax in)
Format: CD / Digital
Track List
01. intro
02. 海辺で
03. 名もなき旅
04. あのビーチの向こうに空が広がってる
05. 軒下
06. 永遠
07. My Darling
LIVE INFORMATION
2023/09/17 (Sun.) 大阪 梅田 HARD RAIN
岡山健二 × 明るい部屋 共同企画
岡山健二 1st mini album『The Unforgettable Flame』
発売記念イベント
act:岡山健二 (band set) / 横沢俊一郎バンド / 加納良英(and young…)
open 18:00 / start 18:30
ticket adv. ¥3,000- / door. ¥3,500- (+1D)
予約:各アーティスト または
hardrainmail@yahoo.co.jp
ARTIST PROFILE
1986年 三重県生まれ。12歳でドラムを始め、のちにギターとピアノで作曲を開始。19歳の時に上京し、2011年にandymoriでデビューを果たす。2014年、同バンドの解散後は、自身のバンドclassicus(ヨミ:クラシクス)を結成し、コンスタントに音源を発表。現在はソロ活動と並行し、銀杏BOYZ / miida / 横沢俊一郎などのサポート活動や、様々なアーティストの音源参加なども積極的に行っている。
【Official SNS】
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Classicus
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