●楽器始めたのはいつから?
D:もともと4歳の頃からクラシックピアノをやってまして。今やってることとそこまで直結はしてないかもしれないですけど、音楽自体はずっと子供の時からやってきた感じです。

●どうしてこっちに入ってきちゃったの?
D:自分は85年生まれで、 ちょうど98~99年ぐらいに中学生ぐらいだったんですけど、その頃ってまさにメロコアとかスカパンクとか世間的にも盛り上がってた時期じゃないですか。最初はそっちから入った感じです。最初はやっぱハイスタから入って。
●エアジャムとか見に行ったの?
D:いや、岡山の田舎だったんで。なかなか中学生とかでそこまでの行動力や経済力はなかったです。当時はあくまでも自分の中では音源の中の人達でした。
●じゃその頃、RUDE BONESも知ってたの?
D:はい、もちろん知ってましたし友達からCD借りて聴いてました。
ただその頃の僕にはまだ難解で早かったのかなと言いますか、どちらかと言うと自分達より少し先輩の玄人達が聴いてる大人の音楽って印象もありました。(笑)
●バンドをやり始めたっていうのは?
D:バンド自体は高校生の頃ですかね。当時ギターを始めて弾いてたんですが、スカパンクみたいなのがやりたくて。POTSHOTのコピーから始めて、自分なりにそれっぽいつもりのオリジナルを作り始めてみたいな感じでした。
●そこから上京するわけ。
D:そのバンドもしながらずっとピアノもやってたので音楽で大学に行って。どうしても東京に行きたかったんで大学で東京に出てきた感じです。
●音楽で仕事を見つけようみたいな感じだったの?
D:当時は音楽で飯を食っていけたら良いなっていう夢はありました。
バンドマンとして成功したいという夢もあれば、ピアニストにもなりたかったですし、音楽家・作曲家と言うか坂本龍一さんみたいな存在にも憧れてましたし。なんか今思うと時期によって色々ブレながらって感じでもありました。
●作曲はいつから?
D:作曲自体は趣味遊びの範疇では子供の頃からやってたんですけど、バンドの曲としてというのはやっぱその高校生の時からですかね。
●オークラはいつから?
D:2007年結成なんで21 歳の時から。まだ大学生の頃からですね。
●上京してきて、オークラ以外にもバンドやってたってこと?
D:そうです。上京してすぐの頃はSKAFF-LINKSっていうもう解散したバンドなんですが、そこにキーボードで加入させてもらいやってました。 実は後にオークラに加入するベースのべべちゃんもそのバンドの元メンバーで、当時からの付き合いだったりします。
●SKAFF-LINKSはライブハウスで結構やってたんだ。
D:そうですね。結構あちこちでやってましたけど渋谷CLUB 乙とか多かった気がします。ちょっと記憶が曖昧なとこもありますけど。DALLAXとかROLLINGSとかよくご一緒させてもらってました。
●そっからオークラになるのはどういうあれなの?
D:実際自分はそのバンドには1年ちょいぐらいしかいなかったんですけど。だんだん自分のやりたい音楽というか自分なりのSKA像みたいなものがようやく固まって来て、独立して自分のバンドを立ち上げたいみたいな感じで脱退した感じです。
本当にゼロからのスタートで最初は大変でしたけど、SKAのイベントで出会ったそれっぽいお客さんに手あたり次第声をかけたり、それプラス当時はSNS黎明期でミクシィとか全盛期だったんでその中でもメンバー募集しながらメンバーを集めて。
そこでたまたま初代ボーカルのコウジ君とか初代ベースの尾崎君(現Beat Bahnhof)とか、後に現ギターボーカルで現RUDE BONESギターでもあるShu-hey!とか集まってくれて。そこから色々派生しながら今に至る感じです。
●ツートーンをやろうって決めて?
D: そうですね。2TONEみたいなのがやりたくて最初からそういうコンセプトで始めました。
そもそも最初のきっかけは実はOi-SKALL MATESなんですけど、さかのぼること岡山時代、高校生でスカパンク風バンドをやってた頃に初めて聴いて、岡山に来た時にも観に行ったんですけど色々と衝撃を受けて。その辺からMODSとかSKINSとかのカルチャーに興味を持ち始めて色々調べ始めて掘り下げていく中で、とりわけ2TONEとか日本で言うとNEO SKAと呼ばれる音楽とかにどっぷりハマっていった感じです。

●オークラもメンバーも変わりながら続けていて最近はどうなの?海外ツアーどうだったの?
D:いや、凄く良い感じで楽しかったです。 ドイツだけですけど4ヶ所回って、思ってた以上に盛り上がって。前回11年前に行った時より物販とかも圧倒的に売れて良かったです。ほとんど初見のお客さんが多かったとは思うんですけど、ちょいちょい11年前のTシャツを着てくれてる人とかもいて感慨深いものもありました。
●向こうのバンドとスプリット出したのもその流れ。
D:そうですね。そもそもイタリアのLos Fastidiosっていうバンドがブッキングを手伝ってくれて2ヶ所は一緒に回って。スプリットはそのバンドではないんですけど、同じくイタリアのTHE MAGNETICSっていうバンドとスプリット出して。

●一昨年ぐらいにもスプリット出してたよね。
D:その前に出したのは国内で岐阜のThe SolutionっていうHARD MODなバンドとです。
●ルードはもともとなんで入ったんだっけ?
D:もともと先にShu-hey!が入ってたというのが大きいですかね。
当時僕はオークラだけだったり、あとMORE THE MANっていう冷牟田さん(ex.東京スカパラダイスオーケストラ)のバンドに参加させてもらってたのとか自分自身も掛け持ちはあったんですけど。
Shu-Hey!!がいることによって今まで以上にRUDE BONESとの絡みが増えてきた中で、中高生の頃の自分(前述)よりは好みや感性も成長してたのか、改めて「やっぱ格好良いバンドだな」って思って、そこにいるShu-hey!を少し羨ましく思ってた部分もあったりして。(笑)
●誘われた。
D:そうですね。たしか2018年、ルード25周年の時です。
最初の1年ぐらいはサポートで、ライブもセットリスト全編出るわけじゃなくクリーンのもともと音源では鍵盤が入ってるような曲だけ参加したりという感じでしたが、後に正式に誘われて。
●レコーディングとかは10月に出たシングルが初めて?
D:いや、最初は2021年に「Ska Cares: A Global Benefit for the Alpha Institute」ていう海外コンピ用に録った「Go ahead and kill me」からですかね。
●あ、そうなんだ。あの今、もともと鍵盤が入ってない曲とかどういう感じでやってんの?
D:そこが曲によっては結構悩みでもあるんですけど。なんか「まぁこんな感じだろう」っていうイメージが、自分が培ってきた2 TONE寄りな解釈のままでしっくりハマる曲と、そうでない曲とありますし。やはり単純にスカ、スカコアという軸だけなくレゲエだったりハードコアだったり色んな要素が組み込まれているのがRUDE BONESの魅力だとも思うので。大川さんかやヒロシさんから「ちょっと違うな」っていう風に指摘されたものは、大川さん家に行って一緒にアレンジ考えてもらったりしている感じですが、やっぱ大川さんの独特のセンスみたいなものも日々勉強になっています。
●オークラとルードでなんか違うこととかはある?
D:違うことはやっぱその、これはShu-hey!も似た感覚かもしれないですが、立場上の問題になってくるかもしれないですけど。オークラでは自分がリーダーで作曲者で、Shu-hey!もメインボーカルでっていうのが、やっぱルードですと一番年下の層ですし。バンドの中での立ち位置ってのは全然違いますね。
●小ちゃくなってんだ。(笑)
D:いやいや。そういうことではないんですけど。(笑)
●そのうちルードの曲を書こうみたいなのあんの?
D:いや、大川さんあってのRUDE BONESだと思いますし、先輩方が培ってきた明確なビジョンとカラーがあるバンドだと思うので、今のところ特にそういう願望は全くないですかね。

●今回の新曲はどうなの?
D:まぁ、鍵盤自体は普通に録れたって言ったらちょっと生意気かもしれないですけど。
コーラスを僕も歌えって話になって、自分なりに頑張ったんですけど全然上手く歌えなくて、その辺が特に苦労しました。多分僕が歌ったフレーズはほとんど採用されてないじゃないかなっていう感じです。(笑)
オークラだとわりとメインでコーラスしてますけど、もともと自分がここでハモろうってのを考えて曲を作ってるんで、全然 Shu-hey!ボーカルに対してのハモリっていうのは歌えるんですけど。 RUDE BONESの曲は単純なハモリだけじゃなくけっこう難解に重厚に入り組んだことをしてることも多いですし。その辺はヒロシさんと、シオノさん、チバさんとかもやっぱ凄いなって思ってます。
●この後なんかルードボーンズに対する要望みたいのあったりする?
D:個人的には、昨年も少し話に上がってたアメリカツアーの話とか凄く行きたい気持ちあったので、RUDE BONESでも海外に行ってみたいなっていうのはあります。このシーン内で自分達の世代から見たら、もともと海外でも評価されてるバンドと言いますか、日本で一番最初に海外ツアーとか頻繁に行き始めた先駆者みたいなイメージもありましたし。
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